散歩道の圃場も集落も美しくそして静かです

でも初夏なのにカッコウの声が聞こえてこないんです。カッコウの声の聞こえてこない初夏なんて侘しいです。圃場からトンボやイナゴが姿を消して久しいです。綺麗な流れの用水堀からドジョウもフナっこもカワニナもいなくなりました。蛍の幼虫はカワニナを食べて大きくなります。だから夏の夜の風物詩蛍は姿を消しました。今の小学校の子供たちは蛍って見たことないんじゃないかしら。
広い圃場に虫がいなくなりましたから虫を食べる小鳥たちの姿は少なくなりました。かつては川辺の葭原でかまびすしく鳴いていたヨシキリの声もかすかにしか聞こえなくなりました。当然ヨシキリに托卵していたカッコウもいなくなるんでしょうね。ヨシキリの巣にカッコウが卵を産みつけるとヨシキリは自分の産んだ卵と思って温めているとカッコウの卵はヨシキリの卵より早く孵化してヨシキリの卵をみな巣から脚で蹴り落としてしまいヨシキリの親鳥が運んでくる餌を独り占めにして大きくなる。ヨシキリの親鳥が自分より大きくなったカッコウのひな鳥に必死に餌を運ぶ姿など見るとカッコウが憎たらしくなります。でも、やっぱりカッコウののどかな声に聞こえない初夏は侘びしいです。
今圃場の初夏は静かです。
集落の中のほんの一握りのそれも60歳から70歳台の熟年に近い人達が大型農耕機械を使って集落の農家から依託された広い水田の稲作農業をやっていらっしゃいます。
私は農家ではありませんけどそのような農村で暮らしていますから、「なんとかカメムシ防除のためなんとか薬を散布しましょう」とか「なになに草の除草剤を散布しましょう」などという声は聞こえてきます。でも今の稲作にはそれらが絶対に必要なことと理解していますから殺虫剤や除草剤を散布するのが悪いことなどとは決して思いません。だからトンボや蛍やがいなくなりカッコウののどかな声が聞こえて来ない静かな圃場が侘びしく思えても農家が悪いことなどとは夢思いません。
でもこんな声も聞こえて来るんですよ。私の家内は農家のおばさん達の仲間に入れて頂いております。家内は、自分の家の水田を依託栽培に頼んでいる農家のおばさん達が「今年はこんなに米の値段が下がってしまってどうしょうもない。困ってしまった」と言ってているよと私に話してくれました。
またある農家のおばさんが「うちの百姓だった息子も嫁もみんなサラリーマンになってしまって野菜でもなんでもスーパーから買って食べている。世の中変わってしまった」これは私がじかに聞いた言葉です。
圃場に若者の姿は見えません。子どもたちの姿も少なくなりました。
私のような老体が心配したからってどうなるものでもありません。でも美しいけど静かな圃場を、新しい工法で作られた大きくて見事な住宅が並んでいるけど静かな農村の集落を散歩しながらこれから農村はどう変わっていくんだろうかと心配にもなるんです。
なになに、余計な心配するよりこれからの老体、人の迷惑にならないようにどう生きるかを考えろって・・・ はいはいその通りでした。その通りでした。