
私はアルコールアレルギーですからお酒のことはなんにも知りませんし興味もありません。どこかでまぼろしの酒「飛露喜」のことを聞いたような気もしますけどなんの興味もありませんでした。
タクシーの運転手さんっていろんなことを知っていらっしゃってお話を聞くのが楽しいですね。私は病院に通うときなどときおり町のタクシーのご厄介になります。この間も町のタクシーで中央病院に行くとき運転手さんからそのまぼろしの酒「飛露喜」についてのお話を聞き興味をそそられました。
「飛露喜」はほんの一部の地酒専門の店からしか手に入らないお酒で、坂下の蔵本(くらもと)から年に一度売り出された「飛露喜」は東京にもっていけば5倍の価格になる有名なまぼろしの酒である。
飛露喜を作り出した飛露喜酒造の現社長は1990年代以前は二級酒などの醸造が主流で日本酒の需要が減りそれに杜氏の老齢化などもあって日本酒業界が不振になったことで酒造りとは別の道を進むことを考えて醸造とはまったく関係のない大学に学びサラリーマン生活をしていました。ところ突然の父の社長の急死で実家の帰り酒造りに取り組むことを決意しました。
しかし、古くからの杜氏の方の引退などもあって当時の飛露喜酒造は大変な困難の状況の中にあった。そんな状況の中で酒造りにまったくに素人の新社長は自分の理想の酒造りに必死に取組み苦闘の末についにまぼろしの酒「飛露喜」を造りあげた。
「飛露喜」は白ワインのようなさわやかな飲み口で日本酒嫌いな人がこの酒で日本酒党になったケースもたくさんあったと言われている。
そんな話しを聞いて、お酒の好きな人なら誰でも知っているまぼろしの酒「飛露喜」が私たち町坂下の蔵本(くらもと)で醸造されていることを知って、私はなんか誇らしいような気持ちになりました。
「飛露喜酒造蔵本(くらもと)」は県道坂下喜多方線と町のライバン通りの交差点の南側の通りににあります。お酒にはまったく興味のない私ですけども、いつもこの家の造りの美しさには心惹かれておりました。
建築のことなどまったくなにも知らない私ですけれども、余計な飾りなど一切なく、美しい格子戸造りのお家が好きでした。どこか茶の湯の世界を思わせるような簡素な中での厳しい美しさあるように思えるのです。この家の前に立つと心が澄んで濁りのない爽やかな気持ちになるのです。(おかしいですね茶の湯のことなどなんにも知らない私です)
正面玄関のガラスにA4版くらい紙が貼ってあるんです。見るとこんな張り紙です。そして飛露喜酒造の蔵本(くらもと)は静かに静まっています。

それを見ると、ああここがまぼろしの酒「飛露喜」の蔵本(くらもと)なんだとしみじみ思うのです。
「飛露喜」は江戸時代から続いた酒造の蔵本に、現社長の新しい発想と研究と努力によって生まれた酒なんだと思います。そしてそれを支える杜氏さんたちの新しいスタッフの方が息づいているんだと思いました。
そしてここは、日本の近代陶芸の開拓者として有名な板谷波山の奥さまの実家でもあるとも聞いております。
新しいまぼろしのお酒「飛露喜」、そして現代陶芸家作品として初めて国の重要文化財に指定された波山作の「珍果文花瓶」、美しいものの根はやっぱりひとつなんだろうかなどと私はふと思うのです。