昨日の記事にはたくさんコメントをいただきましたスーパー先生。
他の教科もすごいんです。
いえ教科だけではないですね。朝の会もちょっと違う。
と言っても、何か特別な事をするわけでもないんですよ。
色んなクラスで取り組んでいる『1分間スピーチ(と言っても1分も喋る子はまずいないですが・・)』。これも実に計画的に子ども達の身につけるスキルを増やしていきます。
入学してしばらくしてこのスピーチは始まります。
スーパー先生は1日1班(4人位です)で進めていきます。
もちろん、しっかり予告もしますし、
最初のうちはお話のパターンをしっかり身に付けさせる働きかけをしていきます。
「きのう、こうえんで、だれだれちゃんとすべりだいをしました。たのしかったです。」
みたいなものから始まりますが、
発表しておしまいではなくて、その後に質問タイムももうけます。
手をあげて、班長さんにさしてもらって、
「だれだれ君にしつもんします。すべりだいは何回すべりましたか?」
みたいなことを大真面目な顔をして(記者会見のような雰囲気が漂っていますよ)、
質問すると、
「さんかいです。わかりましたか。」
とお答えがあり、
「はいわかりました。」
となるわけです。
相手にわかってもらうために最低限必要な会話のパターンや態度を、
まずはこうして繰り返しで身につけさせていくんですね。
そうしていくうちに少しずつ子ども達が語る要素が増えていきます。
質問の内容もすこしづつバリエーションが増えてきます。
先生が無理に「こんな事を聞いてみな。」とか「毎日そればっかりね。」
などといわなくても、こういう風に言えばいいんだとわかった子ども達は自然に
自分の言いたい事を膨らませていくようになるんですね。
子ども達がこのやり方に慣れてきたと思われる頃、先生は次の段階に移ります。
「テーマを決めて話す」
「好きな食べ物」とか「好きな動物」とか、6つのテーマを決めて紙に書き
黒板に張っておきます。
そして大きなサイコロを用意。1から6までの番号が書いてあります。
テレビの「ごきげんよう」のようなスタイルですけど、
ちょっと違うのは、1日前にテーマが決まるという事です。
朝の会の終わりに日直さんがサイコロをふり、でた番号で次の日のテーマが決まります。
「明日は、○○です。□はんさん、じゅんびしてきてください。」
「はい。」
と、予告があって次の日のスピーチになるんですね。
「好きな食べもの」というテーマだとこんな感じ。
「私は、ケーキが好きです。なぜかというとあまくておいしいからです。」
質問は、
「○さんにしつもんします。けーきはいつたべましたか?」
「おたんじょうびです。わかりましたか。」
「わかりました。」
てな具合です。
わかりますかね、「理由を述べる」という作業が入ってくるわけです。
何かが好きだという自分の気持ちを伝え、そしてその理由を伝える。
そうした時の話しかたの基本形を毎日の朝の会で身につけていけるんですね。
これも基本の形を繰り返していくうちに、子ども達が自然と話す事を増やしていきます。
先日は、わざわざ家でメモを作って発表をした子がいました。
班の全員が発表し終わった後で、先生がその子のメモの事を褒めました。
でもね、この先生の素敵なところは、やらなかった子がコンプレックスをもつような言い方は決してされないところなの。と同時に、褒められた子がプレッシャーに感じすぎないようにも考えているのではないかと、私には思えるんですよ」。
「○君、そのメモ見せてくれる?あぁ家で考えて書いてきたんだねぇ。この間も書いてきてたよね(1回目ではあえて触れてないっていうことです)。
ねぇみんな、こんな風にメモを書くと、たくさん話したいときでも忘れなくて良いねぇ。みんなもね、いっぱい喋りたいなぁ。忘れたくないなぁ。っていうときにはメモを書いてもいいんだよ。ね、○くんありがとう。」
と、こんな風に取り上げるんですね。
大概の場合、小学校では1,2年と担任は持ち上がりますね。
その2年間、スーパー先生はこういう風にして子ども達のスキルを少しずつ持ち上げていくんです。
ついでに色々書いちゃいますが、
子ども達には「時間を守れ」と言っておいて、自分の都合で授業は伸ばす先生っていますよね。あれは「見通しを立てたい」子ども達には大反則だと思うんですけど、スーパー先生はそんなことしません。
授業は時間どおり(まれには少し早く)終わります。
そのかわり、先生のクラスの子供達は休み時間に入る前に次の授業の準備をするようしつけられていきます。
先生が時間をキチンと守るから、
子ども達も「針がどこにくれば終わり」とか「針がここにきたら教室に戻ってこなきゃ」とか考えるようになるのだと思います。
怒鳴ったり追いまくったりするわけではないのに(いえ、必要なときには厳しく言いますけど、しつこくはないです。最後はいつも笑顔)、3時間目の開始時間も遅れが殆どない野がこのクラスなのです。魔法です。
他の教科もすごいんです。
いえ教科だけではないですね。朝の会もちょっと違う。
と言っても、何か特別な事をするわけでもないんですよ。
色んなクラスで取り組んでいる『1分間スピーチ(と言っても1分も喋る子はまずいないですが・・)』。これも実に計画的に子ども達の身につけるスキルを増やしていきます。
入学してしばらくしてこのスピーチは始まります。
スーパー先生は1日1班(4人位です)で進めていきます。
もちろん、しっかり予告もしますし、
最初のうちはお話のパターンをしっかり身に付けさせる働きかけをしていきます。
「きのう、こうえんで、だれだれちゃんとすべりだいをしました。たのしかったです。」
みたいなものから始まりますが、
発表しておしまいではなくて、その後に質問タイムももうけます。
手をあげて、班長さんにさしてもらって、
「だれだれ君にしつもんします。すべりだいは何回すべりましたか?」
みたいなことを大真面目な顔をして(記者会見のような雰囲気が漂っていますよ)、
質問すると、
「さんかいです。わかりましたか。」
とお答えがあり、
「はいわかりました。」
となるわけです。
相手にわかってもらうために最低限必要な会話のパターンや態度を、
まずはこうして繰り返しで身につけさせていくんですね。
そうしていくうちに少しずつ子ども達が語る要素が増えていきます。
質問の内容もすこしづつバリエーションが増えてきます。
先生が無理に「こんな事を聞いてみな。」とか「毎日そればっかりね。」
などといわなくても、こういう風に言えばいいんだとわかった子ども達は自然に
自分の言いたい事を膨らませていくようになるんですね。
子ども達がこのやり方に慣れてきたと思われる頃、先生は次の段階に移ります。
「テーマを決めて話す」
「好きな食べ物」とか「好きな動物」とか、6つのテーマを決めて紙に書き
黒板に張っておきます。
そして大きなサイコロを用意。1から6までの番号が書いてあります。
テレビの「ごきげんよう」のようなスタイルですけど、
ちょっと違うのは、1日前にテーマが決まるという事です。
朝の会の終わりに日直さんがサイコロをふり、でた番号で次の日のテーマが決まります。
「明日は、○○です。□はんさん、じゅんびしてきてください。」
「はい。」
と、予告があって次の日のスピーチになるんですね。
「好きな食べもの」というテーマだとこんな感じ。
「私は、ケーキが好きです。なぜかというとあまくておいしいからです。」
質問は、
「○さんにしつもんします。けーきはいつたべましたか?」
「おたんじょうびです。わかりましたか。」
「わかりました。」
てな具合です。
わかりますかね、「理由を述べる」という作業が入ってくるわけです。
何かが好きだという自分の気持ちを伝え、そしてその理由を伝える。
そうした時の話しかたの基本形を毎日の朝の会で身につけていけるんですね。
これも基本の形を繰り返していくうちに、子ども達が自然と話す事を増やしていきます。
先日は、わざわざ家でメモを作って発表をした子がいました。
班の全員が発表し終わった後で、先生がその子のメモの事を褒めました。
でもね、この先生の素敵なところは、やらなかった子がコンプレックスをもつような言い方は決してされないところなの。と同時に、褒められた子がプレッシャーに感じすぎないようにも考えているのではないかと、私には思えるんですよ」。
「○君、そのメモ見せてくれる?あぁ家で考えて書いてきたんだねぇ。この間も書いてきてたよね(1回目ではあえて触れてないっていうことです)。
ねぇみんな、こんな風にメモを書くと、たくさん話したいときでも忘れなくて良いねぇ。みんなもね、いっぱい喋りたいなぁ。忘れたくないなぁ。っていうときにはメモを書いてもいいんだよ。ね、○くんありがとう。」
と、こんな風に取り上げるんですね。
大概の場合、小学校では1,2年と担任は持ち上がりますね。
その2年間、スーパー先生はこういう風にして子ども達のスキルを少しずつ持ち上げていくんです。
ついでに色々書いちゃいますが、
子ども達には「時間を守れ」と言っておいて、自分の都合で授業は伸ばす先生っていますよね。あれは「見通しを立てたい」子ども達には大反則だと思うんですけど、スーパー先生はそんなことしません。
授業は時間どおり(まれには少し早く)終わります。
そのかわり、先生のクラスの子供達は休み時間に入る前に次の授業の準備をするようしつけられていきます。
先生が時間をキチンと守るから、
子ども達も「針がどこにくれば終わり」とか「針がここにきたら教室に戻ってこなきゃ」とか考えるようになるのだと思います。
怒鳴ったり追いまくったりするわけではないのに(いえ、必要なときには厳しく言いますけど、しつこくはないです。最後はいつも笑顔)、3時間目の開始時間も遅れが殆どない野がこのクラスなのです。魔法です。
年長で一人では、殴り書きしか出来ず、教えなきゃ描けない絵を、声かけだけで、びっくりするぐらい個性的に上手に描かせてくれました。
そして、さらりと「別にとくべつに指導はしてないんですよ。」って・・・
こういう先生がいるから、あきらめずに、教えられるんですよね。
先生も捨てたもんじゃないよって・・・
図画がとにかく上手になりました。
わが子の作品がどこにあるのか分からない。
全クラスの展示が体育館でされていたとき、
この2人の先生のクラス全体が飛びぬけて素晴らしかったです。
(クラスでの違いがわかるんです)
兄は相変わらず「あれだね」というできばえで・・。
指導者の違いでこうも違うのかと改めてびっくりでした。
授業参観時も「地味だけど」「子供が困らない」「小さな工夫」が沢山されていました。
こういう先生ばかりならいいのになあ。
スーパー先生には現場を回る指導教官になっていただいて、根本から仕組みなり変えていって欲しいと切に願わずにはいられないですね。
本当に仕事が好きでプロ意識を持った人達が、改革していって頂きたい。
踊る大捜査線じゃないですが。。。。
仕事が好きじゃない人はお辞めいただくか、仕事が好きになる工夫を努力していっていただかないと、、、。どんな職場にも言える事です。
そうなんですよね。この種のスーパー先生がたはみなさん、
「一人一人に対応した」行動をとっていらっしゃるだけで、「自閉症だから・・」とか「ADHDだから・・」とかいった括りで特別な指導を組み立てられたりはなさらないんですよね。
「視覚支援」とか「構造化」とか、そう言った専門用語で考えるのではなく、
「どうしたらクラスの子全員がわかりやすく、取り組み安いか。」で考えていらっしゃるの。
それが、結果としてどんな子にもいいんですよね。
ただこぎれいに仕上げさせるんではなくて、子どもそれぞれの発想が伸びやかに生きている作品は、美術音痴の私でもはっきりそれとわかります。
「地味だけど」「子どもが困らない」「小さな工夫」
そうなんですよね。別に大向こうに受けを狙うような大掛かりな事はなさらない。
(教材準備に時間を取られると肝心の中身や、子ども達をしっかり見る時間が減ってしまうんですよね)
だけど、教室じゅうに、授業全体に細やかな心配りがなされているから、非常に居心地がいいんだと思います。
ただ、このスーパー先生の朝の会は、
「言語の療育を受けているよう」にも思えるので、
そんな風に思えるので、「のんびり娘がこの先生に当たっていれば・・・」と思ってしまったりすることがあります。
のんびり娘は、「だれが、どうした」という話しかたの基礎が出来上がるまでにとても時間がかかりましたから、
毎朝こんな風に、同じパターンで中身を替えた話しかたを繰り返し聞き、パターンをしっかりと身につけていく事が出来たらよかったなぁって思うんですよね。
普通の会社なら、新人は先輩のあとをくっついて仕事を覚え、日常的に指導を受けますね。
でも先生は、新人でも「先生」として教室で孤軍奮闘しなければなりませんし、「指導」はたまに行なわれる「研究授業」とかでしょ。
よほどもともとの脳みそが柔らかくないと、
「これしか方法が無い」みたいに思ってしまうのではないでしょうか。
良いのも悪いのも色んな先輩方の授業を見、その折々の子ども達の反応を観察して、そうして自分なりの授業を作り上げていけるような体制が出来たらいいのになって、いつも思います。