そういう思いをさらに強くしたのは、亡くなった翌日、
義弟を寝かせた義弟実家に、奥さんとそのお母さんがやってきた時。
義母は、極力抑えようとはしているものの、もともと感情が表に出やすいタイプです。
結婚した時からのいきさつももろもろありますし、119番の件は特に心に強くひっかっかっていて、ふたりを快くは迎えられないです。
かといって、義弟の脇で、とげとげとした空気を作りたくもありませんから、なるたけ離れていようとします。
ですから、私が間に入って空気を和らげるように動くのですが、
同じ「嫁」という立場に少し気を許されたのでしょう。
奥さんのお母さんが、小さい声で、私にいろいろと訴えてきます。
冷たい空気を感じて、言い訳したいお気持ちもあったのでしょう。
「うちだって、どれだけこの二人を助けてきたか。それは義弟君がよく知ってますよ。こちらのお母さんはご存じなかったかもしれませんけど、いっぱい見ましたよ。非難される筋合いはないですよ。」
にはじまって、
「保険証も、どこにあるのかわからないんですよ。義弟君は何にもこの子に教えてくれなかったから。」
と。
保険証の件については、病院に入院中から
「そちらのお宅にありませんか?」
と尋ねられた(このあたりが、少々敬遠したくなった理由なのですが・・)
ということを義母からも聞いていましたから、
「義弟の会社では、保険の払い込みも殆ど天引きのはずなので、会社の方がちゃんと教えてくれますよ。保険会社がわかりさえすれば、保険証はなくてもなんとかなりますから。」
と安心させたうえで、
「でもね、そういうものも含めて、どこにどんなものがあるか知っておくのは奥さんの勤めなんだよ。世の中の旦那さん達が、そんなこと、逐一報告しているわけもないのよ。
保険会社からは、自宅あてに定期的に内容を書いた郵便物も届いているはずよ。家にいる奥さんは、そういうのから「こんな保険に入っていたのね。」って、わかったりするんだよ。」
と、
何もかも、やってくれなかった義弟のせいだと、
奥さんが思いこんでしまっては次に続かないから、
割合やさしい口調で奥さんに向けて話してみると、
それでも、非難されたと思われたのでしょう(それまでの空気もありますから、そう思われても無理はないかもしれませんが・・)、お母さんが少し声を荒げて、
「この子にそんなことできるわけないでしょう!!」
本人が横に座っているのに、私にむかって言ったのです。
そうなんだ。お母さんは「この子にはできない。」
そう思ってこられたんだ。
とてもはっきりそう伝わってきました。
私たち、義弟の方の家族は、奥さんの力をそれほど低く見積もってはいませんでした。
悪いという足の状況にしても、彼女の好きなショッピングモールやテーマパークでは、
疲れる様子もなく2時間くらいは歩きまわるのですから、慣らしていけば十分に家事や幼稚園バスまでの送り迎えならできるだろうと思っていました。
頭の中身だって、のんびり娘よりはもともとの数値は高そうだと踏んでいました。
教えれば(繰り返し体験させればという意味の教えるです)、できる子だ。
そう思ってきました。
でも、実のお母さんはそう思ってこなかったんだ。
「できるわけがない」と、思っていたんだ。
それが、なんとも・・・。
私ものんびりチャンの母です。教えれば、何でもかんでもできるようになるなんていうことは思ってもいません。
他人にそんな風に思われたら迷惑です。
「教えればできるのに、教えないから・・」
或いは、
「やらせればできるのに、親が手出しをするから・・・」
と言われてしまうのんびりチャンの親の辛さや腹立ちは骨身にしみてます。
でも、最初から、
「できるわけがない」と決める気にはなりません。
やらせてみなければわからないことって、これまでもいっぱいありました。
そして、人間やらなきゃいけないことは必ずあるものです。
やらなきゃいけないことは、人の手を借りようと、機械の力を借りようと、
何とかやれるところまで持っていく。
はなから「できない」と決めるのではなく、
できるための工夫が何か考えられないか。そう思って育てています。
だから、本人を横に置いて、こうしてきっぱりと
「できるわけないじゃないですか!」
と言い切るお母さんに違和感を感じました。
この一言を横で聞く奥さんは、いったいどんな風に感じるのだろうと思いました。
そして、さらに何年か前の出来事も思い浮かんできました。
義弟夫婦に息子が生まれて、その息子が1歳半か2歳ぐらいになった頃、
このお母さんが、幼児教室に通わせるようになったんです。
その頃の息子の面倒は、昼間は殆どこのお母さんが見ていましたが、そのスタイルがなんとも不思議で・・
殆ど毎朝、お母さんがアパートまで孫だけを引き取りに行き、夕方帰しに行くというのでした。
私たち、義弟実家のメンバーは、子育てを通して奥さんがいろんな経験を積み、
自分で動く力を得るのではないかと期待していましたし、
リハビリの必要性を言われている(のに、全然やらない)足のことも、
小さな息子の這い這いを追いかけるうちに自然と解決に向かうのではないかと考えていました。
ですが、何故か奥さんはアパートに残され、孫だけを連れていくというのです。
それでは、奥さんのリハビリにはならないなぁと、おせっかいな兄嫁は、奥さんの実家に接触を試みます。
たまたま、のんびり娘が昔使っていた「英才教育用」の幼児教材が大量にありましたので、
それをお届けに行くということで、奥さんの実家に伺ったのです。
その時、
幼児教室に来るママさん達と、少しずつ仲良くなれば、まるきりおともだちのいない彼女にとってもプラスになるから良かったですね。
というようなお話をしたら、
「いえ、教室には私と孫とで行くんですよ。この子は行っても仕様がないから。」
と、やはりそんな風に言われたんですね。
その時に、とってもおいしい焼きたてのケーキを出していただいたのですが、
それを食べるためのフォークのありかも奥さんは知らなくて・・・
というより、まるでお客さんのように座っているだけの奥さんに、
「いやいやこれは根が深い」
と思ったのもこのときでした。
義弟を寝かせた義弟実家に、奥さんとそのお母さんがやってきた時。
義母は、極力抑えようとはしているものの、もともと感情が表に出やすいタイプです。
結婚した時からのいきさつももろもろありますし、119番の件は特に心に強くひっかっかっていて、ふたりを快くは迎えられないです。
かといって、義弟の脇で、とげとげとした空気を作りたくもありませんから、なるたけ離れていようとします。
ですから、私が間に入って空気を和らげるように動くのですが、
同じ「嫁」という立場に少し気を許されたのでしょう。
奥さんのお母さんが、小さい声で、私にいろいろと訴えてきます。
冷たい空気を感じて、言い訳したいお気持ちもあったのでしょう。
「うちだって、どれだけこの二人を助けてきたか。それは義弟君がよく知ってますよ。こちらのお母さんはご存じなかったかもしれませんけど、いっぱい見ましたよ。非難される筋合いはないですよ。」
にはじまって、
「保険証も、どこにあるのかわからないんですよ。義弟君は何にもこの子に教えてくれなかったから。」
と。
保険証の件については、病院に入院中から
「そちらのお宅にありませんか?」
と尋ねられた(このあたりが、少々敬遠したくなった理由なのですが・・)
ということを義母からも聞いていましたから、
「義弟の会社では、保険の払い込みも殆ど天引きのはずなので、会社の方がちゃんと教えてくれますよ。保険会社がわかりさえすれば、保険証はなくてもなんとかなりますから。」
と安心させたうえで、
「でもね、そういうものも含めて、どこにどんなものがあるか知っておくのは奥さんの勤めなんだよ。世の中の旦那さん達が、そんなこと、逐一報告しているわけもないのよ。
保険会社からは、自宅あてに定期的に内容を書いた郵便物も届いているはずよ。家にいる奥さんは、そういうのから「こんな保険に入っていたのね。」って、わかったりするんだよ。」
と、
何もかも、やってくれなかった義弟のせいだと、
奥さんが思いこんでしまっては次に続かないから、
割合やさしい口調で奥さんに向けて話してみると、
それでも、非難されたと思われたのでしょう(それまでの空気もありますから、そう思われても無理はないかもしれませんが・・)、お母さんが少し声を荒げて、
「この子にそんなことできるわけないでしょう!!」
本人が横に座っているのに、私にむかって言ったのです。
そうなんだ。お母さんは「この子にはできない。」
そう思ってこられたんだ。
とてもはっきりそう伝わってきました。
私たち、義弟の方の家族は、奥さんの力をそれほど低く見積もってはいませんでした。
悪いという足の状況にしても、彼女の好きなショッピングモールやテーマパークでは、
疲れる様子もなく2時間くらいは歩きまわるのですから、慣らしていけば十分に家事や幼稚園バスまでの送り迎えならできるだろうと思っていました。
頭の中身だって、のんびり娘よりはもともとの数値は高そうだと踏んでいました。
教えれば(繰り返し体験させればという意味の教えるです)、できる子だ。
そう思ってきました。
でも、実のお母さんはそう思ってこなかったんだ。
「できるわけがない」と、思っていたんだ。
それが、なんとも・・・。
私ものんびりチャンの母です。教えれば、何でもかんでもできるようになるなんていうことは思ってもいません。
他人にそんな風に思われたら迷惑です。
「教えればできるのに、教えないから・・」
或いは、
「やらせればできるのに、親が手出しをするから・・・」
と言われてしまうのんびりチャンの親の辛さや腹立ちは骨身にしみてます。
でも、最初から、
「できるわけがない」と決める気にはなりません。
やらせてみなければわからないことって、これまでもいっぱいありました。
そして、人間やらなきゃいけないことは必ずあるものです。
やらなきゃいけないことは、人の手を借りようと、機械の力を借りようと、
何とかやれるところまで持っていく。
はなから「できない」と決めるのではなく、
できるための工夫が何か考えられないか。そう思って育てています。
だから、本人を横に置いて、こうしてきっぱりと
「できるわけないじゃないですか!」
と言い切るお母さんに違和感を感じました。
この一言を横で聞く奥さんは、いったいどんな風に感じるのだろうと思いました。
そして、さらに何年か前の出来事も思い浮かんできました。
義弟夫婦に息子が生まれて、その息子が1歳半か2歳ぐらいになった頃、
このお母さんが、幼児教室に通わせるようになったんです。
その頃の息子の面倒は、昼間は殆どこのお母さんが見ていましたが、そのスタイルがなんとも不思議で・・
殆ど毎朝、お母さんがアパートまで孫だけを引き取りに行き、夕方帰しに行くというのでした。
私たち、義弟実家のメンバーは、子育てを通して奥さんがいろんな経験を積み、
自分で動く力を得るのではないかと期待していましたし、
リハビリの必要性を言われている(のに、全然やらない)足のことも、
小さな息子の這い這いを追いかけるうちに自然と解決に向かうのではないかと考えていました。
ですが、何故か奥さんはアパートに残され、孫だけを連れていくというのです。
それでは、奥さんのリハビリにはならないなぁと、おせっかいな兄嫁は、奥さんの実家に接触を試みます。
たまたま、のんびり娘が昔使っていた「英才教育用」の幼児教材が大量にありましたので、
それをお届けに行くということで、奥さんの実家に伺ったのです。
その時、
幼児教室に来るママさん達と、少しずつ仲良くなれば、まるきりおともだちのいない彼女にとってもプラスになるから良かったですね。
というようなお話をしたら、
「いえ、教室には私と孫とで行くんですよ。この子は行っても仕様がないから。」
と、やはりそんな風に言われたんですね。
その時に、とってもおいしい焼きたてのケーキを出していただいたのですが、
それを食べるためのフォークのありかも奥さんは知らなくて・・・
というより、まるでお客さんのように座っているだけの奥さんに、
「いやいやこれは根が深い」
と思ったのもこのときでした。
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