ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

下関市豊北町神田上の和久は「鵜」が越冬する壁島がある地 

2021年10月15日 | 山口県下関市

        
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         和久(わく)は北西に角島と相対し、西は響灘に面し、海岸線に沿って国道191号が走る。
        (歩行約1.8km)

        
         海岸線より角島。(国道191号線に駐車スペースあり) 

        
         壁島は角島方向700m海上にある岩礁で、大瀬、鳥塗瀬、地の瀬、中の瀬などの総称
        であるが、干潮期には1つの島になる。
         この壁島に「鵜」が毎年11月下旬頃から翌年の3月頃まで越冬する。日中は響灘から
        関門海峡にかけて飛行し、夕暮れ迫る頃島に帰って夜を過ごすという。
         「鵜」が大数なので堆積するグアノ(糞が化石化)は膨大な量に達し、かって燐酸肥料に
        使われたこともあるというが、ここからは石灰岩のように白く見える。(国天然記
念物) 

        
         眼下に和久漁港。

        
         国道筋を下関方面へ向かう。

        
         国道筋に神田上村(萩藩領)の大庄屋格であった吉田家(現在は大野酒造場)がある。吉田
        家は酒造業を営み、1864(元治元)年中山忠光卿が泊ったと伝える。

        
         第2種漁港の和久漁港と集落。

        
         北に角島大橋。

        
         お堂を覗くと「えびす神」のようだが詳細不明。

        
         和久の波戸場に高さ150㎝の築堤記念碑。文政8年(1825)庄屋・吉田兵助、浦年寄・
        中野謙造とあり、3面に世話人多数の名前あり。

        
         海岸から国道への道。

        
         和久集落は国道で海側と山側に分かれている。

        
         善光寺(真宗)は防長寺社由来によると、当寺の開基は宗流という人で、天正3乙亥(15
75)
        の年に一宇を建立する。天台宗であったが浄土真宗に改宗された。

        
         山門近くの五輪塔は、下方の地輪から空輪までの高さ1.98mで、銘文はないが手法か
        ら鎌倉後期のものとされる。
         しかし、水輪・火輪に対して地・風・空輪の大きさがやや不釣合であり、3つぐらいの
        五輪塔の寄せ集めではないかといわれている。この五輪塔は神功皇后社にあったものを後
                年に移転したとされる。

        
        
         この筋が赤間関街道。 

        
         照蓮寺(真宗)は大内義隆の家臣だった俗姓・岡村豊後守広次が、戦国の群雄割拠の争い
        に深く憂い、西本願寺10世に帰依した。創建は室町期の1533(天文2)年とされるが、
        その後、火災に遭うなどして古文書を焼失している。

        
         寺前から海岸線に出ると駐車地。


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