この地図は、国土地理院の承認を得て、2万5千分の1地形図を複製したものである。
久保市は笠戸湾に注ぐ切戸川の上流で、川と山陽道が交差する地に位置する。地名の由
来は、周囲を高い山で囲まれた窪地であることによる。(歩行約3.3㎞)
岩徳線は利便性が悪く、JR徳山駅⑤から防長バス岩国行き約28分、二の瀬バス停で
下車する
久保市へはバス停を引き返し、二の瀬交差点を横断して二の瀬集落に入る。
集落入口は白壁の家が目印となる。
どこにでもあるような家並みが続く。
蛇行する切戸川を横断すると久保市である。
久保市橋手前にある由加社は、備前国田の口(倉敷市児島)の由加本社から、1805(文
化2)年6月熊毛郡呼坂に勧請された。1838(天保9)年久保市で大火があったとき、当地
に勧請して防火の神としたところ、それまで度々あった火災が、その後は発生しなくなっ
たという。
拝殿の軒下には漆喰の鏝絵が施されている。
木原邸には杉玉が下がっているが、酒造はされていないようで、「ギャラリー野草の庭」
の看板がある。
二股となるが久保市(旧山陽道)は右手に続く。
分岐の右手に恵比寿社がある。祠の下には幟のハタメキを抑えるための重石だろうか。
1889(明治22)年の町村制施行により、切山、山田、来巻、河内村の4ヶ村が合併し、
新村名は元来付近の中心地であった窪市(久保市)の名をとったものである。1953(昭和
28)年まで村役場が右手の地に置かれた。
坂を上がって行くと、1610(慶長15)年創建の西蓮寺(浄土宗)がある。門前の「篤農
家小林武作君之碑」は、山口県の米作改良に尽力した篤農家だそうだ。
左側にある灯籠は降松神社(妙見宮)の献灯で、妙見宮まで行けない人のために、ここか
ら拝むための灯籠だったとのこと。小さな石柱には文字が刻まれているが判読できない。
道が分岐する地点から岡市である。久保市は距離して400mほどであるが、山陽道の
宿駅を兼ねており、東は呼坂、西は花岡に継いだ。
地下上申では「往古は岡市に有り之、山田村之内に御座候得共、‥」とあるから、古く
は山陽道沿いの市であったようだ。
坂を登り切った所に大きな自然石の燈籠(昭和9年3月建立)と、恵比寿社の小さな祠が
ある。
幾つかの交差点に出合うが西行する。
峠から国道2号に接するが、すぐに街道は左手に分かれる。
カヤトの中に戊辰戦争時の石造灯籠(慶応4年建立)が見られる。もとは国道付近にあっ
たものが拡張工事で、この地に移設される。
JR生野屋駅は、1987(昭和62)年地元の請願により新設開業した駅である。