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ぶら~と散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

周南市大道理‥芝桜の里と大高神山の戦争遺構

2020年05月07日 | 山口県周南市

        
                          この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製加工したものである。
         大道理(おおどうり)は大高神山南麓および富田川上流域に位置する。1889(明治22)
        までは大向(おおむかい)村と大道理(おおどおり)村が存立していたが、2村が合併し「向」と
        「道」も2文字をもって向道(こうどう)村となる。(ルート約7.4㎞・うち大高神山往復3
        .6㎞)


        
         JR新南陽駅からコアプラザかの行きバス26分、夢求の里交流館前で下車する予定で
        あったが、コロナ感染予防対策のため車使用を余儀なくされる。


        
         大道理市民センター(旧夢求の里交流館)は、旧大道理小学校を改修して地区の交流拠点
        となっている。2011(平成23)年に小学校は休校し、児童は須々万の沼城小学校に通学
        することになり、2018(平成30)年に廃校となる。


        
         旧小学校傍にある三嶋神社。

        
         三嶋神社は山の神とされ、林業、農産をはじめ殖産の神として崇敬されている。

        
         市民センター前の門前集落に龍豊寺。

        
         龍豊寺(りゅうほうじ)は、室町期に周防の守護代を務めた陶弘護(ひろもり)の室が、150
        1年に夫の菩提を弔うために創建する。陶弘護は、室町期の1482(文明14)年大内政弘
        が諸将の慰労のために山口の築山館で開いた宴席の席上で、吉見信頼に刺されて死亡する。

              
         旧小学校の裏手道を上がる。

        
         路傍のお地蔵さん。

        
         里道の最上部からの集落。

        
         丁重に祀られている千手観音。

        
         集落から離れると山道。

        
         大道理では10年前から芝桜まつりが開催されてきたが、今年は自粛ムードもあって中
        止されたようだ。

        
         芝桜を見て県道3号線(新南陽日原線)に出合うと、左手に大高神山の登山口を示す案内
        がある。

        
         登山口から整備された1本道で迷うことはないが、すぐに合格(滑らない)コースと不合
        格(滑る)コースの分岐がある。(この先はやや急坂)

        
         ガスボンベの鐘。

        
         地元の方々が整備されているのか快適な道が続くと、左手に建物が見えてくる。

                
                (大道理をよくする会・大高神山を守る会資料より)

        
         海軍徳山警備隊向道特設見張所の電源部門であった遺構が残されている。手前から油脂
        庫、発電所、貯油地下タンクが並んでいたようだ。

        
         油脂庫は原型をとどめている。

        
         発電機設置跡のようだが、ディーデル発電機1基が据えられていたとのこと。

        
         水槽のような遺構も残されているが使途は不明である。

        
         発電設備の先に貯油地下タンクがあった。

        
         登山道を少し進むと右手に兵舎跡がある。敗戦から75年の歳月が流れ、兵舎跡の基礎
        部分にわずかな痕跡が見られる程度である。一説では戦後に建物は崩されて大道理小学校
        の校舎に使用されたとか。

        
         流し台3基は原型をとどめている。(台の上にコバノギボウシ)

        
         浴室、便所などがあったようだが特定することはできず。

        
         水槽前に弾薬庫の穴があったようだが、見つけ出すことができなかった。建設時には国
        家総動員法によるものか、小学生が資材の煉瓦などを背負って運んだとも云われている。

        
         兵舎跡からは勾配が増し、あと300mの標柱を過ごすと左へカーブする。途中にはク
        サアジサイの群落もあり、ジグザグ道を過ごすと砲台指揮所が見えてくる。

        
         戦局の悪化に伴い、1944(昭和19)年徳山要港への敵機侵入を監視する
目的で設置さ
        れた。

        
        
         内部の部屋は原型をとどめている。

        
         指揮所屋上は望遠鏡監視場所とされ、右の石組みから上がる仕組みになっていた。

        
         山頂の丸い窪みは探照灯跡で、九六式150㎝の探照灯が取り付けてあった。原理は強
        力な直流電流を放電させて、その光を凹面鏡に反射させて照射させる方法だったとのこと。

        
         頂上奥の三角点傍には高射機関砲の床盤が残されている。設置されたのは13mm単装
        機銃で射距離1,500m以下であったため、機銃は低空から照聴などの諸施設を破壊しよ         
        うとする機に対処すべき装備と思われる。

        
         山頂より50mほどの北に聴音機跡があるが、窪みであったようだが埋もれて形を残し
        ていない。海軍ヱ式空中聴音機が据え付けられたと思われるが定かでない。

        
         展望所へ向かう途中に海軍用標石がある。側面には「海軍」と刻まれているようだが風
        化が進んで読めない。頂面の線は境界線と思われる。

        
         展望所から要港だった徳山湾が広がる。

        
         眼下の山間に大道理地区。

        
         登山口まで戻って県道を下る。(歩車分離ではないが交通量は少ない)

        
         中村集落入口には芝桜で「OODOURI」

        
         中村集落を過ごすと市民センターのある国道に合わす。

        
         毎年5月の連休中に芝桜まつりが開催されている。「自粛」との貼り紙もあって、遠く
        から眺めてセンター駐車場に戻る。


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