この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
吉見(よしみ)は厚東川と同支流の大坪川が合流する地域で、厚東川中流域の低地に位置す
る。往古、吉見氏の住居があったことで地名になったとされるが、葭の生えている土地の
ことで吉見になったと考えられる。(歩行約5km)
JR厚東駅は、1900(明治33)年船木駅として開業する。後に厚東駅と改称したが、
新幹線の開通に伴い新幹線の高架下に移転する。(🚻使用不可)
駅前の先が国道2号線。
国道2号線を小郡方面へ進むと、山手側に進入路がある。
浄土真宗の円生(えんしょう)寺は、1873(明治6)年地内にあった西生寺と西円寺が合併
する。西生寺は厚東氏の建立した持世寺ゆかりの寺として存続していた寺であった。
寺の裏道を下ると県道宇部美祢線。
麦畑の道を西進する。
集落内で旧山陽道と合わす。この付近の街道は、参勤交代や役人・武士の通る「官道」
で、一般庶民は厚東川沿いの「わき道」を利用していた。
このため、「殿さまだけが通る道」が訛って「どんだけ道」といわれるようになった。
旧山陽道は国道2号線に合流する。
厚東川中学校の校門前辺りに吉見氏の居館があったと推定されている。津和野吉見氏と
吉見村の関係は、吉見氏の先知行地であったとされる。
正覚寺(真宗)は、寛正年間(1460-1466)地内の下岡に真言宗として創建されたが、1
536(天文5)年大洪水によって被害に遭い、一切を流失したので現在地に移転する。のち
に浄土真宗に改宗された。
街道から離れて山手に入ってみる。
集落は国道2号沿線に集中する。
石碑は破損してコンクリートで補修されているが、何の碑かは知り得なかった。
尾越の坂道から狭い道を過ごすと国道2号線に出る。
下岡交差点で国道下り線に移動。
交差点から国道に沿うと、旧山陽道は左に分岐する。
厚東川の左岸東方にある霜降岳には、山頂に厚東氏が築城したと伝える古城跡がある。
築城年代は正確には明らかでないようで、地下(じげ)上申や風土注進案などは、厚東氏7代
武光(平安末期から鎌倉初期)の頃としている。
旧山陽道を道なり進むと、左折する道に出会う。
左折すると左手に田地へ下る道がある。
萱曲(かやまがり)古墳は直径約13mの小円墳で、玄室と小さな前室に短い羨道をもつ横
穴式石室墳がある。古墳時代後期のものとされ、この地方の有力な豪族が埋葬されたこと
がうかがえると説明されている。
県道と山陽本線下岡踏切を横断して持世寺温泉へ向かう。
厚東川手前で下岡集落に入る。
下岡神社の創建は、鎌倉期の1289(正応2)年とされ、1868(明治元)まで疫神社と称
した。当社は旧吉見村の総鎮守で、祭礼では「おはぎ神事」という特有の神事が伝承され
ている。
神社参道から畦道と思われる荒道を進む。
山陽本線と新幹線の橋梁を潜る。
1900(明治33)年山陽鉄道が敷設した赤い煉瓦積みが残されている。
新幹線下を歩けばJR厚東駅に戻ることができる。