この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
神代(こうじろ)は滝川流域に位置し、南東は瀬戸内海に面している。
地名の由来について、「地名淵鑑」には神稲代の稲を省いたものと記している。(歩行
約6㎞、🚻観光センターと途中に1ヶ所)
JR神代駅は、1899(明治32)年山陽鉄道の駅として開業したが、その後、閉鎖や停
車場に格下げになるなどの変遷を繰り返したが、1944(昭和19)年駅に昇格する。
1889(明治22)年の町村制施行により、近世以来の神代村がそのまま自治体を形成し
て村名が駅名となった。
ところが、1855(昭和30)年の昭和の大合併で旧神代村の過半は大畠村に属し、駅の
ある東部分は由宇町に編入されて字神東となったが、駅名は設置当時の名称で残された。
神東は平地部分が少なく、国道と山陽本線に挟まれた中に家々は立地するが、国道は歩
車分離でなく交通量も多いので柳井市神代に移動する。
JR大畠駅は、1897(明治30)年海を埋立して山陽鉄道の駅として開業する。ホーム
の目の前には大畠瀬戸と、対岸の周防大島を結ぶ大島大橋が見える。駅のある地は旧神代
村であったが、山陽鉄道開通時から駅名は大畠駅だったようだ。
駅前から岩国方面に進み、陸橋の先で左折して小さな丘を上がると、大島大橋の広場前
に出る。
1976(昭和51)年7月大島大橋は日本道路公団により有料道路として開通する。その
後は山口県に事業譲渡され、1996(平成8)年6月無料開放された。
山陽本線と国道をまたぐため、大畠瀬戸に沿って走る列車の撮影スポットとされる。列
車を待ったが冷たい風が吹きつけるため早々に引き上げる。
大橋筋の道を大畠方面に引き返すと、右手に大畠観光センターがある。トイレや食堂も
併設されて弁当や地元産品もゲットできる。(月曜日が定休、営業時間は15時まで)
大島大橋と大畠瀬戸の渦潮、跳ねる鯛一匹がデザインされたマンホール蓋。
大島大橋の全景が見えることを期待して観光センター裏手の道を上がる。
周防大島への送電鉄塔。
鉄塔を巻くように下って行くと、角度は悪いが大島大橋と大畠瀬戸、対岸の飯の山が見
える。
般若姫は豊後国の満野長者の娘であったが難病を患っていた。あるとき「橘豊日皇子」
(後の用明天皇)が流鏑馬神事で彼女の病を治したという。
その後、二人は結ばれたが皇子は都に帰らなければならなくなり、般若姫は皇子に会う
ために臼杵の港から旅立つ。
しかし、大畠瀬戸にさしかかった折、大きな嵐に見舞われ、嵐は長者に池を潰されて家
族を殺された「金龍神」の嵐だといい、1週間も収まらず、嵐を鎮めるには命を捧げるし
かないと、瀬戸の海に身を投じたという般若姫伝説がある。
瀬戸山墓地園を過ごすと国道に合わし、次の三叉路で岩国方面へ向かう。
海側の神代集落。
三方を山に囲まれた集落。
海岸部を国道と山陽本線。
1918(大正7)年に住宅として建てられたもので、当主が郵便局長であったことから、
一時期は神代郵便局として使用された。翼廊付き総2階建ての洋風建築で、唐破風屋根と
の取り合わせが独特である。(H邸)
注連石(しめいし)の先にある鳥居は、1693(元禄6)年岩国領主・吉川広紀が寄進。
春は椿(ツバキ)、夏は榎(エノキ)、秋は楸(ヒサギ)、冬は柊(ヒイラギ)といわれるよう
に、ご神木のエゾエノキ(蝦夷榎)は夏の木とされる。夏にたくさんの葉をつけて涼しげな
木陰をつくる所以だろうか。
神代浦東浜の山手に鎮座する正(ただす)八幡宮。玖珂郡誌は安土桃山期の1595(文禄4)
年に内藤河内守元栄という者が、山城国石清水八幡宮より勧請したと記す。
拝殿に「お福豆」と「清めの塩」が置かれていたので、お賽銭をプラスして豆をいただ
く。明日は節分、次の日は立春、「1月は往ぬる2月は逃げる3月は去る」といわれるよ
うに月日が流れてゆく。
岩国領主が領内巡見で通った往還道を少し歩いてみる。
どの道が往還道なのかわからないが、国道から離れて集落道に入る。
棚田の中に民家といった感じになる。
金魚の口から水が噴き出ている消火栓蓋。
中筋より神代の浦を臨む。
中筋の台地東方にあった神代勘解由屋敷は、神代の浦を臨む位置にあった。中世の頃に
神代氏の本拠地であったと考えられる。
中筋地区公会堂から畦道に入ると光明寺跡。その跡に室町期の板碑が立っている。
自然石板碑は正面中央部に円を描き、その中に弥陀三尊種子を、その圏外上部中央に金
剛界大日如来種子を刻む。もらいものができたときに祈ると治るといわれている。
周回できるようだが急坂のため引き返し、大畠保育所前から滝川右岸を下る。
神代のマンホール蓋は、大島大橋と鯛2匹がデザインされ、「こうじろ」の文字が入っ
ている。
公園にみかんの形をしたトイレ。
この地域は路線バスがないため駅まで歩かなければならない。国道437号歩きは長い
上り坂を耐えなければならないので、国道188号に出て大畠駅に戻る。
これといった名所がある町ではないが、見えぬ先に何かがあるのではとワクワク歩きを
させる町だった。