この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 平30情複第467号)
田浦(たのうら)は小豆島の南東部から西方に内海湾を囲むように突出した細長い田浦半島
の先端に位置する。南・西・北は海に面しており、低地はほとんどない。
地名の由来は不詳であるが、田浦とは水田の多い地方に付けられる地名であるため、他
の同地名の地から移住して来て成立したとも考えられるとのこと。(歩行約1㎞)
漁業が中心の小さな集落の一角に「岬の分教場」がある。
1902(明治35)年に田浦尋常小学校として建築され、1910(明治43)年から苗羽小
学校田浦分校として使用されてきたが、1971(昭和46)年に廃校となる。
小説「二十四の瞳」は、1952(昭和27)年に小豆島坂手村出身の壷井栄が発表する。
発表の2年後に映画化され、その舞台として有名になる。
入口から廊下に上がると1・2年学級の教室。小説では大石先生は1年の担任とされる
3・4年学級教室。
小説では1928(昭和3)年から1946(昭和21)年の18年間が描かれている。分教場
に赴任した女性教師と12人の1年生とのふれあいを軸に、戦争により庶民にもたらした
苦難と悲劇が対象的に描かれている。
分教場より700m南に、大正・昭和初期の小さな村が出現する。映画「二十四の瞳」
のロケ用オープンセットが改築されて、映画村として利用されている。
2つ並んだ醤油樽のバス停。醤の郷から映画村までの間と、映画村駐車場近くの2ヶ所
で見ることができる。
入口には全長54mの壁面パネルアートがある。
撮影に使用された建物は、雑貨屋、お土産屋などに変身している。
海の魚が泳ぐとされる汐江川。
昔のままに再現された映画館の切符売り場。
ロケで使用された漁師の家。晴れた日は必ずフンドシなど洗濯物が干されている洗濯好
きの家とされている。
セット用の分教場が再現されているが、教室からは播磨灘を一望することができる。
映画「八日目の蝉」でもロケの舞台となった素麺屋。
1987(昭和62)年に撮影された当時は、小豆島も近代的な開発の波が押し寄せていた。
このため、映画用の村風景が創り出されたのである。
撮影に使用された民家は、売店や食堂などに活用されている。
裏通りは村の風情が漂う。
映画村バス停から土庄港まで約1時間15分のバス旅も楽しめる。(バスは5便)