ぶらっと散歩

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福知山は明智光秀築城の福知山城と城下 (福知山市)

2018年07月19日 | その他県外

           
        この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 平30情複第467号)
         福知山は16世紀に織田信長の家臣・明智光秀が、この地方を支配していた有力豪族で
        ある塩見信房を倒し、その居城であった横山城を大修築して福知山城と改めた。(歩行約
        5.5㎞)

           
         JR福知山駅は、2009(平成21)年に高架化及び駅改修事業が完了する。

           
           
         1808(文化5)年に始まった藩校「惇明館」は、のちに惇明小学校となる。1937(昭
           和12)
年に丸窓を配した直線構造の本館棟が建設されるが、戦前最後の鉄骨建築であると
        のこと。

           
         お城通りの市役所付近から見る福知山城。

           
         福知山城公園から法川(旧堀)に架かる昇龍橋。

           
         福知山城は丹波平定を行った明智光秀が、当時の城郭建築の粋を集めて改築した。

           
         登城路。

          
         昇龍橋の傍には郭を模した美術館がある。

           
         転用石が積まれた石垣。

           
         福知山城二の丸の銅門脇(市役所の東)にあった番所で、大正時代に天守台へ移され、さ
        らに天守閣の再建に伴い、この場所に移された
       

        
         福知山城の石垣には自然石に混じって五輪塔、宝篋印塔などの転用石が大量に使用され
        ている。

           
         築城時に明智光秀が近隣から石塔を集めたという伝承があるが、石垣に使用する石が近
        辺なかったこと、築城に時間的余裕がなかったことが起因しているとされる。

           
         城は明治の廃城令によって取り壊されて石垣だけとなっていたが、1986(昭和61)
        に望楼型という初期の姿で復元される。 

           
         天守の入口前にある「豊磐の井(とよいわのい)」は、直径25mで深さ50mもあるとい
        う。城郭内湛水井としては日本一の深さで、今も清らかな水をたたえている。

           
         築城時になかった門が再建時に新設された。

           
         豊磐の井の先が天守への入口。左から大天守、続櫓、小天守となっている。(東面)

           
         大天守から小天守越しに北方向を望む。城下町通りと由良川に架かる音無瀬橋。

           
         山陰本線から城を見ることができる。(綾部方面) 

           
         旧松村邸は、㈱松村組の創始者松村勇吉の社屋兼住宅として、1912(大正元)年に洋館、
        1917(大正6)年に御殿が建築された。 

           
         市内唯一の本格的な洋風建築で、バランスの取れた良質な木造建物である。現在、これ
        ら建物群は洋菓子販売の(株)足立音衛門が、本店・店舗として活用されており、外観のみ
        を見ることができる。

           
         法川の土手を歩くと、由良川との合流地点にある草むら部分に「明智藪」がある。
         また、京へ出入り口である京口門があった場所でもある。

           
         明覚寺裏が「上船渡」で、この辺りに「下船渡し」があったとのこと。

           
         高良厄除神社(鋳物師の厄神さん)は、由良川の水害に悩んだ当地の人々が、安心立命の
        ために創建した。山陰道の道筋で城下町北口の要路にあたる場所にある。

           
         神社入口左側の道標は、1808(文化5)年に丹波口門付近に立てられた道しるべで、
        「右 京・大坂道」と刻まれている。

           
         寺が並ぶ道筋。

           
         金毘羅神社(丹波口)は、丹後街道から城下町への入口付近に、水運の神として祀られて
        いる。玉垣には京都や大坂の事業者の名前が刻まれており、由良川水運の要所として、日
        本海を介した丹後地域と都市部との商取引が盛んに行われていた。

           
         久昌寺は最も長く福知山藩を治めた朽木家の菩提寺。

           
         法鷲寺の山門(浄土宗)は、福知山城の城門の1つと伝えられている高麗門で、数少ない
        福知山城の遺構とされる。

           
         寺町を過ごすと古い町家。

           
         治水記念館は、水害に対応した特徴的な構造を持つ町家である。1880(明治13)年築
        で、建物そのものが歴史的な資料となっている。

           
         ベンガラ塗りの格子に虫籠窓を持つ町家。


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