![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/6a/89f5ce52ad0ed1af4a457dacf4dccd58.jpg)
1980/09/03 米原駅にて
東京機関区のゴハチと言うと晩年は定期仕業が無く、ひたすら操配用だったのは皆さんご存知の通りです。それなのに何故、定期運行する荷物列車を牽くの?という疑問があると思います。その答えは複数あって、一つはロクイチの荷レ写真で説明した、浜松区の台車検査時の代行仕業です。これは汐留~浜松間の限定仕業でした。二つ目が上の写真、11番は当時東京機関区の所属でしたが、区名標には〔浜〕の文字が......これは浜松区への貸し出しです。検査入場や季節臨等の運行が重なり、機関車の所要数が足らなくなるとこの様な貸し出し運行が行われていたようです。この写真は偶然にそれを捕らえたもの。しかも東京から遠く離れた米原駅で北陸からの継承荷物列車を牽く姿を捕らえた珍しい姿でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/4e/29ccdb94c6bac3bbc102f0cf15ff96dd.jpg)
1982/09 荷2033レ 熱海駅にて
答えの3番目がこれです。本来、宮原区の仕業の筈ですが、何らかの問題で急遽代行仕業に付く14号機です。これも偶然の産物でした。しかも撮影した当座は気が付かず、現像後に改めて見て初めて代行仕業だったことに気付いたという代物でした。それだけ当時は荷物列車を撮影することなど、ごく普通のありふれたことだったんです。
そんな訳で、今回は東京機関区のゴハチが牽引する定期荷物列車の写真を集めてみました。
もう荷物列車は見られなくなってしまいましたね。
学生時代は通学途中のときなど、時々見かけましたけどね。列車番号やダイヤなどはまったく気にしていませんでした。もちろん荷物客車(?)の形式にも。