裏サロマニア

鉄道模型製作/国鉄型電車撮影を中心に徒然なる鉄ライフを紹介します

千マリ153系 非冷房車の記録

2015-02-08 00:10:58 | 急行型電車(実車編)
では、皆様のリクエストにお答えいたしまして、各種文献記録より読み取った、幕張電車区153系の冷房改造の記録をご紹介します。

基本的には北総3線の電化完成に伴う気動車急行置換え様として転入して来た車両たちの記録です。



原型のまま転入して、幕張区所属時に冷房改造を受けた車両は上記の如く、モハ4ユニット8両、クハ8両でした。黄色い部分は夏季の冷房使用期間に非冷房で走った“暖房車”の車番になります。

(追記事項)
参考までに同時期に転入した他の車番も記しておきます。他車はいずれも冷房車でした。
南チタから:Tc-4,551,Ts165-12
名カキから:MM'-14
広セキから:MM'-4,5,6,7,8,9,Ts165-55,56
高シマから:Ts165-14
以上、但し、この車番が房総急行末期まで走ったのではなく、この後、老朽化に伴う車両の入れ替えは順次行われています。



実は昭和50年の夏に、家族の“急行電車なのに真夏に冷房無しなんて酷いからグリーン車に乗った”と言う証言の裏付捜査の一環として調査していました。この程、本当にそんな編成が実在していた事が証明された訳で、長年の苦労が報われました(笑)

あの衝撃的証言から40年の歳月を経て、ようやく事実が確認できました!


急行型電車の思い出:番外編 飯田線の165系車番検証

2013-05-24 19:50:52 | 急行型電車(実車編)
飯田線の165系編でなにわさんからご指摘を戴きましたので、写真を拡大しつつ、当時の配置表とニラメッコしながら車番を検証してみました。


先ずはこの写真からです。

本編では急行伊那と書きましたが、結論から言うと急行天竜でした。なにわさん、ピンポン!


検証1:下り側のクハを検証してみました。

あろうことかヘッドライト変形改造車のクハ165-129に間違いありません。シールドビームヘッドライトがタイフォンより高い位置に付いているのは当時名シン所属のクハ165-129のみです。
このキャプションは間違っていましたので取り消し。偶数向きなので129ではありませんでした。また、129番は当時カキ区所属でした。でもシールドビームの位置は明らかに高い。と言うことは129番以外にも変形車が居たと言うことでかね?
この車両は後にカキ区に転属して東海などにも入って上京しています。



で、クモハ+モハはなにわさんの言うとおりクモハ165-104+モハ164-68にしか該当しません。それは名シンのこの他のMc+M’ユニットは全て簡易運転台付きM’だからです。

30年以上して完璧車番特定出来ました。
サハ153は無理みたいですけど。(ベンチレーターからサハ165でない事は明白)


検証2

こちらは割と解りやすいです。




手摺りがありますのでクモハ165-139と言うことになるのでしょうか。


と、いうことで如何でしようか?なにわさん?

急行型電車の思い出:6(終)

2013-05-19 16:11:41 | 急行型電車(実車編)
いよいよ最終回です。

JR線上から湘南色急行型電車が姿を消してから、ほぼ10年後にその最後の姿を再現してくれたのが しなの鉄道でした。3セク化当初は、全くもって鉄向けイベントになんか見向きもしてくれなかったのに、ここのところの鉄ブームで俄然盛り上がってしまいました。田中康夫が社長をしていた頃に、そんな意見書を送ったことがありましたが、まさかそれが実現するとは思いませんでした(その意見書と今回のイベントに因果関係があるのかどうかは全く不明ですが)


そもそも湘南色にならなくても169系の存在自体が気になっていて、音や映像を撮りに、更には乗りに行ったのが2003年でした。

その時撮った軽井沢駅での169系の並び。当時こんなのは日常茶飯事でしたが、カメラを向ける人など皆無でした。この時はまだガンメタ塗装でした。



モハ168の車室内ですが、こんな0系新幹線のシート地そのものがまだ残っていました。なつかしいなあ、このシート地!




2008年5月3日 小諸にて サンライズしなの号です。9連を期待していったのですが、休日だったので3連でした。トホホ...



2010年9月18日 上田にて 湘南色リバイバル第2弾が始まりました。ここからチョコチョコ撮るようになったのです。



2011年5月15日 信濃追分~御代田 この花の咲いている木が心ないモノに切られてしまいました。そんな悲しいところで平気で撮影している連中の気が知れませんが....



2011年10月15日 屋代にて そしてまさかの運用離脱。保安装置の関係でJR線内乗り入れが出来なくなり、一時的に定期運用から離脱してしまいました。予備扱いで屋代に留置される2編成です。後部のS54はその後一足先に廃車になりました。




2012年8月12日 平原~御代田 2012年になり線内限定で運用復活、そして湘南色編成はイベント列車への登板が増えました。




2012年8月12日 御代田~平原 真夏の浅間山麓を行く湘南色169系。




2012年12月22日 御代田~平原 6連運用と言うことで悪天候にも拘わらず出撃!





2013年4月28日 平原~御代田 そして最後の最後に湘南色6連急行を再現! しなの鉄道あっぱれでした。





もう、この大型マスコンによる抑速さばきは見られないのですね。(抑速ランプ点灯中です) 




おわり

急行型電車の思い出:5

2013-05-17 19:12:22 | 急行型電車(実車編)
今回は詰め合わせです。


関西で波動用となっていた165/167系がある年、突然、こんなところの臨時急行として走りました。

1984年か85年の8月撮影 紀勢本線の古座です。この線の急行は電化後もキハ58/65が使用されていましたが、この年から臨時に限り165/167系が使用されたのです。




こちらは確か1986年8月、国鉄最後の夏でした。特急くろしおには485系が駆り出され、客車列車牽引にはEF60の500番台が抜擢され、とんでもないモノがいっぱい撮れた紀勢本線の夏でした。ただ、この後、優等列車は全て特急の381系に統一され面白みが無くなってしまい、その後は訪れることは無くなりました。



さて、私鉄へ渡った165系の仲間達です。しなの鉄道、秩父鉄道、そして改造車が富士急へ譲渡されています。

秩父鉄道では非貫通化やダブルパンタ化、塗色変更がされて近年まで活躍しましたが既に引退。



富士急はパノラマアルプスを譲受し現在でも活躍中です。しかし、そろそろ引退の声もチラホラと...



そして形態は原型を維持しつつ、最後の最後に湘南色になり、皆を興奮させてくれたのがしなの鉄道の169系でした。


次回は、そのしなの鉄道169系の姿で締めくくりたいと思います。

急行型電車の思い出:4

2013-05-15 19:05:21 | 急行型電車(実車編)
まだ出張中ですが、皆さんお待ちかねでしょうから、仕込んであったものの中からアップします。
まあ、そろそろネタも尽きて来そうな感じですが.....


今回は急行東海に絞ってみました。(一部は既出になってしまいましたが)

1982年3月28日 富士駅付近にて撮影 この時代はまだ153系の12連でした。この時もゴハチ狙いだったんでしょうね、確かミステリー328とか.....



1987年7月30日お馴染み根府川にて
JR化後は櫛の歯が抜け落ちるように編成が短くなっていきます。オリジナルの12連から11連に減車、最後は8連まで減りますが、それでもグリーン車は2両もたくわえるなど、かつての栄光は捨てませんでした。そして特急化でモノクラス化という情けない姿に.....




橋梁の塗り替え中だったのでしょうか?真っ赤な白糸川橋梁の姿も珍しいです。手前のMM’ユニットは新製冷房車の様です。


ここへ来て165系の東海って意外と撮っていなかったことに気付きました。そうなんです、153系時代にはよく撮っていたのですが、165系に取って代わってからは撮影回数減って......







次回は帰国後にアップします。
次はちょっと趣向を変えて‥‥‥お楽しみに!