いつから昭和の日になったのか覚えていませんが、ちょっと前はみどりの日でしたっけ?昭和世代の私にとって、4月29日はどうしても天皇誕生日ですね。最近の流行りなのか、SNSでは日付の数字に因んだ写真を上げるというネタをよく見かけます。自分もやってみようかなと古ネガ集を見ていたら、1977年4月29日撮影のネガを見つけました。1977年というとサロマニア少年は16歳になったばかり、この年、高校入学祝いに一眼レフカメラを買ってもらい、どこへ撮影しに行こうかウズウズしていた時期だったと思います。そんな折、元テツだった父が「ED16でも撮影に行くか?」って誘ってくれたのです。まだ自分では何もターゲットを絞っていなかったため、その誘いには二つ返事で答えたのであります。そして父と二人で青梅線へ撮影に出かけたのでありました。
立川で青梅線の73系に乗り換え、吊掛サウンドを楽しみながらまず下車したのが宮ノ平駅でした。当時はダイヤグラムなど持っておらず、また今の様に貨物時刻表も一般には出回っていなかった時代ですので、出たとこ勝負の撮影です。単線の青梅線ですから駅で貨物を見かけたら降りればいい、という単純な発想です。で、何のためらいも無くホームから降りて撮影をしたのが、この第一発目でした。
事前情報なしの撮影ですが、当時は貨物列車も多数運転されていたし、土休日関係なく運転されていたのでお気楽撮影です。これは御嶽駅ですね。実は御嶽駅で下車したのには訳があり、この近辺に玉堂美術館という川合玉堂の絵画を集めた美術館があり、そこへ立ち寄っての下車だったのです。私の父も鉄ちゃんではありましたが、そこまでガツガツ撮るタイプではなく。折角出かけたのだから、そので観光も、というタイプなのであり、その後の私の鉄活動に影響を与えたのも父なのであります。確かこの時の昼食は母が作ってくれたおにぎりを、御嶽駅の下の多摩川の川べりで食べたんじゃなかったかなあ?当時はコンビニなんかありませんから、母も早起きしておにぎりを準備してくれたんです。
この時は奥多摩まで行かなかったような記憶です。御嶽から引き返してきたはずです。そして拝島で一旦下車し、留置されているED16を狙いに行ったはずだったと思います。が、ネガにあったのはこの73系(^^;)
そしてこんな失敗カットがあったんですが、一体、この時私は何を撮りたかったんでしょうね?左の貨車は結構綺麗ですが、タキ1900の様です。しかも車番が連番。日本セメントの看板が付いていますが、これは青梅線からの貨物ではないようですね。八高線かな?更に右端の方に一緒に行った父が写り込んでいます。現在、父は御年91歳ですからこの時はまだ48歳、いまの自分より10歳以上も若かったんだァ。そんな父もまだ存命ではありますが、既に療養型病院のベットの上で母が迎に来るのを待っている状態です。
病床の父を思いつつ回顧した、4月29日の想い出でした。
立川で青梅線の73系に乗り換え、吊掛サウンドを楽しみながらまず下車したのが宮ノ平駅でした。当時はダイヤグラムなど持っておらず、また今の様に貨物時刻表も一般には出回っていなかった時代ですので、出たとこ勝負の撮影です。単線の青梅線ですから駅で貨物を見かけたら降りればいい、という単純な発想です。で、何のためらいも無くホームから降りて撮影をしたのが、この第一発目でした。
事前情報なしの撮影ですが、当時は貨物列車も多数運転されていたし、土休日関係なく運転されていたのでお気楽撮影です。これは御嶽駅ですね。実は御嶽駅で下車したのには訳があり、この近辺に玉堂美術館という川合玉堂の絵画を集めた美術館があり、そこへ立ち寄っての下車だったのです。私の父も鉄ちゃんではありましたが、そこまでガツガツ撮るタイプではなく。折角出かけたのだから、そので観光も、というタイプなのであり、その後の私の鉄活動に影響を与えたのも父なのであります。確かこの時の昼食は母が作ってくれたおにぎりを、御嶽駅の下の多摩川の川べりで食べたんじゃなかったかなあ?当時はコンビニなんかありませんから、母も早起きしておにぎりを準備してくれたんです。
この時は奥多摩まで行かなかったような記憶です。御嶽から引き返してきたはずです。そして拝島で一旦下車し、留置されているED16を狙いに行ったはずだったと思います。が、ネガにあったのはこの73系(^^;)
そしてこんな失敗カットがあったんですが、一体、この時私は何を撮りたかったんでしょうね?左の貨車は結構綺麗ですが、タキ1900の様です。しかも車番が連番。日本セメントの看板が付いていますが、これは青梅線からの貨物ではないようですね。八高線かな?更に右端の方に一緒に行った父が写り込んでいます。現在、父は御年91歳ですからこの時はまだ48歳、いまの自分より10歳以上も若かったんだァ。そんな父もまだ存命ではありますが、既に療養型病院のベットの上で母が迎に来るのを待っている状態です。
病床の父を思いつつ回顧した、4月29日の想い出でした。