ニーチェの哲学書です。
「2001年宇宙の旅」のテーマミュージックでもあります。
ずーっと積んだままになっています。
積読状態。
「神は死んだ」として一切の常識を疑い、その上でどのように生きていくか?を説いているそうです。
毎日の積み重ねを永遠と続けて生きるとして、堪えられますか?
やって生きなきゃしょうがないんですけどね。
賽の河原の石を積み上げては壊される毎日に、どのような意味を見出して生きるか?
壊されるとは限らないけれど、災害とかあるじゃないですか?震災も気象災害も。
生きる意味の根源ですが、人生経験不足もあるし、何しろキリスト教でもないし、当時の社会風俗も文化も生活環境もわからない。
答えをドンと提示されても、それが何の答えなのかがわからないので、背景や前提を知らないと理解できないよな、というところで止まっています。
考えてみれば、他人が行っていることの是非は当人の膨大な経験と前提にあり、他人がおいそれと理解できることじゃないとも言える。
そんなことはいっぱいあります。
だから、人の罪を裁量する裁判って相当難しいことなんだと思いますよ。
あらゆることを知ってないといけないけれど、大抵の人は感情で生きてますからね。
すべて理性的とはいかない。
感情に流されて国レベルの失策が起こり、幾多の人が死ぬことも実際の社会に存在する事実。
昨日厚生労働省から、
「雇用保険の支払い間違っていたので追加で払います。統計調査の不備でした。申し訳ありません」
といった内容の通知が届いてました。
調べると私個人は1日数円レベルの未払いですが、国家単位で数億円といった損失計上です。
かんぽ生命の不正契約案件も1万件を超えて、今後さらに増える見込み。
年金も何も信用なりませんな。
まさに神は死んでいるわけです。
そこでヤケにならずに、毎日質実剛健に生きて、自分の自分に対する信頼と信用は失わないようにしないと、簡単に自分も不正に流れる。
あとまぁ、誠実に生きようとする人を食い物にする悪い人もいるので、それに騙されないようにキッパリと断るということも必要で。
流されることと優しさは違いますよ。
楽しようと手を抜いた結果、国家予算レベルの損失なんか簡単に発生します。
そんなところかな。