20歳ぐらいまで、心理学といえば、フロイトよりもユングだったのですが。
リビドー理論よりも、深層無意識だったわけです。
最近はリビドーもさもありなんと。
有り体に言えば、性的欲求なのですが。
生き物なので、性的欲求はあるわけです。
繁殖という本能があるわけで。
そうしないと、どんなに生存能力があっても滅びてしまう。
男性の方がリビドーは強いと思っていて。
ネット広告の内容なんか見ると、性的な内容は多いよなぁと。
自分に対してそのような広告が表示されることを否定はしないけれど。
経済的な効果があるのも、性的コンテンツということ。
女性にはリビドーがないかといえばそうではない。
生き物なのでリビドーはある。
男性よりも現実的になるのは、リスクが大きいから。
とはいえ、可愛いとか、綺麗だとか、女性としての価値を上げる必要はある。
自尊心や自己肯定感も必要だし、それが経済的な価値を生み出すことも否定できないだろう。
日本の出産人口が減っていくのは、性的コンテンツが成り立つのを見ても、繁殖能力に問題があるわけではない。
子供を生むことにリスクがありすぎる。
繁殖能力があっても、繁殖できない。
色々な要因が考えられるけれど、一つには教育コストが高すぎることがあるだろう。
画一的な大量生産された人間を作り出すための教育は、一律性をもたらすが、そのコストは高い。
小学校時代、あるいは幼稚園や保育園などの幼少期から、毎朝同じ時間に同じ場所、同じ人たちに会うことを続けている。
学校に通うことや、画一的な制服が当たり前の社会。
セーラー服=女子高生、ランドセル=小学生が成り立つ現実社会は、日本ぐらいだろう。
どの場所に通うかが、人生を左右する。
と思っているが、そうとも限らないと考えないのは、日本以外の文化を知らないからでもある。
いや、全く約半世紀もそんな生活を続けている自分に対して、うんざりもしているわけだけど。
そういった大量生産の画一的ロボットを作り出せたから、日本の経済成長はあったわけだけど。
大量生産の比率が低くなるにつれて、画一的な教育環境では立ち行かなくなる。
かと言って大量生産がなくなるわけではない。物で言えば、大量生産の製造コストは低くなり、利益を出しやすい。
個別投資や失敗コストが格段に減るので。
人はロボットではない。
少なくとも私はそう思っている。
しかし、日本の文化は、現在だけでなく、気候災害風土上、画一性を持ったほうが生き残る確率が高い。
個別利益よりも、全体最適を目指す。つまり、和を以って尊しとなす文化が必要なので。
災害時には個人の欲求を満たすよりも、社会モラルを高めて復旧に尽力したほうが効率が良い。
そういった文化のために画一的な人を作り出す必要があるのだけれど、それには莫大なコストがかかるし、少量多品種な製品を作り出す文化フェーズへ移行すると、成り立たなくなる。
他人と同じものを持つよりも、他人とは全く違う物を持つ方に価値が変化するフェーズ。
つまり、今のコストが増大する画一的教育環境そのものへの意味が消失しつつある、文化的需要と供給のアンマッチがある。
仕事を辞めること、仕事をしないことが悪で、仕事を辞めたら死しかない。
世界的に見ても、そこまで厳しい文化は少ない。
日本の幸福度が世界的に減る原因でもあると思っている。
つまり、生きることに価値がなくなりつつある。
リビドーがあっても繁殖できない。
このままでは日本は滅びる。
別に滅びてもいいんじゃないかとさえ思えてしまう。
そんなわけで、今は日本、並びに日本に類する学歴社会以外の文化で生きたい欲求が高い。
医療も、清潔で安心な食事も、社会インフラもないけれど、画一的なロボットではなく、より生き物らしく、当たり前に自由に生きて、当たり前に死ねる、そんな社会の方に魅力を感じる。
大量生産の理性的な「愛」ではなく、本来のより動物的な生殖能力的な愛の方が正しいと思っている。
いやまぁ、性的ノーモラルがいいとも思わないんだけれどね。
男性はいいかもしれないけれど、女性にとってはリスクのある行為で。
そんなリスクがある文化のほうが問題だとは思うのですよ。
卵が先か、ニワトリが先か。
悪い事のスパイラルダウンが起きていると思ってはいる。