ささかのブログ

いろんな理由からgooブログに引っ越しました。

カルテは5年

2016-02-15 20:26:02 | 日記
少なくとも私が学生だった20年前には、
「カルテは10年保存しなくてはいけない」
という決まり(法律?)があった。
今はどうやら5年と決まっているらしい。

夜間救急病院の受付アルバイトをしていたのだが、
「一度も来たことがない」
という患者でも、住所氏名生年月日を調べると、既往歴がある。
たかが10年、されど10年。
既往歴の内容によって、診断内容も変わる。
アレルギーがあるかどうかで、投薬内容が変わるように。


カルテというのは医者にとって個人情報の塊であり、それを対外的に公表することは即ち患者は医者を信じられなくなるため、当たり前だが禁じられている。


そこで、私は仕事で人間関係上の問題やストレスがあれば、医者あるいは看護師に報告するようにしている。
自分の頭の中を整理して建設的な結論に持っていくためのプロセスでもあるが、カルテに社内で起きた問題の事実関係を記し残しておくためでもある。
医療関係者としては、患者の相談は、医療費に加算するかしないかはともかく、重要な患者の情報であり、カルテに残しておくべき事項だからである。

後に裁判になるかどうかはともかくとして、絶対に改ざんすることのできない記録として、カルテは重要な事実関係の証拠になるということ。
それは、医療、司法にも有利であるとともに、自分にとっても悪いことではない。

ここで間違えてはいけないのは、法の場と同じく「嘘偽りのない自分」を報告すること。
ここで嘘の報告をしても、後ほど辻褄が合わなくなり苦労するのは自分自身になるから。
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大学

2016-02-05 19:38:34 | 日記
工業高校から大学院まで行った経験は、いろんな価値観を与えてくれた。

俗に言う「不良」は振り返ってみると可愛い。

見た目だけで怖さをかもし出そうとする。

ただその怖さを認めてしまうとそんなに怖くなくなってしまう。

「そのボンタンカッコいいね。どこで買ったの?」


大学には親が金持ちがかなりいた。
私立大学だから。
そしていろんな県から来た、様々な価値観の人と話し合うことができた。

別にしっかりちゃんと勉強をしなくても上位の成績を取ることができることも。
私そのものは金がなくても私立大学を卒業できることも。

私は誰かを蹴落とそうとしたことがない。
テスト前の勉強会では、相手も自分もしっかり納得できるまで考えて教えあった。

まぁ、そこで妥協したくなかっただけ。

あとから考えると、「ずるい」とか「卑怯」とかいうこともやっていたんだと思う。
しかし、正攻法以外の方法で、限られた時間、資金などのリソースで結果を出せるのなら、法に触れないように細心の注意を払いながら、使えるものは使った。

人を巻き込んでも、せっかくだから手柄を自分以外にあげたり。

表に出ない成果の方が多いと思うが、そういう仕事のほうがどちらかというと気に入っている。


大学で学んだことは多分そういうことだと思う。
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そなえよつねに

2016-02-03 08:06:09 | 日記
ボーイスカウトの言葉に、
「そなえよつねに」
という言葉がある。

緊急事態に物も心も身体も備えておいて、例えば川で溺れている人がいたらいつでも助けられるようにしておくとか。

それでも一般人が常にレスキュー隊のように万端の準備はできないので、ある程度の心がけをする。

日常の習慣をつける。
ポケットに入れておくものと場所を決めておく。
いざという時出すものを探さなくて済む。

トイレには行けるときに行っておく。
漏れそうになると焦る。

最悪の回避手段を考えておく。
非常口を確認しておくのと同じで、いろんなミッションにも言える。
この際人に責任をなすりつけるのは、後々良くない。
明らかに理不尽な攻撃には対抗すべきだが。


普段はのぺっとしてれば良い。
いずれやらなければいけない時が来る。
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PD

2016-02-01 21:33:11 | 日記
「パニック障害」を調べるとこうある。

前触れもなくめまい、動悸、呼吸困難といった症状(パニック発作)が繰り返し起き、発作に対する不安と、それに伴う回避行動がみられる病気のこと。PD(Panic Disorder)。

PTSDに近いけど違う。

さて、多くの精神的な病気もさることながら、心の病とでも言おうか。

鬱でも双極性障害でもなんでも共通して言えることは、
「自分を自分でコントロールできない」
状態であることを考慮しなければならない。

例えば鬱状態に入ると「歯を磨いて寝る」という当たり前のようなことができない。
実はこれだけで相当なパニックになる。
物心ついた時から続けていた習慣ができなくなることは相当なショックだ。
当たり前のことができない。
家を出るだけで脂汗が出てきて吐き気を催すほど気分が悪くなったら、それはもう病気だと思っていい。

役割の変化とも言うけれど、そこで意地を張って健常者を無理に演じるよりも、自分自身を「病人」として受け入れる必要がある。

自分の思う常識的行動が、当たり前になんの意識もせずに行えていたことが、できなくなるのだから、パニックにもなる。
自分で自分を省みて、死にたい気持ちになるのもわかる。

でも、こう考えてみてはどうだろう。

長年なんとか生きてきた。
ちょっとだけ一休みしてみよう。
自分は立派な病人だ。
病人は休むのが義務。
無理して動いて、ただでさえパニックになっている自分自身を、またさらに傷つける必要はない。

とにかく安心な場所を見つける。
行政の保健所や大きな総合病院に行けば、ソーシャルワーカーという仕事をしている人がいる。
デイケアといった、安心できる守られた場所がある。
保険適用で日中を過ごし、少しづつ体を動かしたりしながら、パニックになっている自分の心と体を正常に戻していくという、認知行動療法もある。
さらにそういった訓練を無理なく助ける理学療法士や心理療法士などといった専門家のもとで、リハビリできる環境がある。

更に最近では、対人関係療法といった根本的なコミュニケーション能力を向上させることにより、自分の意思を周りの人たちに上手に伝えることで、パニックになる環境そのものの改善をはかる方法もある。
この方法は素直な意志疎通をすることが目的となるため、再発症率が小さい。

最近の内服薬も進化しており、薬の依存性などを心配するよりも、服用してパニック状態で混乱している思考を、整理するために服用するといった使い方をすればよい。

いろいろな処理能力が落ちて愕然とするかもしれないが、先にも述べたように休んで頭が整理されれば元に戻る。

ちょっとした人生の道草だと思って、他人がなんと言おうが(それが肉親関係だとしても)休むのが病人という役割。

混乱している上に焦ると良い判断はできないので、その辺りも気をつけておいたほうがいい。

一番の近道は地道に進むことであることは多い。

これが誰かの道標になれば。
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