ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

Photoshopでアルミ板を作る

2015-10-26 20:46:31 | Technics
不定期開催。
Photoshop講座!

本当は夏にやる予定でしたが、あっという間に過ぎて秋、そして冬が来てしまいます。

というわけで、いっちょPhotoshopでアルミ板でも作ってみますかね。


Photoshop起動。
ファイル→新規

とりあえず、何にでも使いようがある幅:1280ピクセル、高さ:1280ピクセルの、解像度:300ピクセル/インチで、OK。

普通に正方形のキャンバスができます。

右下の方にチャンネルタブがあるのでチャンネルタブをクリックしてその右にあるメニューをクリックして
新規チャンネル。

OK
見た感じ特に変わりません。

右下の「チャンネル」ウィンドウのアルファチャンネル1の目をクリックして、RGBの目をクリックすると、アルファチャンネルだけの画面になります。

基本的に真っ黒。

ここにノイズを加えます。
フィルター→ノイズ→ノイズを加える

適当に12.5%でOK。

点々だけでます。

デジャヴ?そうではありません。
ここまでは前回のPhotoshop 講座と変わりません。
ここからが違います。

フィルター→ぼかし→ぼかし(移動)

角度:0°、距離:36pixel。この辺は適当。
OK

うっすらスジが出来ました。

うっすらでは困るので、色調補正できっちりスジを出します。
イメージ→色調補正→トーンカーブ

真っ白の部分と真っ黒の部分の範囲を狭めるわけです。
OK。

きっちりスジが出来ました。

右下ウィンドウの、レイヤータブをクリックして、その右のメニューから、
新規レイヤー

何も考えずに、
OK

見た目変わらないけど、背景の上に1枚セル画が乗っている感じになります。

選択範囲→全てを選択(Ctrl+A)

レイヤーの全てを選択します。
ツールの選択ツールをクリックして、右クリックして、
塗りつぶし

使用:50%グレー、不透明度:100%で、
OK

灰色に塗られました。
今度は先ほど作ったチャンネルを選択範囲にします。
チャンネルタブクリック→アルファチャンネル1を、
Ctrl+クリック

筋目の選択範囲が出来ました。

これをトーンカーブで明るくしてやる。
イメージ→色調補正→トーンカーブ

真ん中あたりを少し持ち上げる。
OK

なんも変わらん?
選択ツールで選択範囲外をクリックして選択を外してみる。

ほーら、見てごらん?筋目らしいモノが見えてこない?

もう一度、新しいアルファチャンネルを作って、今度はトーンを下げる。
新規チャンネル

ノイズを加える

ぼかし(移動)

レイヤーはそのまま

RGBのチャンネルの目をクリックして表示

アルファチャンネルは目をクリックして非表示

イメージ→色調補正→トーンカーブ

今度は色調を下げてあげる。
OK→選択範囲の解除

ちょっと暗すぎるから、色調補正で少し明るくする。

白になる閾値を下げる。
OK
こんな感じ。


ここに、ぼかし(移動)やら、周辺部の不連続部分を切り取ったりすると、こんな画像が出来ます。

その上で、あれやこれやと文字を重ねたりすると、


「アルミ板」とか「ステンレス板」とか、適当に言い張って使ったもの勝ちです。

参考まで。
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二律背反

2015-10-13 20:24:52 | 日記
二律背反を書こうと思って調べたら、例が結論だった。

「私は常に嘘をつく」

この言葉が正しいとすれば、この「私」は正直であるといえる。
でも「嘘をつく」のだから嘘つきなのだ。

「正直に嘘をつけ」
と言われた場合どうする?
「では喋りません」
喋ってんじゃん!?
でも嘘をついている。

一見あり得なさそうに見えるこのような問題は、社会の中に数多く存在する。
大抵の場合、二律背反どころではなく、多律多反多正多中だったりするので、適当なところで折り合いをつける。

「安全な乗り物」
有るようで無い。
運動エネルギーが与えられる限り、衝突時のエネルギーは発生する。
現時点で問題となっているエアバッグの不具合など皮肉なもので、安全装置が人に危害を加えるとなれば、ムカつくよねぇ。理不尽だもの。

「エコな生活」
よく聞くけど無い。
エコロジーのためなら、人間文化など存在しない方がいいという極論もある。
とは言え映画「アルマゲドン」のように、地球生物滅亡を防げるのは、人類かもしれないので、そんなに悲観しない。

「全て金で解決」
しない。
同じサービスに対して、
・無料
・適正価格
・高額
という選択肢があった場合、全ての人は無料を選ぶとは限らない。
駅前で演奏している人にも少しは気に入れば金を出そうという気にもなる。
ブラックジャックのように治療のために高額な金額を要求したり、全く要求しなかったり。
ゴルゴ13のように依頼者の通り殺しても、他の誰かを助けたり。
仮想人物だけどね。

「時間旅行できない」
物理学的には不可能だけど、思想としては可能。

「高くて安くて安全で危険でかっこよくてかっこ悪くてスマートでデブ」
不可能な様で可能。
人の基準は曖昧だから、微妙なバランスで成立させることはできる。


私たちは結局のところそんなことを毎日のように繰り返しているわけで、簡単すぎても難しすぎてもいけない、微妙なバランスで生きている。

難しい方が簡単で、簡単な方が難しかったり。

終わらせようか終わらせまいか悩むけど、とりあえずここまで。
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2015-10-11 04:54:51 | 日記
人は意外と嘘をつく。

自分も含めてなんですけどね。

言うべき時に言うことを言えないというのも結果的に嘘になってしまう。

何も言わないことが肯定になったり、否定になったり。

「あー、あの時ああ言っていればよかった!」

と気付いて後悔するとか。


でも過ぎたことなんだから仕方ないと諦めるしかない。

これは嘘か?嘘じゃない。

次に備えて予行練習しておくというのも手。

問題は自分で自分のことにつく嘘。

何かの説明を求められた時、適当についてしまう嘘。

小さな嘘をつくと、それを補完するために更に嘘の論理を乗せていくしかなくなってしまう。

そうするとどんどん物事の解釈がゆがんで行ったり、泥沼に入っていってしまう。

「うん。ごめん。今までの全部ウソでした!」

と、言うことは案外難しかったりする。

だってほら、プライドとか、責任とか、大人になればなるほど問題になったりするじゃない?

なんだか思考の変なループに入っているなと思ったら、
「そもそも前提が嘘なんじゃなかろうか?思い込みじゃなかろうか?」
と、リセットしてもいいと思う。

嘘の自分を認めるというのは嘘ではない。

年取ると難しくなってきちゃうんだけどね。

経験則ほど厄介なものはないと思う。

これがいろいろな偏見を産んでしまう。


私が基本的に信じてないのが、

血液型性格判断
北枕
方位診断
大安仏滅

よくよく調べると、なんにも因果関係が無かったりする。

あとことわざはあまり使わない。
物事を断定するときにもっともらしく言うけど、大抵逆の意味のことわざもあるから。

愛は信じたいところ。
愛があるから生まれてきたし、生きていられる。
人を憎むのだって愛ですよ?
相手が自分の期待と逆のことをするから恨むんですよ。
どうでもいい人にそもそも期待しないでしょ?
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アイドル

2015-10-09 22:51:23 | 日記
idol
【名詞】
1偶像, 〔キリスト教〕偶像《神以外の神像》;偶像神,邪神.
2崇拝される人[物], アイドル.
3誤った認識, 謬見(びゅうけん), 誤謬.
4((古))幻影, 幻.
5((廃))像, 虚像;ぺてん師.

出典:ハイパー英語辞書

あまりいいイメージは無いです。

ちょっとイベントがあり、本当のアイドルの仕事を見た。

ほとんどは十代そこそこ。

楽屋入りから舞台、終了後の握手会、終わってからのミーティング。

2の「崇拝される人」が一番ふさわしいと思った。

すべて全力。絶やさない笑顔。不満なんて漏らさない。
「よろしくお願いします!」
と元気一杯に挨拶する姿は素晴らしい。

世の中の大人たちよ。見習おう。
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義務教育(再々)

2015-10-01 19:23:37 | 日記
学級委員長になるのを号泣しながらこばみ続けたり。
授業中後ろを向いて話をしていたのを咎められ、給食も食べずにずっと教室の後ろに立っていたり。

教員にとってはどうにも取り扱いづらい生徒だったろう。

"Chao!"
というイタリア語の挨拶をなぜか多発していた小学6年生の時、新聞委員で「シャープMZ-1500の全て!」などという超マニアックな記事を書いていた頃、とある道徳の先生に、
「教育の場にパソコンを!」
という直訴をしに行ったことがある。

よく考えればその時期ファミコンゲームがメインで、小学校の印刷物でさえわら半紙のガリ版で印刷していた頃、小学生の教育現場でパソコンを導入するなんてことを、一教員が決められるはずがないのだが、真摯に話を聞いてくれた。

その先生が書道を教えるとき、その日の授業など上の空の私が、当たり前のように書道セットを忘れて、みんなの目の前で、
「書道道具を忘れるなんてなんということだ。家が近いんだからとりに帰れ!」
実際近いからとりに行くかと思うと、
「ちょっと一緒に来い」
と準備室に連れて行かれる。
「とりあえず家に帰ったということにして、予備の道具を貸してあげるから。少ししたら来なさい。今度は忘れないようにしなさいよ?」




世の中のすべてを教わった気がする。

正攻法だけが全てじゃない。
ルールはルールとして存在する。
しかしそれを馬鹿みたいにすべて守ることはない。
それ以上に大きなルールがあれば、その中で勝負すればいい。

最低限守るべきルールがある。
権利を主張するならそれ相応の義務を果たす。
その上でやりたいことをやりなさい。

勉強は誰のためにする?
先生のためでも親のためでもない。
自分のためだ。


大学で首席になって特待生となった時、次席で特待生になった学友に相談された。
「俺、先生に取り入ったりして特待生になっちゃったけど、いいのかな?他に必死で勉強している奴がいるのに?」
「いいんじゃない?そういうやり方だってあるさ。どういうやり方でなっても結果が全てだよ」

正直な気持ちをそのまま言った。


大学の頃「利己的な遺伝子」という本が流行った。
遺伝子が生き残るために生物は進化する。
ミトコンドリアが生き残るためとかいう理論もあったような。

生存競争を生き抜くという観点からすれば、どんなルールもあって無きに等しい。

ただ、敵が多いとやりにくいから、味方は多いほうがいい。

そういう意味では平和主義者なのですよ。
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