ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

アクティブ中道

2015-12-19 08:53:06 | 日記
映画リトル・ブッダの中で、船の上でシタールらしき弦楽器を教える師匠と弟子が、
「弦は張りすぎれば切れてしまい、緩めすぎれば音はならない。ちょうどいい張り方をしなければならない」
というやりとりを聞いて、ブッダは中道という悟りを得る。
とにかく過酷な修行をすることを自らやめる。

結構重要なこと。

先日津軽三味線の演奏を見た。
かなり激しいバチさばきをするので、胴には猫の皮ではなく犬の皮を使っているそうだ。
バチは象牙だったり、なんとも罰当たりな話。
でも弦は絹糸。
温度や湿度ですぐ伸び縮するので、演奏中でも調弦する。
イントロは調弦しながら合わせていく。

ちょっとギターをいじったことがある人なら、演奏中に調弦など難しいし、演奏が終わったら完全に弦を緩めないと、今度はネックが曲がることを知っている。

全く関係ないようだが、体操は緊張と弛緩の連続だったりする。
ある筋肉に力を加えたあとは、完全に力を抜く。
スポーツのあとは、ストレッチや休憩が必要。
破損した筋組織や傷んだ筋組織を修復する必要がある。

生きている中でも、とても緊張が必要な時と、本当にゆっくり休む必要がある。
いついかなるどんな時も真面目なんてありえない。
トイレに行かないアイドルなんかいないけど、行かないことにしておくことはある人たちにとっては必要なのだろうが。

だから、アクティブ中道。
いついかなる時も中道でいることもありえなかろう。
時に緊張もするし、その反面だらけることもある。
緊迫した場面から一度離れることも必要。

24時間運転し続けて事故を起こしたら、免許取り消しと、道路交通法でも決まっているし。

アクティブ中道。そんなイメージ。
コメント (2)
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役割期待

2015-12-14 06:33:23 | 日記
ものすごく当たり前に、ほとんど無意識でやっていることの一つに「役割期待」というものがある。
「親はこうあるべき」
「子はこうあるべき」
「先生はこうあるべき」
「生徒はこうあるべき」
「上司はこうあるべき」
「部下はこうあるべき」
「男はこうあるべき」
「女はこうあるべき」
など、結構いろいろな期待をしているが、たいていの人はそれを相手がしてくれなかった場合、怒ったり、不安になったり、悲しんだりする。

大抵これはただの思い込みだったりする。

相手も自分と同じなんだと思ってしまえば、そんなに怖れることはない。


逆に役割期待が自分の思っている以上だった場合、これもまた怖れとなる。

「6歳の子供が、複素関数の偏微分方程式を解く」
「駅構内のホームレスが、酔拳の達人」

ありえないと思うが、結構あったりする。

相手の能力や経歴を色眼鏡なく受け入れる準備をしておけば、そんなに怖れなくていい。

役割期待とは、ただの思い込みなのだから。
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