ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

自己決定感

2024-06-27 07:59:29 | Culture
人生思い通りにならない。

そう思うと、何をやっても上手くいかないので、すぐに諦めるし、深く物事を考えないし、自暴自棄になる。

賭け事に手を出すし、犯罪に手を染めてしまったりする。

失敗を重ねて、先行きの展望がなくなり、夢も希望もなくなる。


小さなことから自分で決めたことを実行し続けると、自己決定感が上がってくる。

生活
 決めた時間に起きる。
 睡眠時間を確保する。
 必要十分量の食事をする。
計画
 決めたスケジュールで動く。
 予定を立ててそれを実行する。
 期日までに必要な手続きを済ませる。
 人との予定に遅れない。
健康
 体重を維持する。
 感情をコントロールして、怒ったり泣いたりしないようにする。
容姿
 服装をきれいに維持する。
経済
 自分の収入と支出を管理する。

これらのことをしっかり行えば、自己決定感が上がり、自暴自棄にならず、夢と希望を持って生きることができる。

これを実現するためには、様々な仕込みも必要で、多くの努力が必要になる。

やることを忘れないようにするメモやスケジュール帳やペンは、最低限の必須アイテム。

自己決定を妨害するのは自分自身でもあるけれど、他人の影響もあるので、付き合う人を選んだり、関わりを考慮する。

自分を利用だけしようとする人、すなわち自分をコントロールしようとする人とは、距離を取り深く関わらない。
すぐ感情的になって、怒って人をコントロールしたり、コミュニティ内での噂話などで人をコントロールする人も多い。

無為な時間で、いつの間にか時間を浪費するものとの距離を見直す。
テレビやゲーム。パチンコや飲み会。漫画SNS、YouTubeなどなど。
これらは大衆の時間を奪い、趣味嗜好をコントロールして、自分の特定の領域の経済活動を促すものと考えると、自己決定とは反する。


コミュニティ内での噂話にも関連するけれど、上記のように自分自身をコントロールすることは難しい。

自分自身を深く知り自己変革することは、本当に大変なこと。

だから、他人を批判したほうが楽なのです。

他人を批判して、自分の水準になるようにコントロールするほうが圧倒的に楽。

そのような人とは距離を取るべきなのだけれど、さらにこれに加えて、他人を自分の利益になるようコントロールして利用だけする人もいる。

真っ先に浮かぶのは、管理職や派遣会社。
すなわち一般的には会社組織。
経済活動の利潤追求のために人を利用だけする人はかなり多い。
相手がどのような人間なのかしっかり見極めて、関わりを考える必要がある。

すぐ怒って人をコントロールする人も多くいる。

怒ることは生き物としての防衛本能なので、無理に抑圧するべきではないと思う。
したがって、自分に害をなしたり、怒るべき相手が自分を利用だけするのならば、怒って自己防衛するべきだ。

ただし、怒るという情動は、変革のエネルギーが大きいが、自分への評価が下がる原因でもある。行動をやりにくくなる原因になる。
別の手法で代替できないかを考慮するべきだと思う。


自己決定するのが難しいのは当然でもあり、人が作り出した文化文明は、組織だって行動することによって、連携して生存競争に勝つところにある。
人がお互いに人を利用し、コントロールしながら社会を形成する。

コントロールできない相手とは戦争をしてでもコントロールする。

そんなことを繰り返しているのが人類であるわけで、その中で自己決定感が下がるのはもっともなのだ。
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お勉強の日

2024-03-17 23:05:39 | Culture
今日は自宅で机にかじりついて勉強の日。

日商簿記や中小企業診断士を学んで、最高の勉強法を読んだりしました。






知らないことが多いです。
知れば、かなり物事が簡単になります。
それに気づくことが重要なんですよね。

まだ読み切ってないけれど、面白そうな本。




日本の雇用がなぜこうなっているのか。
また、雇用体系の歪で何が起こっているのか。
知っているようで知らない社会を俯瞰してみることができます。

そのあたりを網羅的に説明しているのが、橘玲さんですね。



岡田斗司夫さんがYouTubeで語る日本社会は、かなり橘玲さんに影響されていることが分かります。

私のブログのような、根拠がない社会論ではなく、出典となる論文がしっかりある橘玲さんの本を読んだほうが良いですよ。

それでも橘玲さんがやるなぁと思うのは、しっかり自分の著書を引用して、それを買いたいと思わせるところですね。

このくらいしっかりと思考を整理できる本を書ければ、相当社会に役立つと思います。
本の執筆とかもやりたいと思うけれど、それはまたそれで。

自分の日本語説明能力はそんなに上手ではないとは思っているけれど、少しずつ書きながら鍛えていこうと思っているのですよ。
言葉では難しければ、図解でもいいですよねとか。

そのあたりぼちぼちやっていきます。
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地域性

2024-01-31 09:15:32 | Culture
日本国内を何箇所か点々と住んでいます。
同じ日本でも、土地土地で違う文化に出会います。
全ては無理なので、少しだけ特徴をピックアップしようと思います。

・北関東(群馬県、栃木県)
夏暑くて、冬寒い。
群馬県は冬場の北風が強すぎて、自転車が進まない。
栃木県は朝は零下になるので、車のガラスに張った氷を落とす必要がある。

都心に近すぎる田舎。
数時間で都心まで出ることができる。
だから、最先端の都会と自らの田舎部分を比較してしまい、劣等感を感じる。
山梨県などの、自分たちの文化は自分たちで作るという自主性がない。
逆境に強い。

・千葉県
東京の東隣。
京葉工業地帯。
東京のベッドタウン化しているが、電車ではなく車で移動する必要もある。公共交通手段が東京ほどではない。更に道が狭い。
従って、道が異常に混む。

・愛知県
産業都市でお金はある。
しかし、従順な労働者としては優秀だけれど、自主性があるかといえば疑問がある。
知的レベルは平均化されて少し高い?
長いものには巻かれろ。
個性よりも重要。

・大阪府
東京大震災や東京大空襲などを経ていないため、古くて小さい賃貸住宅がたくさんある。
従って、収入が低くても生活していける。
また、収入が低いからと言って、卑屈にならずに怒ることができる。
ボケ・ツッコミは日常でも行われる。
労働組合運動が盛ん。
コミュニケーション能力が、全体的に高い。

一部を切り取った評価なので、賛否ありでしょう。
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バカと無知と読書法

2024-01-30 22:59:37 | Culture
橘玲(たちばなあきら)氏の、「バカと無知」を読みました。

びっくりするほど自分の思考と似ている上に、エビデンス(論拠)もしっかりしているので、読んでいるうちに付箋だらけになりました。

面白いと思った箇所には、AmazonのKindle電子図書の場合マーカーを引いて、実図書の場合は付箋を貼ります。
一通り読み終わったあと、マーカーや付箋を貼った場所だけ読み返します。
必要があれば、追加で調査します。

図書館で借りる本は、ノリによって経年劣化で色が変わるため付箋を貼れないのですが、そんな場合は紙を短冊状に切って差し込んでいきます。

本を買うか買わないかの判断基準は、半分以上のページに付箋や短冊を差し込む必要が出た場合。
図書館の複写制限は書籍の半分以下ですが、複写費用と時間を計算して、3分の1のページに付箋を貼る必要があったら、買ったほうが安上がりと計算できます。

逆に言えば、買う価値ありです。

逆の場合もあって、AmazonのKindleの場合、重要なところに赤をマークしますが、間違っているとか、論拠不明とか、矛盾した論理の部分に青をマークします。

図書館の本の場合、黒い印をつけた紙を挟んだりします。

青いマーカーや黒い印の紙が10箇所を超えたら、「読む価値なし」と判断して差し支えないと考えます。

残念ながら、このような本は存在します。

マンガにはそんなことしないですけれどね。1時間もあれば一冊読めるので。


付箋だらけになった「バカと無知」ですが、エビデンスを調べます。

IAT(潜在連合テスト)で、潜在的な差別、例えば黒人と白人では、白人であろうが黒人であろうが黄色人種であろうが、白人を善、黒人を悪と判断してしまう。

実際にやってみると、テストは恣意性を感じますね。
反応時間を計測しているそうですが、試しに意図的にというよりも、悪そうな白人はやっぱり悪そうなので、悪いイメージは白人だろうが黒人だろうが関係なく悪いと判断したら、なんだかよくわからない結果が出ました。

「ダニング=クルーガー効果」もしっかり調べる必要があると思って調べてみました。

ダニング=クルーガー効果は、そもそも能力が高い人がテストを受けると、自分ができたのだから他の人もできるはずと得点を低く見積もる自己採点をします。
能力の低い人が同じテストを受けると、よくわからなかったけれど、多分できているだろうと、得点を高く見積もる自己採点をします。
その結果、能力の高い人と能力の低い人の自己認識する結果は、ほとんど変わらなくなってしまうのです。

この結果から、著者は、「バカは自分のバカを認識できない」という強烈な論法を代弁しています。

代わりに、能力のある人は、自己評価を低くしてしまうのです。

これはしっかりデータを分析する必要があると思って、論文を当たりましたが、日本語の詳細な論文が見つからず、英語の論文をしっかり読む必要が出てしまい、詳細検討できていません。


というわけで、「バカと無知」は非常に面白く、納得する論理でもあるのですが、背景にある実験や理論の背景をしっかり検証しておく必要があるなと感じています。

たまに、論理がしっかりしていて、非常に筋が通っているのだけれど、基礎論文やデータまで確認すると、独自解釈してしまっている人というのもいるのですよ。

ものすごく納得の行く人の話を聞いた場合、しっかりと背景情報まで調べます。
その人を信じていないというよりも、一次情報まで遡って分析するのが、科学者として当然の好奇心で、最大の敬意の表しかただと思っています。

リーダーなどの中には、プレゼンが非常に上手で、研究予算をがっちり取れる人がいるのですが、肝心の実験を担当していないため、本質的理論を全く説明できない人や、聞くと担当者に丸投げする人とか、話をはぐらかしたり嘘を堂々という人とかもいるんですよ。

社長や教授でもいます。

だから予算を取れるんだろうなと思いますが、研究者としてプロフェッショナルかは意見が分かれるところです。


「バカと無知」はいいほうです。

睡眠時間を減らせないかと思って、ショートスリーパーの本を読んでいたのですが、冒頭に、「客観的な情報のみを書いています」と書いてあるにも関わらず、完全な私見や、専門がわからない医者の意見や、母数がわからないデータの平均で何%以上とか、分散や標準偏差の値などを全く考慮しないとか、そもそも集団わけが曖昧だったりして、青いマーカーを付ける必要が大量に発生して、読むのをやめた本があります。

そういうのは、詐欺師がよくやる手段なんですよね…。

せっかく買ったのに、AmazonPrimeで0円で読んだ本のほうが圧倒的にエビデンスがしっかりしていて、ショートスリーパーはリスクが有りすぎると思ってやめました。

Amazonでのレビュー数は前者が高いんですよね…。しっかりレビューしようかどうかは検討中。


つまりですね、世の中には読んで価値のある本と、読んでも無駄なだけの本があるんです。

その間ほかのことができずに、せっかく貴重な時間をかけて読むのです。
経済学で言う機会損失を計上するわけで、それは避けましょうと。

それで、結局それが有用な本か、無益な本かを見極めるためには、自分自身の知識と教養と経験が必要なのです。

本は他人の経験や思考を疑似体験して、自分の実践経験をするコストやリスクを削減します。
しかし、最終的には自分自身で実践して確かめる必要があります。

知識は使うための道具なのです。
ただ知っているだけではなく、それをどう応用するかなのですが、そのように知識を使っている人は少ないというのも事実です。
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大衆政治

2024-01-17 08:07:52 | Culture

民主主義なので、いわゆる大衆、庶民、民衆の意見が尊重される。

 

政府主導、政治主導、官僚主導などといわれるが、本当に最高決定者が国政を動かしているのかに疑問がある。

 

内閣総理大臣などの主導者の意思決定は、政治的意思決定に数パーセントは存在しているのだけれど、その主導者を選ぶのも基本的には大衆であり、意見を挙げていくのも大衆でもある。

 

日本を第二次世界大戦に向かわせたのは、政治家や軍部ではなく、新聞メディアであったという論もある。

新聞メディアの購読者は主に大衆になる。

もちろん、記事を書く記者の能力もあるし、新聞や雑誌とする編集者や編集長の才覚もある。

それを迎合するのは、最終的に大衆ではある。

大衆が、諸外国への戦争および侵略を煽る記事を迎合し、その迎合の動きによって軍部が勝ち目のない戦を強いられるようになったという見方もできる。

どちらを被害者ともすることができるし、どちらを加害者とすることもできる。

一般的に世の中で起きている多くの問題はこのような問題でもある。

 

これを防ぐにはどうすればよいか?

結局のところ、一般大衆がしっかりと世の中の動きを理解して、冷静に分析して、賢い選択をしていく必要がある。

つまり、大衆の頭が悪ければ、そこから選ばれる政治家も頭が悪くなる。

頭の悪い政治家を生むのも大衆であると言える。

賢い選択を行っている人をしっかり評価するのも、大衆の責任になる。

 

日本は政治力が弱い。

周囲を海に囲われ、簡単に侵略ができない地の利がある。

従って、異民族、異文化、異宗教、異人種による侵略を受けにくい。

代わりに、比較的平和的に輸入した外国文化を、強制力なく受け入れるため、独自の発展をする。

漢字、仏教、クリスマス、カタカナ外来語等、いつの間にか受け入れてしまう。

他の諸外国は、基本的に地続きで往来が自由であるため、簡単に侵略が起こるが、その分それを防ぐ交渉力、すなわち政治力が発展する。

逆に言えば、日本に政治が必要かどうかは疑問ではある。

古くから「和をもって尊しとなす」相互監視社会が基本なので、勝手に組織最適化を目指す。

しかし、小さく狭い村単位での価値観で村八分も起こるので、より大局的な視点も必要ではある。

 

ところが、労働権立法に関しては、ほとんど政治任せである。

経済活動は個別の企業に任せる自由経済主義であり、近年は新自由主義で、いわゆる郵政民営化など、行政機能をより自由競争社会に任せる動きが加速している。

本来、労働人権確保は労働組合が担うべきなのだが、学生運動などを強力に封じ込めた結果、その活動の火種は初期段階で消火されてしまう。

労働者の人権を主張できない文化を創り出してしまった。

 

現在は、労働組合擁護の風潮が高まっているのではないかと感じている。

結局のところ、労働者の現場の問題は、弁護士や政治家や厚生労働省などよりも、より労働者に近い労働組合が、労働組合法により実質的な実行能力を与えられている。

それを有効に活用してほしいというのが、政治家、法律家の考えである。

 

労働組合法の大前提は、「労働者と使用者は対等である」となっている。

商業経済優先によって、理不尽な人権の侵害に泣き寝入りするのではなく、しっかりと生きる権利を主張するための法律。

現在ほとんど忘れ去られているのが現実だと思うが、5月1日の「メイデー」は、アメリカの労働組合で、現在当たり前となっている、一日8時間の労働時間を、多数の犠牲者を出しながら勝ち取った記念日である。

一日8時間の労働時間は、国や企業から与えられたわけではなく、労働者が勝ち取った権利なのだ。

かつて一日15時間の労働時間が当たり前だったときに、労働者の健康の維持ができない、睡眠時間が取れない、自由時間が取れないという人権上の問題があったために、それを改善するために大衆が動いた。

 

政治が大衆を決めるのではない。大衆が政治を決めるのだ。

打倒などの直接的な攻撃ではなく、まずは、個々人が歴史を理解して正しい知識で世の中の動きを観察して、判断していく必要がある。

そのためには、近視眼的にならざるを得ない不確実で危険な生活ではなく、落ち着いて大局を見渡せるゆとりある時間を確保する必要がある。

そのためにも、法定労働時間8時間は非常に重要な制限である点を忘れてはならない。

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