落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第71話 

2013-05-20 10:47:34 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第71話 
「美浜原発の、事故記録」






 「名前はロマンチックです。
 確かに風景も、とびぬけて美しいところです。
 しかしこのくるみ浦の集落は、
 2度にわたって絶滅をしたという、きわめて哀しい歴史を持っています。
 最初の絶滅は、戦国時代から江戸時代の中期にかけて、
 一夜にして大津波に襲われ、すべてが絶滅をした、と言う記録が残されています。
 昭和30年に発行された『西田(にしだ)村誌』には、
 『小川(おがわ)の裏の山を越した海岸を、血の浦といい、
 そこには以前、クルビという村があったが、ある晩、村人が出漁中に
 大津波が押し寄せ、神社と寺と民家の一軒だけを残して全滅をした。と記されています。
 その一軒の家は、後に早瀬(はやせ)へと移住し、今は大阪にいるといいます。
 クルビ村がなくなったとき、日向(ひるが)は海、早瀬は山をもらい、
 小川は、ご本尊の延命地蔵菩薩(ぼさつ)をもらった』
 と言う、古い言い伝えも残っています。



 日向や小川では、『くるみ村が滅んだのは、鶏(にわとり)の肉を
 魚釣りのエサにしたからだ』と、今でも語り伝えられています。
 若狭湾沿岸の漁村には、鶏は海難をもたらすとして、釣りエサにしてはならず、
 漁に出るときの弁当に、鶏の肉や卵を持っていってはならないとする
 鶏禁忌(きんき)の伝承があります。
 戦後になってから、電気も引かれていない、人里離れたくるみ浦に、
 外地からの引き揚げ者たちが入植をしました。
 私のおやじと、おふくろも、その入植者のひと組でした。
 昭和30年ころになると、10戸余りの開拓村が築かれましたが、
 田畑に利用できる平地は限られ、背後に山が迫る日陰地では、
 まともな作物もとれず、やがて、全戸が離村してしまいました。
 それが2度目となる、くるみ浦における絶滅です。
 私も一度だけ、海から船を使って、おやじやおふくろの想いが残る
 その、くるみの地に上陸した事が有ります。
 おそらくその頃のものだと思われる、ふろ釜や、茶わんなどが
 廃墟群のいたるところに、散乱をしていました。
 住居跡の周辺には、高波によって打ち上げられたと思われる漂流物なども散乱していて、
 この地で暮らすことが、いかに厳しかったかが、容易に推測できました・・・」


 山本がひと息を入れて、再び、お茶を口元に運びます。
しかし、その目もとに焦点はありません。
遠い故郷の景色を思い出しながら、過去の記憶を語っているうちに、山本の脳裏へは、
懐かしい若狭湾の光景などが、ありありと甦って来ているのかもしれません。
(瞑想の邪魔などはしないように、余計なことは言わない方が今は賢明だ・・・・)
響も、ひと息を入れることにしました。
手元に置いたまま湯気をあげている茶碗の中へ、響が目線を落としています。
茶柱がひとつ、茶碗の底の方でゆらめいていました。



 2杯目のお茶を飲み終わったあと山本が、ゆっくりと体の向きを変えました。


(きっとまた、疲れ過ぎているんだわ。私がまた調子にのりすぎて、
 山本さんに、長い話をさせすぎてしまったせいかも知れない。いけない、いけない)

 響が手を添えると、山本がゆっくりと身体を横にしはじめました。
起きあがる時にも山本は、体力と筋力の不足を感じさせましたが、横になる時にも、
やはり自らの力では身体をささえきれないというような、そんな心細さが
ありありと体の中から滲み出ています。
布団に横たわった山本が、胸を使って早い呼吸を繰り返しています・・・



 (酸素を取り込むにしては、極めて浅すぎる呼吸の様子だ。
 一体何の病状なのかしら・・・・ちょっとしたことで、簡単に疲れ過ぎてしまうんだもの。
 これからは、私がもっと責任を持って、注意を払う必要があるようだ。
 とりあえず、少し眠ってもらおう)



 耳元で『なにか欲しいものが有りますか?』と響がささやくと、
山本が『今は何もいりません』と答えてから、ゆっくりと目を閉じます。
足音をたてないように立ちあがった響が、そのまま居間のテーブルへ向かいます。
早くも寝息を立て始めた山本を横目に見ながら、響がノートパソコンを
テーブル上で立ちあげます。

 パソコンが立ちあがるまでの、わずかな時間のあいだ響の視線は
眠りに落ちた山本の痩せこけた横顔へ、クギ漬けのままになっています。



 山本が生まれて育ったという風光明媚な若狭の海はたったの50年前から
日本でも有数の原発銀座として、その道を歩き始めました。
若狭湾に突出する敦賀半島は、全国的にも密度の高い原発半島として有名です。
先端部には、敦賀原発、美浜原発、高速増殖炉のもんじゅの3つが建てられています。
こうした先がけとなったのが、関西電力によって建設がすすめられた
日本で最初の商業発電となった美浜の原子力発電所です。


 関西電力の当時の社長、芦原義重氏がその陣頭指揮を取り、
1965年1月に、その社内において「建設推進会議」が設置されました。
「大阪万国博覧会に原子の灯」という合言葉と、威信をかけた大号令のもと、
1967年8月21日に敦賀半島で、日本初となる美浜原発1号機の建設がはじまりました。
1970年7月29日に運転を開始した1号機が、ついに臨界に達します。
1970年8月8日には、大阪府吹田市で開催されていた日本万国博覧会の会場に
約1万kwが試送電され、会場内の電光掲示板には送電されたことが表示されました。
同1号機は、同年の11月28日から正式にその営業運転を開始して、
電力会社として日本で初めてとなる、原子力発電による運転を開始しました。



 現在、全国で稼働している原発の54基のうちの14基が、若狭湾に建てられています。
日本に有る原発の、26%が若狭湾に有るという計算になります。
美浜原発は長い歴史の中で、いくつかの極めて深刻な事故を発生をさせています。
しかしそれらの全ては当時において、まったく公にはされず、長い期間にわたって
国民を欺き続けてきたという歴史も内包をしています。
国の威信をかけてなりふりかまわず強行されてきた原発の建設は、その危険性や
内部での事故は常に明らかにされず、事故の事実は隠ぺいされてきました。



 「余りにも危険すぎる事実だからこそ、公表が出来ない。」


 これこそが、電力会社が長く事実を隠ぺいしてきた、最大の理由です。
隠したいのでは有りません。
隠さなければならないほどの重大な事実だからこそ、常に隠ぺいが必要とされてきました。
これらのことは、真相を小出しにしてきた3.11の東電の姿勢にもよく共通をしています。
原発にかんするかぎり事故はそのまま直接、人命に関わる危機事態に発展します。
ゆえに、原発を持つ電力会社のこうした隠ぺいの体質は、必然的にその発足の当初から
必要悪として政府や経済会からも、長きにわたって容認されてきました。
こうしたことによりすでに日本の原発は、誕生直後やそのスタートの当初から、
人間性を置き去りにして、誤った道を歩き始めていたのです。


 このことを明確に証明するかのごとく、美浜原発の長い歴史の中には
数度にわたって放射能のデーターを改ざんしたり、事故の実態と事実を隠ぺいした、
数々の醜い過去の記録が残っています。



1973年の3月(日付けは不明)に美浜において、最初の事故が発生をします。
美浜原発の1号機で、第三領域の核燃料棒が折損するという、重大な事故が発生しました。
しかしこの事故は、当初のうちから外部には一切明らかにされていません。
当事者の関西電力は、秘密裏のうちに事故をおこした核燃料集合体を交換してしまいます。
内部告発によってこの事故が、核燃料棒が溶融したものと指摘をされますが、
原子力委員会は、まったくこれを認めず、発表では、
『これは溶融ではなく、何らかの理由で折損したものであり、重大な事故ではない』
として、その後に無難と言える処理作業をすすめてしまいます。
しかし国会でこの事実が明らかとなり、厳しく追及をされた段階で、原子力委員会が
ようやくこうした事故の事実を認めます。
だがそれらが明らかとされたのは、実に、事故の発生から4年後のことです。


 1991年2月9日。2号機の蒸気発生器の伝熱管1本が破断して、
原子炉が自動停止をして、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動するという
緊迫をした事故が発生をしました。
この事故は、日本の原子力発電所において、ECCSが実際に作動したという、
初めての事態となりました。
微量の放射性物質が外部に漏れましたが、周辺環境への影響はなかったと
後になってから発表をされています。



 2003年の5月17日には、2号機の高圧給水加熱器の伝熱管で、
2か所の穴が開くという事故が発生をしています。
しかし、この時も幸いなことに、放射性物質による外部への漏えいはありません。
こうした一連の事故を繰り返してきた美浜原発は、2004年になってから、
ついに重大な蒸気の噴出事故を起こしてしまいます。
死亡者5名、重軽傷6名と言う重大な災害が、ついに原発史で発生をしてしまいます。






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連載小説「六連星(むつらぼし)」第70話 

2013-05-19 06:08:47 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第70話 
「くるみ浦の思い出」




 山本が、布団から起き上がる気配を見せました。
背後へ回った響が、山本の痩せた背中へ細心の注意をはらいながら両手を添えます。
背中のそこの部分に肉の感触はまったく無く、ごつごつとした痩せた骨ばかりの
手ごたえだけが、ほのかなぬくもりとともに返ってきます。
(うわ・・・・まさに、骨と皮ばかりと言う感触だ。、これって。)
響が、山本の病気の重さを、思わず自らの手のひらで実感をしてしまいます。
起き上がった山本が、少し寒そうに、浴衣の襟を合わせています。
近くに置いてあった丹前を引き寄せた響が、背後からそれを山本へ羽織らせました。


 「お願いごとは、私が死んだあとに、
 生まれ故郷でもある若狭の海へ、私の骨を播いてほしいのです。
 私が生まれて育ったのは、若狭湾に面している小さな、古びた田舎の町です。
 日本で一番最初に造られた原子力発電所で、関西電力の『美浜発電所』がある処です。
 福井県三方郡の美浜町丹生が、私の生まれた故郷です。
 1961年10月にそこは、原発建設のための候補地のひとつとして推薦をされ
 私が住んだ美浜町の丹生地区でも、そのための建設調査がはじまりました。
 その結果、翌年の1962年に、日本最初の発電所の建設が美浜町に決まりました。
 その年に、私はその対岸に有る常神半島の寒村で生まれています。」



 響きが、山本の話を聞きながら、若狭湾の地図を思い起こしています。
若狭は日本海側からは大きく入り込んでから、その懐を大きく広げている
景色と漁場に優れた内海の形を持った湾です。
ところどころに有るリアス式の海岸線では、いたるところで美しい砂浜をひろげ
きわめて明媚な風景なども育んでいます。
山本が生まれて育ったという美浜町は、その若狭湾の東方に位置をしています。



 (そうだ。若狭は関西電力が福島の3・11の被害を見てから、あわてて津波の調査を、
 つい最近になってはじめたばかりと言う、いわくつきの原発の所在地のことだ!)



 響がテレビで見たばかりの、津波調査のニュースをようやく思い出しました。
もうひとつの原発密集地といわれている福井県の若狭では、「安全な地形であるはずだ」
という楽観のもと、これまで一度も津波の実態調査などは行われていません。
過去の津波による被害の実態調査も、激しい世論の突き上げを受けて、
ようやく重い腰を上げた関西電力によって、やっとの想いで動き始めました。


 若狭湾は、もっとも多くの原発が集中をしている原子力発電の最大級の先進地です。
若狭町にある中山湿地では、1年あまりをかけて全区域を調べるという
大規模で本格的なボーリング調査も始まりました。
さらにその後に、三方五湖などの周辺の9カ所にも調査の範囲を広げて、
さらに調査を続行する予定などもたてられました。
またその一方で、若狭湾のほぼ中央部に突出をしている大島半島には、
再稼働を画策中で、いまだにその安全性が再構築をしきれていない『大飯原発』も有ります。


(ストレステストを終えたばかりの大飯原発が、全国で休止中の
原発の再稼働の急先鋒として、連日マスコミを騒がしているというニュースを、
見た覚えが有る。東の原発密集地の横綱が茨城と福島なら、西の横綱は若狭湾だ・・・)




 大飯原発は、福井県大飯郡おおい町にある関西電力が所有をする原子力発電所です。
関西電力が保有する原子力発電所としては、最大規模を誇ります。
日本の原子力発電所では、東電が所有している新潟県の柏崎刈羽原子力発電所、
福島第一原子力発電所に次いで、日本では第3位にあたる発電量を誇っています。


 (今年の5月に入ると、北海道で稼働中の原発が止まる予定になっている。
 そうなると、国内に有る54基の原発が、3・11以降、全て停止をしてしまうことになる。
 政府も、電力会社も電力がピークを迎える夏場を前に、なんとかして、
 早期の再稼働のために、なりふりかまわずで画策をしている最中だ・・・・)




 昨夜のニュースでも、そのニュースは取り上げられていました。
消費税の大増税を画策中の民主党の野田首相は、さらに原発の再稼働のために、
大飯原発の再稼働のみを議題とする、全閣僚の会議を招集したと言う、
信じられないニュースを、身震いするような思いで聞いたばかりであることを、
響が、ふたたび思いおこしています・・・・


 自分の考えの中に、すっかりと埋没をしてしまい、
なにやら遠い目をしている響へ、山本が遠慮がちに声をかけてきました。


 「やれやれ。すっかりと、
 起き上がるだけでも、ひと苦労をするようになってしまいました。
 少し喉を湿したいので、響さんの、いつものお茶がいただけますか。
 よかったらその先で、私が生まれて育った美浜町の思い出話にも、つきあってください」


 「よろこんで。」と立ちあがった響が、いつものように、
台所へ立つと、いつもの手順で、ゆっくりとお茶を入れ始めました。
(若狭と言えば、たしか、もうひとつの原発の密集地帯だ・・・)
湯気の上がる茶碗から目を離して振り返ると、布団の上に正座をしたままの山本は、
ぼんやりと窓の向こう側などを見つめていました。



(西の方角だから、見つめているの、生まれ故郷の若狭の方角かしら?。
山本さんが生まれたという若狭の海は、いまでは日本で最初というべき、
原発の発生の地に変わってしまった。



 そこで生まれた山本さんが、
どういう経過を辿ってきたのかは、私には見えないけれど、
原発労働者の身となり、全国各地の原発を行脚した挙句、東日本大震災で
地獄と化してしまったあの福島で、終焉を迎えるまでたどってきた道はまるで、
あまりにも皮肉で、日本における原発の持つ悲劇を、そのまま背負って来たような、
そのものズバリといえるような、暗くて辛い人生だ。
私の知っている日本という国はもっと安全で、もっと平和な国のはずなのに・・・・
本当だ。みんなが言うように、私はまだまだまったくもっての世間知らずだ。
平和なはずの日本に、こんな地獄が横たわっていたなんて・・・・
政府もマスコミも、一切明らかにしていない事実や真実が、
まだまだたくさん隠されていることを、私は此処へ来て初めて知ることが出来た。
日本の原発には、まだまだたくさんのの隠された真実と嘘が隠されている。
これが日本だ。3・11から、何かの拍子に隠ぺいしてきたものが露呈し始めてきたんだ。
醜い日本の欺瞞と醜態の姿が、ようやく私にも見えてきた・・・・

 いつのまにか響が血がにじむほど強く、唇をかみしめています。



 響の入れたお茶を、美味しく呑んでいた山本が、ホッと短い息を吐きだしました。
そのまま肩から力を抜き、その背中が丸まってくると、なぜか痩せこけてきた山本が、
さらにまた一回り小さく見えてなってしまいます。


 「私の両親が最初に暮らしたのは、常神半島という処です。
 若狭湾にゴツゴツとした形で、細く突き出ている形で
 常神(つねかみ)半島と呼ばれています。
 その半島の中央には二つを分けるようにして、急峻な尾根が走っています。
 尾根の東側にあるのが美浜町で、西側にあるのが若狭町です。
 若狭町の側には、入り江ごとに集落などがありますが、
 険しい断崖ばかりが連なっている美浜町側に家などは、まったくありません。
 しかし、ただ一カ所だけ例外で「くるみ浦」と呼ばれた場所に、
 かつては小さな漁村がありました。
 遠浅の海がどこまでも続いている、くるみ浦は、久留見(くるみ)浦、
 あるいは久留美(くるび)浦などと呼ばれました。
 岩壁には、海水によって浸食をされた洞窟などがたくさんあり、
 夏になると、日向からの渡船などで、海水浴の客などがたくさん訪れます。
 だが、すでに漁村自体は廃墟です。
 すべての住人がすでに去り、集落はまったくの無人となってしまいました。
 石積みや、加工されたような石材などはそのままで
 神社跡ではないかと思われるような場所なども、当時のままに残っています。
 田畑や人家の跡と見られる、わずかな平地には戦後になってから、
 杉が植えられ、その中を小川が流れていたそうです」



 「廃墟になってしまったくるみ浦ですか。
 でも、その割に、名前はずいぶんとロマンチックです」


 響が2杯目のお茶を入れ、山本に手渡します。
受け取った山本が、そのまま口元へ運び、静かに一口目をすすります。
『旨い』。そのひと言に、山本の全ての感謝の気持ちが込められています。




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連載小説「六連星(むつらぼし)」第69話

2013-05-18 09:45:05 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第69話
「山本の故郷」





 「響の二部式の着物に、まずは乾杯といこう。
 響が着物を着るとお前さんの若いころを彷彿とさせるほど、妙にそそる美しさが有る。
 いやいや・・・・別に欲情的な、変な意味で言っているわけじゃない。
 健康な日本女性らしい色気を感じると言う意味だ。
 まったく今時の女どもは、なんでこんなにも日本的で美しい衣装を
 敬遠するように、なっちまったんだろう。
 実に、嘆かわしいことだ」


 「日々の暮らしが、洋式になりすぎたせいです。
 早く歩くには不便だし、車の運転にも不向きだもの。
 忙しく行動するためにはスカートやズボンのほうがよっぽど、楽だもの。
 今時の女性は、あらたまった時でなければ、着物なんか着ません。
 ほとんどが、冠婚葬祭の時だけだわね。
 女が、日本の正装をするのは・・・・」


 「そう言えばそうだ。
 俺の女房も着物はいくつも持っているが、着たのを見たこともない。
 そういう意味では、二部式を着始めた響は、
 希少価値のある、大和撫子の一人に生まれ変わったのかもしれないな・・・・」



 「生まれ変わった?
 じゃあ聞くけど、生まれ変わるその前は、一体なんだったのさ。響は」


 「根っからの、ジャジャ馬だ。
 知性も教養もたっぷりと持っているくせに、大人たちには妙に反発的で、
 口のききかたにも、いわめての粗野が目立った。
 着るものを替えたせいなのかな、
 ジーンズから和服に変えただけで、最近は妙に、おしとやかに見えてきた。
 馬子にも衣装とは、良く言うものだ。的を得ている」



 「ん十万円もするんだよ、あれ。
 あたしの一番のお気に入りの着物を、2部式に仕立て直したんだもの。
 あれで似合わなかったら、あたしの立場がありません。
 でもさ、お金の事はともかく、成人式でも着物を着てくれなかった響が、
 和服に目覚めてくれたことは、私としても嬉しいわ。
 響がずうっと着ると言うのなら、全部、仕立て直したっていいと思っている。
 もう、このさいだから思い切って芸者なんか、卒業しちゃおうかな」



 「おう。そうしろ。もういいだろう。
 芸者なんかいい加減に卒業をして、『六連星』で、トシと一緒に女将をやれ。
 もう、そろそろ本当にいいだろう・・・・20数年前の元の二人に戻っても。
 なぁ、お前さんもそう思っているんだろう。実際のところは」


 「まだ、駄目。無理よ。
 響とトシさんの親子関係に、目鼻がたっていないんだもの。
 私たちだけそう言う訳には、いかないわ」



 「そう言う訳か・・・・うまくいかねぇもんだな。
 まったくもって、じれったいぜ」


 「うん、じれったいのよ。私も・・・・」





 響とともに、桜の花とチューリップが同時に開花をしていた吾妻公園を訪ね、
さらにその先の織物会館まで足を伸ばし、二部式着物を買い、一日中を、
上機嫌で闊達に過ごした山本が、次の日からなぜか体調を崩してはじめました。
春のうららかな陽気が続く毎日とは裏腹に、あの日以降、一転して、
布団の中で過ごすことが多くなってしまいます。




 「ごめんなさい。
 私が調子に乗りすぎて、ずいぶんと歩かせ過ぎてしまいました。
 もっと、山本さんの体調に気を使うべきだったと、強く反省しています」


 枕元へ正座して心配そうな顔で覗きこむ響を、山本の優しい目が出迎えています。
もっそりと布団から引き出した手を、まばらに伸びた無精ひげへ伸ばしながら、
山本が、苦笑いを浮かべます。


 「別に響さんが、悪い訳ではありません。
 私の身体がこうなることは、最初から解りきっていた結果です。
 身体の調子と言うものは、実に正直です。
 体調が悪くなり活性度が落ちてしまうと、あれほど毎朝剃っていた髭も、
 このように、元気を失って伸びなくなってしまいます。
 あの日、あれほど、あなたと元気に歩き回れた方が私にすれば奇跡です。
 元気なうちに、素晴らしい桐生の景色も見られたし、
 かねてからの懸念だった、二部式の着物とも出会うことが出来ました。
 私の方こそ、こうした幸運に、心から感謝をしなければなりません」



 山本が、響の着ている二部式の着物を、上から下までゆっくりと目におさめていきます。
山本の細めた目じりには、かすかに滲んで光るものがあります。


 「早速、着てくれましたか・・・・ありがとう。
 実によく、見事にお似合いです。
 お母さんをはじめ、故郷の湯西川で着物姿を見慣れてきたというだけあって、
 さすがに着こなし方にも、馴染んだ雰囲気などが、すでに漂っています。
 行動的な現代っ子だとばっかり思っていましたが、
 響さんは、以外なほどに、大和撫子の素養があるようです。
 美人が着ると、安い二部式の着物でも、
 本物の着物ように見えてくるから不思議です」



 コホン、と咳き込んだ山本へ、あわてた響が介抱を手を伸ばします。
響のいち早い反応を手で制した山本が、目を細めたまま
「いやいや、大したことは有りません。大丈夫です」と、また苦笑いを返します。


 「長年にわたり、原発の仕事を渡り歩いたために、
 私の身体の中の被ばく量は、正確に把握することすらできません。
 外部被ばくも深刻ですが、それ以上に深刻な影響を身体にもたらすのが、
 実は、内部被ばくの数値なのです。
 だが、そうした実態については、政府も電力会社もマスコミも、一切触れません。
 積み重なった内部被ばくが、やがて原発労働者の健康を害すると言う事実関係を
 原発も政府もこれまで、ひた隠しに隠し通してきました。

 例えば、原子力発電所の建屋の内部は、
 長年の間に全部の物が、放射性物質に変わっていきます。
 そこにある物体のすべてが放射性物質に変わって、放射線を出すようになるのです。
 どんなに厚い鉄であっても、放射線はそれを突き抜けます。
 その結果、原発内では全ての物が、内部被ばくの環境に変わります。


 問題は、ホコリです。
 どこにでもあるチリとかホコリが、こうした放射能を運びます。
 原発の中ではこのホコリがチリが、放射能をあびて、
 放射性物質となって、あらゆる場所で飛んでいるのです。
 この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ることと、内部被曝になるのです。


 実に恐ろしいことです。
 原発内の作業では、片付けや掃除などでも内部被曝をしてしまいます。
 体の内部から放射線を浴びてしまう、この内部被曝の方が、
 外部被曝よりも、はるかにずっと危険なのです。
 なにしろ、体の中から直接に放射線を浴びてしまうのですから。
 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいます。
 しかし、三日なら三日の間、放射能は体の中に置いたままになります。
 体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。


 これが非常に怖いのです。
 どんなに微量でも、放射能は確実に体の中に蓄積をされていきます。
 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、
 とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに語ります。
 それは、きわめて当たり前のことなのです。
 きれいにしておかないなければ、放射能のホコリが飛んで危険なのですから、
 徹底的に掃除をするのが、実は当たり前なのです。
 私はその内部被曝を、百回以上も繰り返したあげく、病気にになってしまいました。
 しかし、多くの原発労働者たちのほとんどは、まんぞくな治療が受けられず、
 切り捨てられているということも、また隠しようのない、日本の事実です。
 私はまだ、ずいぶんと、ましなほうかもしれませんね・・・・」




 「長くはないだろう」と、俊彦から聞かされていたものの、
こうして面と向かって山本から、自分の病気の末路を告白されてしまうと、
さすがに響も、こらえようのない痛みが胸の中を走ります。
病状へのいたわりや、慰めの言葉を響が頭の中で模索しはじめますが、
山本が笑いながら、その行為へ優しくブレーキをかけます。


 「響さん。
 放射能による内部被ばくの影響で、私の身体がもう長くないことは、
 とうの昔から私も承知をしていた事です。
 すでに、自分なりにそれなりの覚悟もできています。
 そこで、おりいってのお願い事がひとつだけあるのですが・・・・響さん。
 私の最後のお願いを、黙って聞いていただけますか?」





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連載小説「六連星(むつらぼし)」第68話

2013-05-17 07:29:14 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第68話
「じれったい話」





 「そうか。やっぱり響はトシの娘か・・・・。
 それでこそ、お前さんにいろいろと世話を焼いてきた甲斐が有るというもんだ。
 初めて見た時から、俺は響が大好きだった。
 おいおい、なんだよ。そんなに怖い目で俺を見るなよ。
 お前さんのことだって、俺はいたって大好きだぜ。
 15歳で花柳界へ飛び込んで、右も左の解らない芸者の世界で、ものの見事に、
 湯西川を代表する芸妓にまでのしあがったんだ。
 お前さんの、その根性も頑張りぶりも、俺は大好きだった。
 そうかい、やっぱり響はトシの子か。
 安心した。それ以上に、嬉しいぜ・・・・俺も」


 「あら。あんたは、私たちを応援をしてくれるの? 」



 「当たり前だ。馬鹿野郎。
 トシの野郎が響を粗末に扱ってみろ、その瞬間に俺があいつをぶん殴ってやる。
 それにしても、どういう訳だ。
 響が突然、その二部式のなんとやらという着物を着始めたのは、
 一体全体、どういう訳だ?」



 「あんたが連れてきた山本さんだよ、きっかけは。
 是非にと言って響に、織物会館で、二部式の着物を買ってくれたのがはじまりだって。
 なんでも、津波で行方不明のままになっている内縁の奥さんが、
 日頃から着ていた、お気に入りの衣装らしいのよ。
 二部式着物は、その奥さんへの供養がわりに、響へ買ってくれた品なんだって・・・・
 それでその日以来、ああして響が着物を着始めた訳なのよ。
 私が用意をしてやった成人式の着物なんか、まったく見向きもしなかったくせに、
 今頃になって電話をかけてきて、やれ着付けを教えろ、
 足袋や草履が欲しいから頂戴なんて、ずけずけと催促をするんだもの。
 いったい、どういう風の吹きまわしかしらねぇ・・・・」


 「なに、山本のために? 」聞いていた岡本が、思わず言葉を挟みます。



 「清子。
 響は心根の優しい、思いやりのある女の子だ。
 嬉しいじゃねぇか。そうやって山本の最後を見届けるつもりかもしれねぇ。
 そうかい。それで突然、響は着物なんか着はじめたのか。
 なるほどなぁ・・・・」

 
 「なんの話なの?、あたしにはさっぱり解らないけど」


 「原発労働者の山本だ。
 俺たちが原発へ送り込んだ連中のうちの一人さ。
 いままでの体内被ばくが原因で、ずいぶんと多くの連中が命を落としている。
 大半が、失業者やホームレス、借金で首の回らない連中を送り込んできたんだが、
 中には山本のように、自分から志願をして原発へ働きにやってくる奴も居る。
 だが、長年にわたって原発で働けば、遅かれ早かれ原爆病を発症しちまう。
 山本も、まさにそうした一人だ。
 医師の杉原の話では、もっても、あと数ヵ月から半年だと言うことだ」



 「まさか。あんたたちは、響までそれに巻き込んでいるというのかい」



 「待て待て。誤解をするな。
 俺たちが、響に看病を頼みこんだ訳じゃねぇ。
 自分から、その思い出があるという二部式の着物とやらを着こんで、
 そんな風に、余生の短い山本に、接し始めたと言う事だろう。
 すべては、響の思いやりから始まったことだ。
 お前さんも、救急医の杉原とは何度か行き会っているから、もう知っているだろう。
 俊彦の同級生で、広島帰りの医師で原爆症に関しては、そこそこに詳しい。
 俺たちは、杉原にも協力をしてもらいながら、原爆症になった労働者たちの
 最後の治療の面倒をみている。
 いまの日本では、病気が発症をしても原発が原因だとは、誰も認めねぇ。
 下請けの、そのまた下の下請けで働いてきた原発労働者なんていう奴は、
 用事が済めば、まったくの紙くず同然の扱いだ。
 そいつらが、病気になろうが死のうが、原発も日本の政府も振り向きもしない。
 黙って死んでいくだけが、こいつらの運命だ。
 おれも、長年にわたってそんな仕事で、うまい儲けを吸ってきた。
 せめてもの俺の罪滅ぼしの事業に、黙ってトシも、杉原も手伝ってくれているんだ。
 その事には、お前もすでに気がついているだろうがな・・・・
 だが、今回の山本の場合に限っては、もうすでに、手の施しようがないようだ」


 「そりゃ、あんたたちの不自然な行動には、うすうすとは気がついていたけど・・・・
 それにしても、あの子が、自分の意志で自らすすんで、ボランティアを
 はじめたってことに、なるのかしら?」


 
 「そうさ。、清子。
 桐生に来てからの響は、二か月ほどの間に、
 俺たちも驚くほどに、あっというまに変わりはじめた。
 俺も最初は、父親に会いたいだけで、ふらりと桐生にやって来たのかと思っていた。
 最初に会った時は、俺も響とは気がつかなかった。
 6歳の時に会っただけで、いきなり25歳で俺の目の前に登場だ。
 最初の印象は小生意気で、少しばかり器量良しの、どこにでもいる小娘そのものだった。
 それが変わり始めたのは、俺の組の金髪の英治と付き合い始めてからだ。
 いやいや、それについては心配するな。
 結局二人には、何事もなかったようだから、そんなに怖い目で俺を見るなって。
 まったく、お前と言うやつは・・・・心配性の母親そのものだなぁ。
 この二人が、被災地に伯父さんを探しに行ったという話は、
 もうトシから聞いて、お前も知っているはずだ。
 東北の被災地をその目で見て、原発の惨状などを目の当たりに見てきた頃から
 なにかが、響のなかで変わり始めたようだ。
 あの二部式の着物だってそうだぜ。
 見ろよ。喜んで着ていると言う顔をしているだろう。
 そういう娘なんだ。俺たちの響って言う子は・・・・」



 「いつからあんたは、響のファンクラブに入ったのさ」



 「馬鹿野郎。
 俺は、小学校に入る前からの響の大ファンだ・・・・。
 赤いランドセルを宇都宮で買ってやったことが、その始まりだ。
 響は、お前さんが足尾の山で、いつもボランティアをしていることも知っているし、
 俺たちが、原爆症の末期の連中に『罪滅ぼしとしての治療』を受けさせていることも
 実は、みんな知っているんだ。
 最近は原発に関しての、独自の勉強も始めたらしい。
 誰かが記録をして、世界に発信をする必要があると、いつも語るようになってきた。
 何を成し遂げるかは知らないが、出来ることはなんでも応援をしてやろうと
 俺たちは、事あるごとに相談をしている」



 「そんなことを言ったて・・・・響はもう、お嫁に行く歳だわよ」



 「よく言うぜ。じゃあ、お前さんはどうなんだ。
 嫁にも行かずに、一人で勝手に子供を産んで、湯西川で大勢の女たちに
 手助けされて子供を育ててきたくせに。
 考えても見ろよ、清子。
 あの子は、公害の山で植樹をしているボランティアのばばぁや
 助かる見込みのない原発労働者たちを、最後まで治療をするなどという
 とんでもない活動をしているじじぃ連中のまっただ中へ
 たった一人きりで飛び込んできたんだぜ。
 普通なら逃げ出しても当たり前だが、あいつはそう言う現実を
 真正面から受け止めて、逆に自ら行動を始めるようにすらなってきた。
 お前さんやトシのDMAをちゃんと、受け継いでいるというなによりの証拠だろう。
 ましてや、被災地のボランティアのために、
 伴久ホテルの女将と共に精力的に飛び回っている、どこかの芸者が産んだ娘だ。
 他人のために、ひたすら頑張ると言う見上げた資質と気質を、
 生まれながらに、十二分に持ち合わせているだろう」



 「そういえばこの間は、気仙沼で会ったわねぇ。あんたと」



 「そういうお前さんこそ、手ぬぐい姿の姉さんかぶりも、
 もう、すっかり板についてきたようだ。
 東北でのボランティアの活動は、まだまだ当分の間はつづくだろうし、
 俺たち自身の生き方の中でも、この気持ちだけは外せねえ。
 同じように、響もまた新しく自分の目標を見つけたということなるのだろう。
 若い連中が、自分の意志で自分の道を切り開いていくということは、
 自立をし始めたという何よりの証拠だろう。
 響はこの桐生で、それを見つけたんだ。
 それが分かっているからこそ、お前さんも、あんな良い生地の着物を、
 わざわざ二部式の着物に作り変えて、持ってきたんだろう。
 素人には解らないだろうが、俺の目は誤魔化せねェ
 あの着物の生地は、高価だと思うぜ」


 「たいしたことはないわよ。
 あの子が喜んで着てくれるなら、造った甲斐も有るし安いもんだ」


 
 「お前さんもやっぱり、きわめつけの親バカだ。
 高価な着物を、惜しげもなく、2つに切っちまうなんて。
 もっとも俺でも、娘にそう言われたら同じようなことをしでかすかもしれねぇや。
 親なんてものは、似たか寄ったかで、みんなそんなもんだ。
 トシにも、親の醍醐味っていうやつを、味あわせてやりたいもんだがな」


 「それなりには、トシさんも味わっているんじゃないかしら。
 でもまだ今のところは、まったくの、おっかなびっくりで及び腰だけどね・・・・」



 「実の親子だぜ。
 遠慮なんかする必要はないと思うが、24年間も他人のままで育ってくれば、
 簡単に、事はすすまないということか。・・・・トシも不憫だな」



 「・・・・悪かったわね。どうせあたしが一番の大悪人です。
 あ~あ、不良の晩酌のお相伴(しょうばん)なんか、してあげるんじゃなかった。
 事実だから仕方ないとはいえ、
 最後にはあたしが悪者にされちまうんだもの。
 はいはい。こうなってしまった諸悪の根源は、すべてあたしです。ふん!。
 つまんないから、もう湯西川へ帰っちやおうかしら」



 「おいおい清子。折角来たんだ。まだ帰るなよ。
 第一お前の、その、怒ってふくれた顔も、またなんともいえず可愛いぜ。
 やっぱり年季を積んだ女は、どこかが違うねぇ~。
 いい女は、なにをやっても絵になる。
 ほら、一杯行け。機嫌を直して、乾杯しょうや」



 「機嫌は直すけど・・・・でも、いったいなんで、誰のために乾杯なんかするの?」


 「あっ、まだまったく考えてねぇや。まぁいいか・・・・
 響のファンクラブが上手くいくことを願って、乾杯と行こうぜ、清子」





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連載小説「六連星(むつらぼし)」第67話

2013-05-16 09:43:17 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第67話
「懐かしい話」




 そろそろ5月の連休も真近となったころに、2週間ほど桐生を留守にしていた岡本が、
2人の若い者を従えて、深夜の「六連星」へ顔を出しました。
ガラリと戸を開けたその瞬間から、もう若いものを叱る岡本の不機嫌な声が
俊彦がくわえ煙草で新聞を読んでいる厨房まで、無遠慮に響いてきます。
その声に、漬物の段取りしている清子よりも、新聞を読んでいた
俊彦のほうが、いち早く反応ぶりをします。
一度顔を上げた清子も、岡本の姿をチラリと見ただけで、そのまま
また何事もなかったように、先ほどから続けている漬物作業に戻ってしまいます。
岡本が座った席からも、そんな清子の姿は一切見えていません・・・・



 「なんだい岡本。珍しく荒れてるな。
 仕事の愚痴か、それとも、ただの呑み過ぎか?」


 「いや、なんだ。、こいつらが、
 あまりにも万事につけて機転が利かないものだから、
 少しばかり俺も本気になって、ついつい大声を出して怒っちまったところだ。
 ん・・・・なんだよ・・・・。
 店に響の姿が見えないが、今日は来て居ないのか?
 せっかく久し振りに、響の顔を見に来たというのに、がっかりだなぁ・・・・
 もう帰っちまったのか、あいつは。なぁ、トシ」




 「なんだよ。せっかく久し振りに顔を見せたと言うのに、
 響が居ないと、お前さんは俺の蕎麦も食わずに帰っちまいそうな気配だな。
 お前のお目当ては俺の蕎麦じゃなくて、今は響だけなのか」


 「当たり前だ。今頃きがついたか。
 お前の蕎麦なら、いつでも好きな時に食うことができる。
 響のあの笑顔を見ると、俺の長旅の疲れもいっぺんに吹っ飛んじまう。
 仕方ねぇやなあ・・・・いつもの蕎麦を、俺には2人前を作って出してくれ。
 若い者にはビールと、旨いものを適当にみつくろって用意してくれや・・・・
 あ、怒っちまったわびも有る・・・今日は、たっぷりとおすすめを出してくれ。
 じゃあ俺も、トシのつまらない顔でも見ながら、上がりの一杯を呑むか。
 おい、俺にもビールを持ってこい」



 「安心しろ。
 響は、ちょっと用事を頼んだだけだから、もう、おっつけ戻ってくる頃だ。
 だがよ岡本。とびっきりの楽しみが待ってるぜ。
 きっとびっくりするから。まぁ、そんな期待もしながら、
 そこでゆっくり呑んでいろ」


 「なんだぁ。どういう意味だ・・・・響に何かあったのか?」



 「まぁ、見ての楽しみだ」と、俊彦が厨房へ笑いながら消えていきます。
岡本が、怪訝そうな顔で俊彦を見送った後、『おう。さっきは少しばかり俺も怒り過ぎた。
機嫌を直して一杯やれ。また明日から頑張って働らけば、失敗なんて簡単に取り返せるさ。
ほらよ。遠慮しないでジャンジャンやれ』と、
若い者の前に、さらにビールの瓶をドンと並べていきます。



 「あら、岡本のおっちゃん。豪勢だわねぇ・・・・なんのお祝い?」



 背後から聞こえてきた響の声に、すこぶる早い反応をみせた岡本が、
早くも満面の笑みで、元気いっぱいに振り返ります。
しかし響の容姿を見た瞬間に、余りの変わりように驚きの声をあげ、片方の手に持った
ビール瓶があやうく手元を滑って、床に向かって落ちかかります。
素早く反応をした若い者が、間一髪の危ういところでビール瓶を受け取ります。


 「な・・・・なんじゃい、それは。
 へっ。に、似合うじゃねえか・・・・へぇ~ぇ、見違えたぜ、響。
 ふぅ~ん、トシが楽しみにしろと言っていたその意味が、ようやくに了解したぜ。
 いやいや・・・・驚いた。大したもんだ。
 響が、こんなに和服が似合うとは、思いもよらなかったなぁ!
 さすがに母親譲りの、良いセンスだ」



 「そう、そんなに似あっている、これ?
 まだ本人的には違和感が有るんだけど。でも、褒めてもらえると私も嬉しいな」

 「似合う、似合う。似合ってる!
 まるで清子の若いころに、瓜二つだ。
 そうだな・・・・背格好と言い、腰の回りのスラリと締まった妖しい雰囲気と言い、
 色っぽさと言い、若いころの清子を彷彿とさせるものがある。
 なるほどねぇ、やっぱり親子だなあ、血は争えねェ。
 とはいえ、湯西川の売れっ子芸者も、今じゃすっかりと
 姥桜(うばさくら)になっちまったからなぁ・・・・。
 もう、お前さんのスタイルから比べれば、まるで月とスッポンだ。」


 「なんだってぇ。誰が、月とスッポンだって」


 響の着ている2部式の着物に、すっかり有頂天になっている
岡本のその目の前に、漬物用のキュウリを手にした清子が、突如として現れます。
清子の出現に激しく動揺をした岡本が、手に握ったグラスを落としかけてしまいます。
すでに予測をしていた若い者が、下からしっかりとその手元を支えました。
(おっ、お前ら。今度はずいぶんと気が利くじゃねぇか。ナイスタイミングだ。助かったぜ)



 「あ。・・・・いや、いや、例えばの話をしていただけだ。
 別にお前さんが、女の旬を通り過ぎたなんて、口が裂けても言えねえさ。
 お前さんも綺麗なままだが、響きも、それに負けず劣らず綺麗だと褒めたばかりだ。
 いやいや、色気で言えば、お前さんの方が、今でも遥かに上だ。
 成熟した女の魅力ってやつには、響も勝てねえ・・・・
 という風に、この後に言うつもりだったんだ、この俺は。
 ああ・・・・びっくりしたぜ、まったく。
 なんだよ。ちゃんと清子まで居るんじゃねえか。
 居るなら居るで、先に登場をするか、挨拶をしてくれよ、人が悪いなぁまったく。
 びっくりしたじゃねえか。心臓が停まるかと思ったぜ。
 で。なんだよ、お前は。なんで今頃、桐生になんかに居るんだよ。
 また、何かあったのか」



 「停まっちまえばよかったのに、あんたの心臓なんか。ふふんだ。
 響が、突然、着物を着たいと言い出すものだから、
 帯やら履物やら、あれこれ必要な小物を揃えて、ただ届けにやってきただけの話です。
 もう少し余計に着物なだも欲しいと言うので、
 あたしの若いころの着物を、二部式に作り変えていたので、
 やってくるのが遅くなって、たまたまさっき着いたばかりだよ。
 ついでに春物の野菜をもらってきたので、
 奥で、漬物の段取りをしていたところだよ。
 悪かったわね。漬物臭い芸者でさぁ・・・・」

 
 「まいったなぁ。そんなにへそを曲げるなよ清子。
 いやいや、俺が悪かった。言い過ぎたのは認めるさ。もう勘弁しろよ。
 で、なんだ。二部式の着物ってのは? 普通の着物とはどこか違うのか」



 「上と下が別々になった、今風の着物のことさ。
 響の下は巻きスカートになっているけど、あたしの下は『もんぺ』風のズボンだよ。
 もう若くもないし、見た目もボロボロだもの、容姿じゃ響きに勝てないし、
 おっしゃる通り、腰の周りにもお肉がついて全然スラリとしていないし、
 だいいち折り紙つきの、『姥桜』ですからね。あたしは」



 「だからもう、そんなに怒るなよ。
 せっかくの、とびきりの美人が台無しになっちまう。
 そんなことはねぇよ。いまでもお前さんは、俺たちのマドンナのままだ。
 響みたいな、こんな小便臭い小娘とは、比べるほうに無理がある。
 で、なんだよ。今日は桐生に泊るのか。
 いくら高速道路が繋がったとはいえ、この夜中に帰るのは大変だ。
 泊まるんなら、一杯やろうや。
 トシなんか、放っておいて、こっちへ来て一杯やろうぜ。
 いい加減で機嫌を直して、仲直りの手打ちというこう」



 響と入れ替わるようにして、二部式で下がもんぺ風のズボンと言う清子が、
ビールを片手に、岡本のテーブルへやってきました。



 「こっちこそ、お礼を言わなければならない立場です。
 なにかにつけて、響を可愛がってくれているんですってね、岡本さん。
 私とは、まったく縁が無いと言うのに、
 響とは、相性がいいのか、よっぽど縁が有りそうですねぇ、今でも。
 宇都宮でバッタリ出合った時もそうだったけど、
 あんたったら、私なんかよりすっかりと響に夢中なんだもの。
 あの時も、我が子だと言うのに、やっぱりやきもちが妬けたわよ。
 でもさあ。あたしも響も、なにかにつけて岡本さんには、
 その後もすっかりお世話になりました。
 ずいぶんと贔屓にしてくれたうえに、お客さんもたくさん紹介をしてもらったし、
 おかげ様で清子は、今日まで芸者家業を、まっとうすることができました」



 「大げさに言うなよ。
 あらたまって感謝されるようなことは、俺は何ひとつ、お前さんにはしちゃいねぇさ。
 芸者でお前さんが売れたのは、お前さん自身の実力と努力の結果だ。
 花柳界なんてものも、俺たちの世界とまったく同じようなもので、
 結局は、少しの運と実力がものをいう世界だ。
 目には見えないが、こつこつ努力をして積み上げてきたものが
 やがて信用になり、人間性に変わる。
 お前さんの芸には、そう言うものが有る。
 お前さんの舞い姿には、一発でしびれたもんだ。
 真剣勝負の一度きりの舞台の姿・・・・華があったなぁ、お前には。ほれぼれした」


 「よしてよ・・・・顔が赤くなる。もうずいん昔の話だわ」




 「そうだよなぁ・・・・宇都宮でバッタリと有った時は、
 たしかお前さんが、26歳になったばかりの時だった。
 女は子供を産むと妖艶になるというが、まさに眩しいほどに
 お前さんは、綺麗だった。
 だが皮肉にも、俺はお前さんよりも、6歳の響にメロメロになっちまった。
 可愛かったもんなぁ、あん時の響は」



 「しつこかったものねぇ、あの頃のあなたは。
 頼むから響に会わせろって、何回頼まれたことやら・・・・
 不思議な縁が有るものだわねぇ。
 またこうして、岡本さんに、響がを可愛がってもらっているなんて」



 「そんなことよりも・・・」と、岡本が声をひそめて、清子を手招きしています。
厨房の様子を確認してから、清子の耳元で内緒の話を始めました。


 「宇都宮で初めて会ったときから、実は、
 この子は・・・・トシの子供だろうと俺は、おおかたの見当はつけてきた。
 そうなんだろう、お前。
 旦那もパトロンも造らずに、一人身で響を育ててきたんだ。
 よほどの訳ありだろうと思ったが、思い当たる奴と言えばトシくらいしか居ねぇ。
 で、どうなんだ。本当のところは・・・・違うのか?」



 「響には、まだ内緒だよ・・・・でもさぁ、よく解ったねぇ。あんた」







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