落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第73話

2013-05-22 10:31:28 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第73話
「4月19日の記念日」



 
 俊彦の車で市内の救急病院に搬送をされた山本は、そのまま
待ちかまえていた救急医の杉原によって、3階に有る高度医療集中治療室へ運ばれました。
ICUとも呼ばれているこの施設は、救急外来などで搬送された重症の患者や、
入院中に容態が悪化して厳重な全身管理が必要となった患者などに対して、
呼吸や循環、代謝その他の重篤な急性機能不全の状態を24時間の体制で管理をして、
より効果的な治療を施すことなどを、主な目的としています。


 「大丈夫かしら・・・・山本さんは」


 俊彦に指示されて一度自宅に戻った響が、入院に必要とされる身の回り品を整え、
再び病院へ戻ってきたのは、すでにとっぷりと陽が暮れてからのことです。
3階の廊下では、俊彦と一段落させた様子の杉原医師が立ち話をしています。
「そのせつは・・・・金髪の英治のときには、大変、お世話になりました」と、
響が杉原へ深々と頭を下げます。



 「やあ。なるほどねぇ、やっぱり噂は本当だ。
 トシさんところの響ちゃんが、毎日、着物を着ていて素晴らしいと、
 病院内での評判で聞いていたが、なるほどねぇ、じかに見るとさすがに良いもんだ。
 可愛いし、良く似合っている。
 これなら、山本氏も看病をしてもらうという甲斐があるというもんだ。
 山本氏も、明日には一般病棟へ移せるだろう。
 もう、ひと安心をしてもいいだろう」

 
 「よかったぁ!。
 でも、ICUから、そんな簡単に出られるのですか。
 あたし、山本さんの吐血があまりにも酷かったもので、てっきり・・・・」



 「ああ、大丈夫だよ。心配ないさ」
禁煙パイプをくわえなおした杉原医師が、響を見つめて目を細めます。
「ただし。」と、傍ら寄って来た杉原が強い目線で、響の顔をのぞきこみます。
あまりにも強い杉原の目力に、響が思わず唾を呑みこみます。



 「問題はこれからだ。
 大量の体内被曝の後遺症として山本氏は、多臓器不全と言うべき状態だ。
 この先では何が起こっても不思議では無いだろう。
 油断ができないという事態が、おそらく長くつづくことになるだろう。
 片時も目が離せなくなるだろうし、此処から先は
 我々としても、まったく未知の分野の治療になる。
 頼んだぜ、響ちゃん。
 大変だとは思うけど、山本氏には君の笑顔と付き添いが必要になる。
 俺からも頼むよ。二部式着物のナイチンゲールくん」



 ポンと響の肩を叩いた杉原医師が、ふたたび禁煙パイプをくわえなおすと
目で俊彦に合図を送り、白衣の裾をひるがえして仮眠室へ歩き始めます。



 「ご苦労さん。なにかと気ぜわしい一日になってしまったが、
 原発が54基から、福島の4つが減って、今日からは50基になってしまった。
 たった今それが決まって、テレビの臨時ニュースでやっていた。
 もう、どこかでそれを聞いたかい?」

 杉原医師から分けてもらった禁煙パイプを口にくわえた
俊彦が、響に問いかけます。

 「福島が、正式に廃炉になったのですか?」



 「廃炉申請は、東電が3月末から、経済産業省に届け出ていたが、
 19日の今日になって、それが正式に受理をされた。
 商業用の原子炉としての廃止が認められ
 電気法と言う法律の範囲内で、福島第一原発が消滅をしたという意味を持つ。
 だが福島第一原発では、1号機から4号機まで、
 廃炉が決まったとはいえ、相変らず炉内やプールには核燃料が残ったままだ。
 燃料を冷やして冷温停止状態を維持する作業は、今後も長期にわたって継続される。
 溶解した燃料の取り出しも、まだこの先、20年から30年近くもかかる見通しだ。
 完全に片付くまでには、40年以上を要すると言われている。
 しかし、今日まで増え続けてきた日本の原発が、
 初めて減る日を迎えたと言うことは、やはり記念すべきこととなる。
 すでに耐用年数の40年を越えた危険な原発も沢山あると言うのに、
 政府も電力会社も、ひたすら延命工作に腐心をしている最中だ。
 本意では無いとは言え、4つの廃炉が決まったことは記念すべきことになる。
 すくなくても、2012年の4月19日は、
 日本の原発史上にとって、そういう特別な意味を持つ1日になった。
 いわば、原発史上初の、原発廃炉記念日だ。
 あとで、ゆっくり確認をするといい」



 響が、目を丸くして俊彦の話を聞いています。
だが見つめている響のその目に、かすかに懸念の色合いが浮かんできました。



 「なんだよ響。その目は・・・・
 やっぱり、俺が切り出すのには、ふさわしくない話題か? 
 俺だって社会の出来ごとに関しては、それなりに常に注意をはらっている。
 俺が固い口調で、原発のそんな話題を口にしたら、
 やっぱり、お前から見たら可笑しく見えるか?」
 

 「いいえ。トシさんと面と向かって、
 そんな話をするようになるなんて、私はまったく
 想定をしていなかったもので、なんだか、とてもびっくりとしています。
 ごめんなさい。
 自分でもまだ、すこし戸惑っている最中です。
 昼間は思わず、あんなことをトシさんに口走ってしまったし、
 何が何やら、いまだに頭の中の整理ができていません。
 『お父さん』と呼んでしまったことに、実は根拠はありません。
 もしそうで有った良いなと思っている、ただの私の願望から出た言葉です。
 気を悪くしないでください・・・・口が滑ってしまいました。
 いままで通りの響として、嫌わずに傍に置いてください」



 真っ赤になりながらも、響が息もつかずにまくしたてています。
響自身もまったく気がつかないうちに、なぜかその両眼も潤み始めてきます。
(やだ。私ったら、また心臓が激しくドキドキしてきたわ・・・・)
自分の全身のすべてが、湯気をあげそうなほど熱くなってくるのを響が感知しています。
そんな響を見透かしたように俊彦が、響の頭にポンと手を乗せます。
廊下にある人の気配を確認してから、響の耳元で囁きます。



 「君は、とってもいい子さ。
 お母さんの清子さんも、チャーミングでとても素敵な女の人だ。
 そんな二人から慕われたているとしたら、
 君のお父さんという人は、すこぶる幸運な持ち主の一人だと俺も思っていたし、
 それほど幸運な男は、この世にめったに居ないとも思っていた。
 俺も、君みたいに可愛い娘が欲しくなったのも、また事実だ。
 嬉しい事に、それがまた現実の出来ごとになるつつもある。
 40歳を過ぎるまで、一人身で過ごしてきた男に想定外に家族が出来ることに
 実は、すこしばかり面食らっているのもまた俺の事実さ。
 君も受け入れるまで時間がかかると思うが、それはまた、俺にも同じ事が言える。
 悪いが俺は、不器用者だ。
 俺もまた、時間をかけて君を受け入れる準備をするから、
 君もそのつもりで待っていてくれ・・・・
 ただしまだ、誰にも口外をしないでくれよ、俺の恥ずかしすぎる動揺だから。
 こんな話は、君のお母さんにも内緒だぜ。
 今はまだ、君と俺だけの内緒の話だ。
 今のうちは、まだそれだけだけでも、良いだろう。
 俺の言っている意味は解るよね?」



 みるみると、響の目が潤んできます。
「馬鹿だなあ・・・」ポンともう一度頭を叩いて、俊彦が響から離れます。



 「今後の対策のために、少し外で岡本と行き逢ってくる。
 一時間もすれば戻ってくるから、悪いがその間ここでの見張り番を頼む。
 泣くなよ。俺までもらい泣きをしちまいそうだ・・・・
 まだつもる話は沢山あるが、後の機会にゆっくりやろう。
 じゃあな。ちょっと出掛けてくる」



 手を振った俊彦が、丁度やってきたエレベーターの中へ消えていきます。
誰も居なくなり、すっかり静かになった廊下で、響が両方の瞼を荒っぽくこすります。



 「原発が、初めての後退を見せたという、史上初の廃炉記念日だ。今日は・・・・
 54基から50基に原発が減って、50年余の歴史の中で、
 初めて原子力政策が、その下降線の瀬戸際に立ったという記念日だ。
 24歳の私にとって、4月19日は、もうひとつの大切な記念日になった。
 父の手は、とっても温かくて、とても重たかった。
 お母さん。私を生んでくれてありがとう。
 そのおかげで響は、24年間生きてきた中で一番の、
 とっても嬉しい一日と、巡り合えることが出来ました。
 今日と言う日が、来年からは、
 私と母とトシさんの、3人の記念日になると最高になるのだけれど、
 世の中は、そんな簡単にはすすまないか・・・・やっぱり。
 やばい。内緒にしておけとさっき、トシさんに念を押されたばかりだ!
 私が、有頂天になるのは、まだまだ早すぎる」






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