落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第65話

2013-05-14 10:29:13 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第65話
「二部式の着物」




 桜とチューリップが入り乱れ、美しい競演を見せてくれている吾妻公園の、
南に面した斜面の最上部には、亜熱帯の植物と蘭(らん)などを中心に展示をしている、
ガラスの温室が設けられています。
日中に限って出入りが自由なこの温室は、うららかな春の外気にもかかわらず、すでに
内部は、亜熱帯どころか熱帯そのものの状態になっていました。


 内部を一回りして珍しい南国の、鮮やかで原色に近い花たちを満喫した山本が、
出入り口の前に有るベンチへ、汗をぬぐいながら腰をおろします。
この高みからは、公園の全域が見降ろせます。
先ほど他愛もない会話を交わしてきた保育園の子供たちも、すでに写生を終えて、
来た時よりもはるかに賑やかに、一斉に、帰りの支度などに取り掛かっています・・・・
響が自動販売機から、冷たい缶コーヒーを買ってきました。



 「大丈夫ですか。ずいぶん歩きました。
 一休みしましょう。のんびりと構えていてもこの景色も、この公園も逃げません」


 「確かに。気分が良すぎたために、ついつい欲をかいて歩きすぎました。
 響さんが言うように、たぶん、一気に歩き過ぎでしょう。
 だが。できればこの足で、もうひとつだけ、
 見ておきたい場所が有る事を、たった今、思い出しました」



 「もう一か所?。このご近所でしょうか・・・・」


 
 「場所のことは、わかりません。
 桐生織物会館というところで、伝統的な桐生織や、
 現代風の2部式の着物などの展示と、即売会を催している建物です。
 桐生と言えば、昔は『西の西陣、東の桐生』と呼ばれたほど、優れた織物の町としての
 長い歴史が有ると聞いております。
 場所が近くで有れば、是非、そちらも見たいと思います」


 響が、ほほ笑みを返します。


 「よかったぁ・・・・。そこならば、よく知っています。
 帰り道とは少し方向が違いますが、15分も歩けば織物会館へ着くでしょう。
 お天気もこのまま、おだやかに落ちついているような気配です。
 では、ゆっくりと一休みをしてから、後ほどそちらへ向かいましょう。
 でもなぜ、織物会館をご覧になりたいのですか」



 「響さんは、2部式の着物というものはご存じですか」


 「母が芸者をしていますので、和服のことならたいていは解ります。
 2部式と言うのは、旅館の仲居さんなどが動きやすいように、
 着ているのは見た覚えが有りますが、それ以上の仔細については知りません。
 その2部式着物に、何か特別の思い入れでも有るのですか?」



 「あなたはやはり、油断の出来ないお嬢さんです。
 その通りです。あいかわらず鋭いですね。
 生まれてこのかた50年、私は女性と言うものにまったく縁がありません。
 一人身のままで人生を終えるのかと、いちおう自分なりに、
 覚悟を決めて、つい最近までは生きてきました。
 ところが奇跡が生まれました。
 それは私にとって最後の仕事の場所となった、福島第一原発での出来事でした。
 私と所帯をもってもいいという、ある女の人と出会うことが出来ました。
 あの大津波がやって来る、2年ほど前のことです。
 くたびれ切った、流れ者の原発労働者と所帯を持ってもいいと言うくらいですから、
 推察のように、相手の女性のほうも、やはりいろいろと訳を持っていました。
 そのひとは、海辺のちっぽけな居酒屋を一人できりまわしていました。
 歳は、ほとんど私と同年代で、東北の山の奥からたった一人で
 15歳の時に東京へ出てきたそうです。
 仕事に疲れ、夢に破れて太平洋の東海岸を北上しながら、
 あちこちで、水商売の仕事を続けたそうです。
 転々と生きていく身の上が、どこか似ていて、いつのまにか私たちは
 意気投合をしてごく自然に、一緒に暮らし始めました。
 少し勝気ですが、それでいて相手を思いやる優しい一面なども持っていました。
 2年間を私たちは、それこそ水入らずで楽しく過ごしました。
 その彼女が仕事着も兼ねて、年がら年中着ていたのが2部式の着物です」


 「着物が似合う女性との二人暮らしですか・・・・
 素敵な思い出です。 で、その人と今は?」


 「3月11日の朝。
 いつものように仕事へいくために、私たちはお互いに笑顔のまま、
 元気に朝の挨拶をして別れました。
 毎日やってくる、まったく同じ朝だったのに、あの日を境に
 私たちは、理不尽なままに永遠の生き別れを余儀なくされてしまったのです。
 私は、福島第一原発の作業現場で、あの日の震災に襲われました。
 地震で退去した後、津波がやってくると言うので、
 免新棟に待機しながら、様子をうかがうことになりました。
 ところが、やってきたのが想定をはるかに上回る、あの巨大な津波です。
 海沿いに有った私たちの住居も、あの人の大切な居酒屋も、
 あっというまに波に呑まれて、全てがれきと化してしまいました。
 あの人は・・・・津波に呑みこまれたたままで、あれから一年以上も経つと言うのに、
 いまだに、その消息は解りません」



 口元に缶コーヒーを運んだまま、響が凍りついてしまいます。
(あ・・・・やっぱりまずかった。福島から来たこの人には、
あの3・11で受けた、辛すぎる思い出を有るんだわ。
聞いてはいけない会話のきっかけを、私はまたまた無遠慮に、作ってしまった・・・)
辛い傷口に触れてしまったことを、響が後悔をする前に、
山本が、助け船を出してくれました。

 
 「こんな取り柄のない男の、どこが良かったというのか・・・・
 あの人は、とにかく甲斐がしく動いて、私に尽くしてくれました。
 しかしそんなあの人も、私が感謝の気持ちを伝える前に、
 すでにこの世から去ってしまいました。
 あの震災では、いまだに、行方不明の人たちが数千人も残されています。
 あの人も、残念ですが、その中の一人になってしまいました。
 彼女が日頃から気にいって、もっとも愛用していた2部式の着物が、
 この桐生で買い求めたものだそうです。
 旅行で訪れた折りに、気にいって買い求めたのがはじまりで、
 それ以降、2部式の着物が彼女にとっての仕事着となり、同時にまた
 お気に入りの普段着とひとつとなったのです。
 彼女への供養の一つだと思って、私もそこを訪れてみたくなりました」



 「辛くはないのですか。
 行けばかえって、その人を思い出すような場所になるかもしれませんが」


 「私の命がもっと長く持つのであれば、
 そこ場所へいくのは、きっとおそらく辛いでしょう。
 しかし短い命なら、そこへ行くことも、たぶん今できる供養の一つです。
 あの人が、桐生へ来て、織物会館へ寄り
 何を見て感動をしたのか、
 なぜ日常まで、着物を着てすごすようになったのか、
 そんなことの一端が、見えてくるような気がしてなりません。
 あの世で会った時のそんな土産話として、一度見ておきたいと考えました」


 「山本さん・・・・」


 「大丈夫です。自分の病状については、すべて察しています。
 さて、響さん。
 元気なうちに、この足で歩いていきましょう。
 お手数をかけますが、もうすこし私の我儘と付き合ってください。
 あ、そこへ行く途中に甲子園大会で優勝をした、桐生第一高校もあるそうですね。
 これは今朝、トシさんから教えてもらったプチ情報ですが・・・・」


 「(あ。この人は、朝からもう、そのつもりでいたんだわ・・・・)
 解りました。行きましょう。
 桐生第一高校は、もとは、桐ヶ岡女学園と呼ばれていました。
 お母さんたちの時代には、お嬢さんたちが通う学校として有名だったようです。
 母も、この学校の二本線が入ったセーラー服が大好きで、随分とあこがれたそうです。
 もっとも進学をあきらめて、15歳で花柳界に入ってしまいましたので、
 セーラー服は夢と消えて、和服ばかりの毎日になってしまったようですが・・・・
 山本さんは、野球がお好きですか」

 「高校球児の夢といえば、甲子園球場です。
 もっとも、甲子園への夢はもっとず~と前のガキの時代から始まります。
 小学生のころから子供たちは甲子園球場にあこがれ、プロ野球の選手を夢に見ます。
 私も、高校3年の夏まではそうでした。
 しかし3年の夏に、県予選の3回戦で負けたことでその全てが終わりました。
 お母さんがセーラー服をあきらめたころよりも、
 もっともっと、ずう~と昔の話です・・・・」



 さてそれでは行きましょうか・・・・山本が立ちあがります。


 (注釈)桐生市は、古くから高校野球の盛んな土地です。
1989年に設立された桐生第一高等学校野球部は、福田治男監督の指導の下で
1999年の第81回全国高等学校野球選手権大会で、正田投手を擁して
甲子園優勝を果たしました。
ちなみに群馬県勢としては、長年の念願でもあった
甲子園大会での初優勝です。


 




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