落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第60話

2013-05-08 10:14:39 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第60話
「放射線管理手帳」




 例年以上に寒い日ばかりが続いた3月がようやく終わり、
月が変わって4月にはいると、さすがに朝夕の気温が暖かくなってきます。

『寒い冬が有った年は、吾妻公園へ遊びに行くと奇跡と呼ぶ光景が見られるの。
遅れてやってきた春の影響のために、開花が遅れてしまった桜の花と、
あわててやってきた温たたかさのために、一斉に咲き始める色とりどりの
チューリップたちが、同時に園内を埋め尽くすのよ。
私はこの風景が大好きなために、いつも寒い3月が来ると大歓迎などをしていたわ。
数年に一度のことだけど、響にも一度、見せてあげたいわね・・・・


 母の清子が、よくそんな風に語っていたことを響が懐かしく思い出しています。
そういえば、今年の寒さは異常だった・・・・
母が言っていた、そんな奇跡の光景を吾妻公園で見ることができるのかしら、
と、毎朝カレンダーを見るたびに、響は、密かにときめいています。
そう思いはじめたのには、もうひとつの理由が有ります。


 3月の末から、山本と名乗る原爆病患者との同居が始まったからです。
岡本に連れられ福島からやってきた原発労働者の山本は、病院での治療に通うために、
俊彦のアパートでの同居を始めました。
『俺と一緒に下で寝起きすることになるが、なにかと顔を合わせることになる。
此処だけの話、もって余命はあと数ヵ月だろうと言う話だ。
辛いだろうが、そのあたりも考慮をしながら見守ってくれると、俺も有りがたい。
どうだ、大丈夫か。できるか、お前に」



 突然俊彦から、そう問われても、響は何も答えることができません。
唇を一文字に結び、俊彦の目だけを見つめて、ややおいてから強くひとつ頷きました。
(覚悟はしていたものの、現実となるとまた別の問題だ・・・・
私は、岡本さんと約束をしたように、心からの笑顔をこの人に
見せてあげることが、本当にできるのだろうか。
死と向かい合うと言うこの現実は、今の私にはまだまだ重すぎるものがある。
できるのだろうか、できるんだろうか・・・・ほんとうに、私は)


 その日から響は、母の言葉を毎日思い出すようになりました。
市内に咲き始めた桜の様子を日々気にかけながら、日一日とすすんでいく
春の進行ぶりを、心密かに楽しむようにもなりました。
そんなある日。
食後の洗いものをしている響の背後へ、俊彦が立ちました。


 「お前。
 俺と二人きりの時は、遅れて食卓に座るのが常だったくせに、
 今は最初から最後まで、きちんと食事に付き合ってくれているなぁ。
 俺も嬉しいし、山本氏も喜んではいる。
 だが、あまりにも律儀にやりすぎると、あとでお前が悲しむことになる。
 俺はいままで何人も見送ってきたが、お前にはまったく初めてという体験になる。
 肩の力を抜いて、もう少しお前らしくいつものように『ずぼら』にやれ。
 お前の気持ちはよく解るが、見ている俺の方がハラハラして胃が痛くなる。
 あっ、例の『奇跡の光景』だが、ぼちぼち公園のチューリップが咲き始めた様子だ。
 風のない、温たかい日を選んで、散策に行くといい。
 世話をかけるが、まぁ・・・・よろしく頼む」


 ポンと、肩を叩いてから、俊彦が玄関から消えていきます。
(父が・・・・たったいま、初めて、私に触れて肩を叩いていった・・・・)
全身が熱くなるのを感じながら、響が洗いものの手を停めて、俊彦の姿を
いつまでも立ちつくしたまま見送っています。

 
 被曝により、ガンや白血病(血液のガン)などの病気が
発症しやすくなるといわれていますが、それ以外の、ごく一般的な病気の発生率なども
また同様に増加傾向を示すと言われています。
チェルノブイリ原発事故の場合を引用すると、被曝による被害者達はその多くが
白血病や脊柱や肺への癌、膀胱癌、腎臓癌、甲状腺癌、乳癌といった
放射線による、特有の病に苦しめられています。
また、被曝により通常より多くの人が亡くなるという事例なども報告をされています。
これは被ばくにより、心臓や血管への疾患が、より多く高い確率で発生をするためです
強い放射能に汚染されたある地域では、80%にのぼる子どもたちが
心臓疾患や肝臓障害、腎臓病、甲状腺疾患、抗体などへの異常を抱えています。


 また、母親の子宮の中にいるうちに被曝を受け、生まれてきた子どもたちの中には、
脳の発達停止や白内障、遺伝子の突然変異、先天性の奇形、神経系異常や水頭症などの
疾患なども、数多く発生をしているようです・・・・



 「被ばくによる病気の勉強ですか。熱心ですね」


 背後からの声に驚ろいた響が、反射的にパソコンを閉じようとします。。

「あ、構わないでください。突然、勉強の邪魔をした私のほうが悪い」


 検索に熱中していた響が、気配を感じる前に、
すでに、背後には病院から帰ってきたばかりの山本が立っていました。
(万事休す。)観念した顔で、響が、山本を見上げています・・・・
響の動揺をよそに、山本がテーブルを挟んで相向かいにゆっくりと腰をおろします。


 「そんなに緊張をしなくも、大丈夫です。
 すでに私の病気が、被ばくによるものであり、
 余命もそれほど残っていないということも、みんな承知をしています。
 原発労働者として、すでに20年以上もあちこちの原発で働いてきた身体です。
 どこかで発症をするであろうと言うのも、みんな覚悟の上で働いています。
 だいいち、福島のあの震災で生き残っただけでも、とりあえず幸運です。
 そういえば、最前線の広野町まで行ってきたそうですね。
 とても勇気ある行動だと思います」


 「はい、ある人から影響を受けっました。
 被災地の本当の実態が見たければ、是非、広野町へ行けと勧められました」

 「私は福島第一原発に下請けの保安要員として、ずうっと居ました。
 あの爆発以来、Jービレッジから毎日、がれきの撤去に駆り出されて行きました。
 しかし、2ヵ月ほどで体調を崩したために、後方へ送られました。
 実際問題として、あの水素爆発の騒動の中では、誰がどれだけの被ばくをしたのか、
 正確な数値などは、ほとんど記録もされていないし、その実態もわかりません。
 もともと、放管手帳などというものは、年がら年中、訂正で書きかえられていますから、
 実際に自分がどれだけ被ばくしているか、それは誰にもわかりません。
 原発の現場なんてものは、実はそれほど、いい加減な現場そのものですから」



 「放管手帳って?」


 「正式には、放射線管理手帳と呼ばれているものです。
 原子力施設の管理区域内作業に従事をする場合には、あらかじめ
 この放管手帳を取得する必要があります。
 昭和52年に「放射線管理手帳制度」という形で誕生をして
 全国を一元化することで、広くその運用制度が始まりました。
 中央登録センターに登録され、「被ばく線量登録管理制度」に組み込まれます。
 顔写真に登録番号、氏名と生年月日、異動経歴と被ばく歴などの、
 固有の情報がそれぞれに記入をされます。
 しかし、その運用は、実はきわめてずさんそのものです」


 「ずさん?
 一元化をされて、管理されているはずなのに、
 実情とは異なる運用がなされていると言う意味なのですか・・・・」


 山本が、響の瞳を見つめています。
やや躊躇をしてから、短く息を吐き出しました。


 「実は・・・・浴びた放射能の線量が、法定の5分の1という数値にもかかわらず、
 浜岡原発では、わずか29歳の青年が白血病を発症して、
 2年後には亡くなっているという、過酷な事例なども有ります・・・・。
 原発と、放管手帳のもっているずさんな実態を示す、ひとつの事例にすぎません。
 法律で定められ、安全であったはずの線量の5分の1で、なぜ発病をしてしまうのか、
 そこには、浜岡原発で造られた巧妙なからくりが、隠されています」


 「からくりが、ある?・・・・」

 山本の意外な言葉に、思わず響が強い反応をしめしています。
 



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