落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第69話

2013-05-18 09:45:05 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第69話
「山本の故郷」





 「響の二部式の着物に、まずは乾杯といこう。
 響が着物を着るとお前さんの若いころを彷彿とさせるほど、妙にそそる美しさが有る。
 いやいや・・・・別に欲情的な、変な意味で言っているわけじゃない。
 健康な日本女性らしい色気を感じると言う意味だ。
 まったく今時の女どもは、なんでこんなにも日本的で美しい衣装を
 敬遠するように、なっちまったんだろう。
 実に、嘆かわしいことだ」


 「日々の暮らしが、洋式になりすぎたせいです。
 早く歩くには不便だし、車の運転にも不向きだもの。
 忙しく行動するためにはスカートやズボンのほうがよっぽど、楽だもの。
 今時の女性は、あらたまった時でなければ、着物なんか着ません。
 ほとんどが、冠婚葬祭の時だけだわね。
 女が、日本の正装をするのは・・・・」


 「そう言えばそうだ。
 俺の女房も着物はいくつも持っているが、着たのを見たこともない。
 そういう意味では、二部式を着始めた響は、
 希少価値のある、大和撫子の一人に生まれ変わったのかもしれないな・・・・」



 「生まれ変わった?
 じゃあ聞くけど、生まれ変わるその前は、一体なんだったのさ。響は」


 「根っからの、ジャジャ馬だ。
 知性も教養もたっぷりと持っているくせに、大人たちには妙に反発的で、
 口のききかたにも、いわめての粗野が目立った。
 着るものを替えたせいなのかな、
 ジーンズから和服に変えただけで、最近は妙に、おしとやかに見えてきた。
 馬子にも衣装とは、良く言うものだ。的を得ている」



 「ん十万円もするんだよ、あれ。
 あたしの一番のお気に入りの着物を、2部式に仕立て直したんだもの。
 あれで似合わなかったら、あたしの立場がありません。
 でもさ、お金の事はともかく、成人式でも着物を着てくれなかった響が、
 和服に目覚めてくれたことは、私としても嬉しいわ。
 響がずうっと着ると言うのなら、全部、仕立て直したっていいと思っている。
 もう、このさいだから思い切って芸者なんか、卒業しちゃおうかな」



 「おう。そうしろ。もういいだろう。
 芸者なんかいい加減に卒業をして、『六連星』で、トシと一緒に女将をやれ。
 もう、そろそろ本当にいいだろう・・・・20数年前の元の二人に戻っても。
 なぁ、お前さんもそう思っているんだろう。実際のところは」


 「まだ、駄目。無理よ。
 響とトシさんの親子関係に、目鼻がたっていないんだもの。
 私たちだけそう言う訳には、いかないわ」



 「そう言う訳か・・・・うまくいかねぇもんだな。
 まったくもって、じれったいぜ」


 「うん、じれったいのよ。私も・・・・」





 響とともに、桜の花とチューリップが同時に開花をしていた吾妻公園を訪ね、
さらにその先の織物会館まで足を伸ばし、二部式着物を買い、一日中を、
上機嫌で闊達に過ごした山本が、次の日からなぜか体調を崩してはじめました。
春のうららかな陽気が続く毎日とは裏腹に、あの日以降、一転して、
布団の中で過ごすことが多くなってしまいます。




 「ごめんなさい。
 私が調子に乗りすぎて、ずいぶんと歩かせ過ぎてしまいました。
 もっと、山本さんの体調に気を使うべきだったと、強く反省しています」


 枕元へ正座して心配そうな顔で覗きこむ響を、山本の優しい目が出迎えています。
もっそりと布団から引き出した手を、まばらに伸びた無精ひげへ伸ばしながら、
山本が、苦笑いを浮かべます。


 「別に響さんが、悪い訳ではありません。
 私の身体がこうなることは、最初から解りきっていた結果です。
 身体の調子と言うものは、実に正直です。
 体調が悪くなり活性度が落ちてしまうと、あれほど毎朝剃っていた髭も、
 このように、元気を失って伸びなくなってしまいます。
 あの日、あれほど、あなたと元気に歩き回れた方が私にすれば奇跡です。
 元気なうちに、素晴らしい桐生の景色も見られたし、
 かねてからの懸念だった、二部式の着物とも出会うことが出来ました。
 私の方こそ、こうした幸運に、心から感謝をしなければなりません」



 山本が、響の着ている二部式の着物を、上から下までゆっくりと目におさめていきます。
山本の細めた目じりには、かすかに滲んで光るものがあります。


 「早速、着てくれましたか・・・・ありがとう。
 実によく、見事にお似合いです。
 お母さんをはじめ、故郷の湯西川で着物姿を見慣れてきたというだけあって、
 さすがに着こなし方にも、馴染んだ雰囲気などが、すでに漂っています。
 行動的な現代っ子だとばっかり思っていましたが、
 響さんは、以外なほどに、大和撫子の素養があるようです。
 美人が着ると、安い二部式の着物でも、
 本物の着物ように見えてくるから不思議です」



 コホン、と咳き込んだ山本へ、あわてた響が介抱を手を伸ばします。
響のいち早い反応を手で制した山本が、目を細めたまま
「いやいや、大したことは有りません。大丈夫です」と、また苦笑いを返します。


 「長年にわたり、原発の仕事を渡り歩いたために、
 私の身体の中の被ばく量は、正確に把握することすらできません。
 外部被ばくも深刻ですが、それ以上に深刻な影響を身体にもたらすのが、
 実は、内部被ばくの数値なのです。
 だが、そうした実態については、政府も電力会社もマスコミも、一切触れません。
 積み重なった内部被ばくが、やがて原発労働者の健康を害すると言う事実関係を
 原発も政府もこれまで、ひた隠しに隠し通してきました。

 例えば、原子力発電所の建屋の内部は、
 長年の間に全部の物が、放射性物質に変わっていきます。
 そこにある物体のすべてが放射性物質に変わって、放射線を出すようになるのです。
 どんなに厚い鉄であっても、放射線はそれを突き抜けます。
 その結果、原発内では全ての物が、内部被ばくの環境に変わります。


 問題は、ホコリです。
 どこにでもあるチリとかホコリが、こうした放射能を運びます。
 原発の中ではこのホコリがチリが、放射能をあびて、
 放射性物質となって、あらゆる場所で飛んでいるのです。
 この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ることと、内部被曝になるのです。


 実に恐ろしいことです。
 原発内の作業では、片付けや掃除などでも内部被曝をしてしまいます。
 体の内部から放射線を浴びてしまう、この内部被曝の方が、
 外部被曝よりも、はるかにずっと危険なのです。
 なにしろ、体の中から直接に放射線を浴びてしまうのですから。
 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいます。
 しかし、三日なら三日の間、放射能は体の中に置いたままになります。
 体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。


 これが非常に怖いのです。
 どんなに微量でも、放射能は確実に体の中に蓄積をされていきます。
 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、
 とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに語ります。
 それは、きわめて当たり前のことなのです。
 きれいにしておかないなければ、放射能のホコリが飛んで危険なのですから、
 徹底的に掃除をするのが、実は当たり前なのです。
 私はその内部被曝を、百回以上も繰り返したあげく、病気にになってしまいました。
 しかし、多くの原発労働者たちのほとんどは、まんぞくな治療が受けられず、
 切り捨てられているということも、また隠しようのない、日本の事実です。
 私はまだ、ずいぶんと、ましなほうかもしれませんね・・・・」




 「長くはないだろう」と、俊彦から聞かされていたものの、
こうして面と向かって山本から、自分の病気の末路を告白されてしまうと、
さすがに響も、こらえようのない痛みが胸の中を走ります。
病状へのいたわりや、慰めの言葉を響が頭の中で模索しはじめますが、
山本が笑いながら、その行為へ優しくブレーキをかけます。


 「響さん。
 放射能による内部被ばくの影響で、私の身体がもう長くないことは、
 とうの昔から私も承知をしていた事です。
 すでに、自分なりにそれなりの覚悟もできています。
 そこで、おりいってのお願い事がひとつだけあるのですが・・・・響さん。
 私の最後のお願いを、黙って聞いていただけますか?」





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