連載小説「六連星(むつらぼし)」第76話
「桐生お召し」
「おっ、今日も来たね。和服のナイチンゲール君」
山本が3階にある一般病棟へ移ってから早くも一週間。
どういうう訳なのか、決まってそこへ向かう廊下で、毎日のように杉原医師と出合います。
救急外来を受け持っている杉原医師の昼間の行動の様子は、とかくの進出鬼没で、
ひたすら病院内を精力的に歩き回わりまります。
数日前に救急外来でやってきた患者の病室を訪ねて、
しばらく歓談などをしていたかと思えば、休憩時間で雑談中の看護士たちのもとへ、
お菓子やせんべいをなど手土産に、ひょっこりと現れ彼女たちの
機嫌などを上手にとっていきます。
禁煙パイプをくわえた杉原が、響が着用している今日の二部式着物に興味を示しています。
上から下まで丹念に観察をしたあげく、やがて驚嘆の声を上げます。
「おっ、やっぱりだ。
今日の着物はすこぶるつきの、きわめての上物だ。
この光沢と色合いは、どう見ても、一級品の桐生織の逸品だ。
それも、出来の良い『桐生御召(おめし)』というやつだ。
驚いたなぁ。二部式の着物といえば、リーズナブルが売りもののはずなのに、
今時は、こんな高価な生地まで使っているのかい。
それとも君は、これほどの贅沢が出来る、きわめて高給取りの娘さんかな?
いずれにしても、これはすこぶるいいものだ・・・・
それに。君には、とても良く似合っている」
「え?、それほどの高級品なのですか。これって」
響が極めて肌さわりが良く、着やすいこの着物の生地を眺めまわしながら
近寄ってきた杉原医師に疑問を声を返します。
「なんだ。着物の価値も解らずに着ているのか、君は。
ますますもって、驚きだ。
先練り、先染の高級絹織物のことを、一般的に御召物(おめしもの)と呼ぶ。
粋と渋みをほどよく合わせ持った、上品な着物という意味だ。
からだによく馴染んで裾さばきがよいが、湿気に弱いという欠点がある。
水に濡れると布地が縮むという特性をもっているためだ。
だが今の時代で、これほどのものは、
経済産業省が指定をする伝統的工芸品の逸品にも相当するだろう。
なんだい。君はそれほどの価値も知らずに、これに袖を通しているのかい。
その無頓着ぶりのほうが、俺にすれば衝撃な事実だぜ」
「二部式の着物を日常で着はじめましたと、母に電話で報告をしたら
何着か、古い着物を仕立て直して、また私へ届けてくれました。
『あなたの今の技量では、帯を結ぶのはまだ到底無理だから、
外部からは見えないところで、紐で結ぶように細工などをしておきました』
と言って、先日、届けてくれたもののひとつです。
これは、それほどに高価なものですか・・・・」
「俺の実家は、代々にわたる桐生織の機屋(はたや)だ。
ガキのころから、さまざまな織物や反物に囲まれて育ってきた。
詳しいことまでは解らんが、どこにでもあるという一般的な代物ではないようだ。
そうか。芸者をしているお母さんの清ちゃんのものか・・・・
それにしても、湯西川の芸者は昔からきっぷが良いときいているが、
桐生お召しの逸品を惜しげもなく、二部式着物に作り変えてしまうとは、実に恐れ入った。
ということは、上下に別れているとはいえ、上手に帯を締めれば
普通の着物のようにも見える、というわけか」
「はい。
後で帯の締め方も、覚えるようにと母から言われています。
着物は着こんで肌になじむほど、その価値があらわれるそうです。
勿体ないなどとは考えずに、いくらでも日常で着なさいと言われました。
汚れて痛んでも、もう一度バラバラにして、洗えば再生がきくとも言われました。
それが、洋服には真似が出来ない、日本の着物が持っている優れた特性のひとつだそうです。
すっかり安心をして着こんできましたが、先生の話を聞いていたら、
いつの間にか、汗が出てきました・・・・」
『そんなことは無いさ』と、杉原医師が響の全身を嬉しそうに眺め回しています。
その目には、どこか懐かしいものを見つめているそんな雰囲気さえ滲んでいます。
「それにしても、君はずいぶんと綺麗な身体の線をしているんだねぇ。
あの頃の・・・・芸者になりたての頃の清ちゃんの、
なんともいえない匂いたつような色気を、どことなく何故か彷彿とさせるものがある・・・・
いずれアヤメか、カキツバタという言葉が有るが、こうして見ていると
若かりし頃の清ちゃんに、久し振りに再会しているような気分にもなるから、不思議だね」
「先生は、お口が上手すぎます。
あまりほめられると、響の顔から火が出てしまいます」
「こらこら。勝手に勘違いをするな。
褒めているのは着物の方だ。
着ている人とも相まって、雰囲気と言うものは作りだされるものだから、
君のセンスも相当なものだと言う意味も、実は含んではいるが・・・・
その辺りには、お母さん譲りの何かが有るということだろう。
しかし、女性が美しさを追及するということは、医学的に見ても実は意味のあることだ。
お化粧をする。着かざってお洒落をする。
そうすると女性ホルモンの分泌が盛んになる。
ホルモンが生命を維持して、男女の身体の違いを作ったり
感情をコントロールする役割を持っているということは、一般にも良く知られている。
美しくなろうとする努力が、その作用としてホルモンの活動を活性化させる。
男もまた、そうした美しい女性を見て、狩猟本能などを覚醒させる。
まさにそのようにして、この世には無数の男女のカップルが誕生をする訳だ」
「先生。論理が飛躍しすぎています・・・・
言わんとする意味は、たいへんよく理解できましたが、
それでは、いまだに恋人の出来ない私は、いったいどうすればいいのでしょうか。
努力の不足が原因でしょうか、それとも先生のおっしゃる女性ホルモンが
不足をしているせいなのでしょうか?」
「医学的に見て君の身体には、何一つ不足するものは無い。
胸は相応にあるし、見たところ腰やお尻の形も充分に成育をしているようだ。
だが、しいて言えば、挑発のためのインパクトがすべてにおいて欠如をしているようだ。
まだ君は、『男が欲しいと言うシグナル』を全身から発信をしていないからね。
ここだけの話だが処女の時代には、女の本来の美しさやお色気などは
一切存在をしていないと、昔からよく言われている。
本当に女性が美しく光り輝くのは、
男を充分に知り、第一子を出産した直後あたりからだと言われている。
いわゆる女性のライフワークの絶頂期が、それにあたるからだ。
男たちをその気にさせるオ―ラ―も、同じようにその時代に最盛期をむかえるようだ。
うん。また話しの中身が脱線をしてしまったようだ。あっはっは」
杉原医師が、大きな声で笑っています。
その脇を、新人看護士の二人を引き連れた看護婦長が通りかかります。
『コホン』と軽く咳払いをしたあと、厳しい目線を杉原医師のもとへ送ります。
『不謹慎なお話は、ほどほどに』と、いつもの合図を残してから
颯爽と立ち去って行きます。
「いやいや、久々に良い着物を着た日本美人に
行き会ったために、俺も思わずテンションをあげすぎてしまったようだ。
だが、響くん。
此処だけの話だが、君が二部式着物で山本氏の看病に現れるようになってから
うちの看護士たちの様子も変わり始めてきた。
君から随分と刺激を受けたらしく、彼女たちの『自分磨き』が始まった。
みんなのお化粧が念入りになり、我が病院にも美人がたくさん増えてきた。
女と言うものは、誰でも自分が一番きれいだと思い込んでいるようだ。
ゆえに、自分の前にこれはという強敵や、ライバルなだが登場をすると、
そうした本能が、あらためて揺り起こされる訳だ。
そうした効果の結果として、当病院に美人の看護師さんがやたらと増えてきた。
それはまた患者さんたちにも、すこぶるのいい影響を与える。
美人の笑顔と言うものは、時として
病院が出すクスリを上回るほどの、元気という効果を生み出す。
君の登場が、我が病院を変え始めたということだ。
その笑顔のままで、最後まで山本氏を見送ってやってくれ・・・・
辛い仕事だが、君ならできる。
事態は、すでにどうにもならない段階に達している。
それでも笑顔で山本氏を癒して、送り出してやってくれ。
君ならそれを、やってのけてくれるだろう。頼んだぜ、
桐生お召しのナイチンゲール君」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
「桐生お召し」
「おっ、今日も来たね。和服のナイチンゲール君」
山本が3階にある一般病棟へ移ってから早くも一週間。
どういうう訳なのか、決まってそこへ向かう廊下で、毎日のように杉原医師と出合います。
救急外来を受け持っている杉原医師の昼間の行動の様子は、とかくの進出鬼没で、
ひたすら病院内を精力的に歩き回わりまります。
数日前に救急外来でやってきた患者の病室を訪ねて、
しばらく歓談などをしていたかと思えば、休憩時間で雑談中の看護士たちのもとへ、
お菓子やせんべいをなど手土産に、ひょっこりと現れ彼女たちの
機嫌などを上手にとっていきます。
禁煙パイプをくわえた杉原が、響が着用している今日の二部式着物に興味を示しています。
上から下まで丹念に観察をしたあげく、やがて驚嘆の声を上げます。
「おっ、やっぱりだ。
今日の着物はすこぶるつきの、きわめての上物だ。
この光沢と色合いは、どう見ても、一級品の桐生織の逸品だ。
それも、出来の良い『桐生御召(おめし)』というやつだ。
驚いたなぁ。二部式の着物といえば、リーズナブルが売りもののはずなのに、
今時は、こんな高価な生地まで使っているのかい。
それとも君は、これほどの贅沢が出来る、きわめて高給取りの娘さんかな?
いずれにしても、これはすこぶるいいものだ・・・・
それに。君には、とても良く似合っている」
「え?、それほどの高級品なのですか。これって」
響が極めて肌さわりが良く、着やすいこの着物の生地を眺めまわしながら
近寄ってきた杉原医師に疑問を声を返します。
「なんだ。着物の価値も解らずに着ているのか、君は。
ますますもって、驚きだ。
先練り、先染の高級絹織物のことを、一般的に御召物(おめしもの)と呼ぶ。
粋と渋みをほどよく合わせ持った、上品な着物という意味だ。
からだによく馴染んで裾さばきがよいが、湿気に弱いという欠点がある。
水に濡れると布地が縮むという特性をもっているためだ。
だが今の時代で、これほどのものは、
経済産業省が指定をする伝統的工芸品の逸品にも相当するだろう。
なんだい。君はそれほどの価値も知らずに、これに袖を通しているのかい。
その無頓着ぶりのほうが、俺にすれば衝撃な事実だぜ」
「二部式の着物を日常で着はじめましたと、母に電話で報告をしたら
何着か、古い着物を仕立て直して、また私へ届けてくれました。
『あなたの今の技量では、帯を結ぶのはまだ到底無理だから、
外部からは見えないところで、紐で結ぶように細工などをしておきました』
と言って、先日、届けてくれたもののひとつです。
これは、それほどに高価なものですか・・・・」
「俺の実家は、代々にわたる桐生織の機屋(はたや)だ。
ガキのころから、さまざまな織物や反物に囲まれて育ってきた。
詳しいことまでは解らんが、どこにでもあるという一般的な代物ではないようだ。
そうか。芸者をしているお母さんの清ちゃんのものか・・・・
それにしても、湯西川の芸者は昔からきっぷが良いときいているが、
桐生お召しの逸品を惜しげもなく、二部式着物に作り変えてしまうとは、実に恐れ入った。
ということは、上下に別れているとはいえ、上手に帯を締めれば
普通の着物のようにも見える、というわけか」
「はい。
後で帯の締め方も、覚えるようにと母から言われています。
着物は着こんで肌になじむほど、その価値があらわれるそうです。
勿体ないなどとは考えずに、いくらでも日常で着なさいと言われました。
汚れて痛んでも、もう一度バラバラにして、洗えば再生がきくとも言われました。
それが、洋服には真似が出来ない、日本の着物が持っている優れた特性のひとつだそうです。
すっかり安心をして着こんできましたが、先生の話を聞いていたら、
いつの間にか、汗が出てきました・・・・」
『そんなことは無いさ』と、杉原医師が響の全身を嬉しそうに眺め回しています。
その目には、どこか懐かしいものを見つめているそんな雰囲気さえ滲んでいます。
「それにしても、君はずいぶんと綺麗な身体の線をしているんだねぇ。
あの頃の・・・・芸者になりたての頃の清ちゃんの、
なんともいえない匂いたつような色気を、どことなく何故か彷彿とさせるものがある・・・・
いずれアヤメか、カキツバタという言葉が有るが、こうして見ていると
若かりし頃の清ちゃんに、久し振りに再会しているような気分にもなるから、不思議だね」
「先生は、お口が上手すぎます。
あまりほめられると、響の顔から火が出てしまいます」
「こらこら。勝手に勘違いをするな。
褒めているのは着物の方だ。
着ている人とも相まって、雰囲気と言うものは作りだされるものだから、
君のセンスも相当なものだと言う意味も、実は含んではいるが・・・・
その辺りには、お母さん譲りの何かが有るということだろう。
しかし、女性が美しさを追及するということは、医学的に見ても実は意味のあることだ。
お化粧をする。着かざってお洒落をする。
そうすると女性ホルモンの分泌が盛んになる。
ホルモンが生命を維持して、男女の身体の違いを作ったり
感情をコントロールする役割を持っているということは、一般にも良く知られている。
美しくなろうとする努力が、その作用としてホルモンの活動を活性化させる。
男もまた、そうした美しい女性を見て、狩猟本能などを覚醒させる。
まさにそのようにして、この世には無数の男女のカップルが誕生をする訳だ」
「先生。論理が飛躍しすぎています・・・・
言わんとする意味は、たいへんよく理解できましたが、
それでは、いまだに恋人の出来ない私は、いったいどうすればいいのでしょうか。
努力の不足が原因でしょうか、それとも先生のおっしゃる女性ホルモンが
不足をしているせいなのでしょうか?」
「医学的に見て君の身体には、何一つ不足するものは無い。
胸は相応にあるし、見たところ腰やお尻の形も充分に成育をしているようだ。
だが、しいて言えば、挑発のためのインパクトがすべてにおいて欠如をしているようだ。
まだ君は、『男が欲しいと言うシグナル』を全身から発信をしていないからね。
ここだけの話だが処女の時代には、女の本来の美しさやお色気などは
一切存在をしていないと、昔からよく言われている。
本当に女性が美しく光り輝くのは、
男を充分に知り、第一子を出産した直後あたりからだと言われている。
いわゆる女性のライフワークの絶頂期が、それにあたるからだ。
男たちをその気にさせるオ―ラ―も、同じようにその時代に最盛期をむかえるようだ。
うん。また話しの中身が脱線をしてしまったようだ。あっはっは」
杉原医師が、大きな声で笑っています。
その脇を、新人看護士の二人を引き連れた看護婦長が通りかかります。
『コホン』と軽く咳払いをしたあと、厳しい目線を杉原医師のもとへ送ります。
『不謹慎なお話は、ほどほどに』と、いつもの合図を残してから
颯爽と立ち去って行きます。
「いやいや、久々に良い着物を着た日本美人に
行き会ったために、俺も思わずテンションをあげすぎてしまったようだ。
だが、響くん。
此処だけの話だが、君が二部式着物で山本氏の看病に現れるようになってから
うちの看護士たちの様子も変わり始めてきた。
君から随分と刺激を受けたらしく、彼女たちの『自分磨き』が始まった。
みんなのお化粧が念入りになり、我が病院にも美人がたくさん増えてきた。
女と言うものは、誰でも自分が一番きれいだと思い込んでいるようだ。
ゆえに、自分の前にこれはという強敵や、ライバルなだが登場をすると、
そうした本能が、あらためて揺り起こされる訳だ。
そうした効果の結果として、当病院に美人の看護師さんがやたらと増えてきた。
それはまた患者さんたちにも、すこぶるのいい影響を与える。
美人の笑顔と言うものは、時として
病院が出すクスリを上回るほどの、元気という効果を生み出す。
君の登場が、我が病院を変え始めたということだ。
その笑顔のままで、最後まで山本氏を見送ってやってくれ・・・・
辛い仕事だが、君ならできる。
事態は、すでにどうにもならない段階に達している。
それでも笑顔で山本氏を癒して、送り出してやってくれ。
君ならそれを、やってのけてくれるだろう。頼んだぜ、
桐生お召しのナイチンゲール君」
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