落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第76話

2013-05-26 10:20:30 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第76話
 「桐生お召し」




 「おっ、今日も来たね。和服のナイチンゲール君」


 山本が3階にある一般病棟へ移ってから早くも一週間。
どういうう訳なのか、決まってそこへ向かう廊下で、毎日のように杉原医師と出合います。
救急外来を受け持っている杉原医師の昼間の行動の様子は、とかくの進出鬼没で、
ひたすら病院内を精力的に歩き回わりまります。


 数日前に救急外来でやってきた患者の病室を訪ねて、
しばらく歓談などをしていたかと思えば、休憩時間で雑談中の看護士たちのもとへ、
お菓子やせんべいをなど手土産に、ひょっこりと現れ彼女たちの
機嫌などを上手にとっていきます。
禁煙パイプをくわえた杉原が、響が着用している今日の二部式着物に興味を示しています。
上から下まで丹念に観察をしたあげく、やがて驚嘆の声を上げます。


 「おっ、やっぱりだ。
 今日の着物はすこぶるつきの、きわめての上物だ。
 この光沢と色合いは、どう見ても、一級品の桐生織の逸品だ。
 それも、出来の良い『桐生御召(おめし)』というやつだ。
 驚いたなぁ。二部式の着物といえば、リーズナブルが売りもののはずなのに、
 今時は、こんな高価な生地まで使っているのかい。
 それとも君は、これほどの贅沢が出来る、きわめて高給取りの娘さんかな?
 いずれにしても、これはすこぶるいいものだ・・・・
 それに。君には、とても良く似合っている」


 「え?、それほどの高級品なのですか。これって」



 響が極めて肌さわりが良く、着やすいこの着物の生地を眺めまわしながら
近寄ってきた杉原医師に疑問を声を返します。



 「なんだ。着物の価値も解らずに着ているのか、君は。
 ますますもって、驚きだ。
 先練り、先染の高級絹織物のことを、一般的に御召物(おめしもの)と呼ぶ。
 粋と渋みをほどよく合わせ持った、上品な着物という意味だ。
 からだによく馴染んで裾さばきがよいが、湿気に弱いという欠点がある。
 水に濡れると布地が縮むという特性をもっているためだ。
 だが今の時代で、これほどのものは、
 経済産業省が指定をする伝統的工芸品の逸品にも相当するだろう。
 なんだい。君はそれほどの価値も知らずに、これに袖を通しているのかい。
 その無頓着ぶりのほうが、俺にすれば衝撃な事実だぜ」



 「二部式の着物を日常で着はじめましたと、母に電話で報告をしたら
 何着か、古い着物を仕立て直して、また私へ届けてくれました。
 『あなたの今の技量では、帯を結ぶのはまだ到底無理だから、
 外部からは見えないところで、紐で結ぶように細工などをしておきました』
 と言って、先日、届けてくれたもののひとつです。
 これは、それほどに高価なものですか・・・・」



 「俺の実家は、代々にわたる桐生織の機屋(はたや)だ。
 ガキのころから、さまざまな織物や反物に囲まれて育ってきた。
 詳しいことまでは解らんが、どこにでもあるという一般的な代物ではないようだ。
 そうか。芸者をしているお母さんの清ちゃんのものか・・・・
 それにしても、湯西川の芸者は昔からきっぷが良いときいているが、
 桐生お召しの逸品を惜しげもなく、二部式着物に作り変えてしまうとは、実に恐れ入った。
 ということは、上下に別れているとはいえ、上手に帯を締めれば
 普通の着物のようにも見える、というわけか」


 「はい。
 後で帯の締め方も、覚えるようにと母から言われています。
 着物は着こんで肌になじむほど、その価値があらわれるそうです。
 勿体ないなどとは考えずに、いくらでも日常で着なさいと言われました。
 汚れて痛んでも、もう一度バラバラにして、洗えば再生がきくとも言われました。
 それが、洋服には真似が出来ない、日本の着物が持っている優れた特性のひとつだそうです。
 すっかり安心をして着こんできましたが、先生の話を聞いていたら、
 いつの間にか、汗が出てきました・・・・」


 『そんなことは無いさ』と、杉原医師が響の全身を嬉しそうに眺め回しています。
その目には、どこか懐かしいものを見つめているそんな雰囲気さえ滲んでいます。



 「それにしても、君はずいぶんと綺麗な身体の線をしているんだねぇ。
 あの頃の・・・・芸者になりたての頃の清ちゃんの、
 なんともいえない匂いたつような色気を、どことなく何故か彷彿とさせるものがある・・・・
 いずれアヤメか、カキツバタという言葉が有るが、こうして見ていると
 若かりし頃の清ちゃんに、久し振りに再会しているような気分にもなるから、不思議だね」



 「先生は、お口が上手すぎます。
 あまりほめられると、響の顔から火が出てしまいます」



 「こらこら。勝手に勘違いをするな。
 褒めているのは着物の方だ。
 着ている人とも相まって、雰囲気と言うものは作りだされるものだから、
 君のセンスも相当なものだと言う意味も、実は含んではいるが・・・・
 その辺りには、お母さん譲りの何かが有るということだろう。
 しかし、女性が美しさを追及するということは、医学的に見ても実は意味のあることだ。
 お化粧をする。着かざってお洒落をする。
 そうすると女性ホルモンの分泌が盛んになる。
 ホルモンが生命を維持して、男女の身体の違いを作ったり
 感情をコントロールする役割を持っているということは、一般にも良く知られている。
 美しくなろうとする努力が、その作用としてホルモンの活動を活性化させる。
 男もまた、そうした美しい女性を見て、狩猟本能などを覚醒させる。
 まさにそのようにして、この世には無数の男女のカップルが誕生をする訳だ」



 「先生。論理が飛躍しすぎています・・・・
 言わんとする意味は、たいへんよく理解できましたが、
 それでは、いまだに恋人の出来ない私は、いったいどうすればいいのでしょうか。
 努力の不足が原因でしょうか、それとも先生のおっしゃる女性ホルモンが
 不足をしているせいなのでしょうか?」



 「医学的に見て君の身体には、何一つ不足するものは無い。
 胸は相応にあるし、見たところ腰やお尻の形も充分に成育をしているようだ。
 だが、しいて言えば、挑発のためのインパクトがすべてにおいて欠如をしているようだ。
 まだ君は、『男が欲しいと言うシグナル』を全身から発信をしていないからね。
 ここだけの話だが処女の時代には、女の本来の美しさやお色気などは
 一切存在をしていないと、昔からよく言われている。
 本当に女性が美しく光り輝くのは、
 男を充分に知り、第一子を出産した直後あたりからだと言われている。
 いわゆる女性のライフワークの絶頂期が、それにあたるからだ。
 男たちをその気にさせるオ―ラ―も、同じようにその時代に最盛期をむかえるようだ。
 うん。また話しの中身が脱線をしてしまったようだ。あっはっは」



 杉原医師が、大きな声で笑っています。
その脇を、新人看護士の二人を引き連れた看護婦長が通りかかります。
『コホン』と軽く咳払いをしたあと、厳しい目線を杉原医師のもとへ送ります。
『不謹慎なお話は、ほどほどに』と、いつもの合図を残してから
颯爽と立ち去って行きます。
 


 「いやいや、久々に良い着物を着た日本美人に
 行き会ったために、俺も思わずテンションをあげすぎてしまったようだ。
 だが、響くん。
 此処だけの話だが、君が二部式着物で山本氏の看病に現れるようになってから
 うちの看護士たちの様子も変わり始めてきた。
 君から随分と刺激を受けたらしく、彼女たちの『自分磨き』が始まった。
 みんなのお化粧が念入りになり、我が病院にも美人がたくさん増えてきた。
 女と言うものは、誰でも自分が一番きれいだと思い込んでいるようだ。
 ゆえに、自分の前にこれはという強敵や、ライバルなだが登場をすると、
 そうした本能が、あらためて揺り起こされる訳だ。
 そうした効果の結果として、当病院に美人の看護師さんがやたらと増えてきた。
 それはまた患者さんたちにも、すこぶるのいい影響を与える。
 美人の笑顔と言うものは、時として
 病院が出すクスリを上回るほどの、元気という効果を生み出す。
 君の登場が、我が病院を変え始めたということだ。
 その笑顔のままで、最後まで山本氏を見送ってやってくれ・・・・
 辛い仕事だが、君ならできる。
 事態は、すでにどうにもならない段階に達している。
 それでも笑顔で山本氏を癒して、送り出してやってくれ。
 君ならそれを、やってのけてくれるだろう。頼んだぜ、
 桐生お召しのナイチンゲール君」






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連載小説「六連星(むつらぼし)」第75話

2013-05-24 05:59:30 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第75話
「福島原発の、56(ごろく)ER」




 苦みの強い無糖のコーヒーを、ようやく呑み終えた杉原医師が、
缶コーヒーを握りしめたまま、不満をあらわにして鋭くこちらを見つめている
響の正面の席に、どっかりと腰をおろしました。


 「君はきわめて、正義感の強いお嬢さんだ。
 君に限らず医療の世界にも、正義感の強い人たちは沢山いる。
 秘密裏に葬り去ろうとしている連中が多い中、こうした原発病の治療にために
 すでに立ちあがっている人たちも、また多数いる。
 原発労働者たちの医療活動に、先進的に取り組んできた人たちによって、
 これまでにも、いくつかの貴重な研究例などが残されてきた。
 だがそのための研究費用や治療費などを、国は一切認めようとしていない。
 当たり前だ。
 この世に存在しないはずの原発の病気を公にしょうというのだから、
 原発を容認する政府側にしてみれば、迷惑この上もない話だ。
 国が認めず、電力会社や原発がいくら事実のもみ消しを図ろうとも、
 現実に多くの原発労働者がたちが被曝によって健康を損ない、
 命を落としていることはまぎれもない事実だ。
 ある大学教授は、こうした事態を想定をしながら、
 長い時間をかけて、いくつものデータ―集め、
 病気の治療のために日本全国を奔走をしている。
 だがこうした活動は、あくまでもごく一部の話だ。
 日本にある原発は自らを維持するために、都合の悪いことには常に蓋をして
 ひたすら安全性だけを、高らかに堅持する必要が有る。
 ゆえに、原発労働者の中でも最下位に置かれている、日雇いの労働者たちは
 ボロ雑巾のように、常に使い捨てにされていく運命となる・・・・
 それもまた、原発の50年にわたる歴史のひとつだ」


 響が、小さな吐息をもらします。



 「君は、優しい子だ。
 だが、福島第一原発の事故は、君たちの世代へ、
 きわめて困難な課題と、未解明だらけの事故対策という途方もない宿題を
 日本の未来に、残してしまった」



 ポケットを探り新たに禁煙パイプを取り出した杉原が、響きの目を見つめたまま
さらに言葉を続けます。



 「だが、皮肉なことにその福島第一原発が、
 今度は、洩れた放射能と闘うための、歴史の証人になりはじめてた。。
 あれから一年が経ったとはいえ、今なお不安定な状態が続いている福島第1原発の
 1~4号機の直近に、急ごしらえの救急医療室(ER)が、設置された。
 『5、6号サービス建屋1階救急医療室』という名称で呼ばれていて、
 通称は、『56(ごろく)ER』だ。
 原子力災害の最前線で働く作業員の安全を24時間いつでも、
 支えるためにつくられた、専門の医療施設だ。
 2011年の7月に設置をされてから、今年の2月までの244日間中の、
 63日を、福井県からの派遣医師団たちが担当をした。
 原発の先進地、福井から派遣された、被ばくの専門医たちのグループだ」



 福井県は、日本で初めて作られた美浜原子力発電所をはじめ、
高速増殖炉の「もんじゅ」などを含め、全部で14基の原子炉を所持しています。
最先端の原子力の研究や、人材育成ためののポテンシャルをもち、
集積した原子力の先進地として常にその先頭の役割を担ってきました。


 福島第一原発につくられた『56ER』は、皮肉にも被ばくの医療が
原発労働者たちにとって、緊急に差し迫ったものであり、かつ必要不可欠のものとして
公然と、原発内に登場したことを意味します。
医療室と処置室を合わせて、84平方メートルの部屋があり、
簡易ベッドが並んだこの医療施設は原発が持つ『核』の危険性を、
初めて白日のもとにさらすという、きっかけになりました。
さらには、原発労働者たちの深刻な被ばくの実態までも、世間に
知らしめる契機になりました。


 『56ER』の窓のすき間は、すべてテープで目張りをされています。
換気は、専用機器で放射性物質を除去しながら行なわれています。
男性医師、看護士、放射線技師の3人1組で、24~72時間を常駐をして
けがや急病で運ばれた作業員に、基本的な治療をおこなっています。
重症者が発生すれば、救命措置や搬送の任なども負っています。
このERへは、福井県から7人の医師が交代で現地入りを果たし続けています。
『それでも・・・』と杉原医師は言葉を続けます。



 「原発内では、直接の被ばくもあるが、
 怪我や切り傷からも、放射性物質は体内に侵入をしてしまいます。
 例えば電動工具での深い切り傷なども、それにあたります。
 通常のように、単純に縫合処置などはできません。
 まず、傷口から放射性物質が体内に入っていないかの確認が必要となるからです。
 事故はまた、常に突発的に発生します。
 爆発の危険や、外部に放出される放射性物質の量が減っても、
 構内での作業は全く安全では有りません。
 危険きわまりのない、こうした最前線での医療活動では、
 なんらかの際の高度被ばくのリスクは、常に消えないのです。
 しかし、それでも彼らは、今日も放射能と闘っています」


 東京電力の発表によれば、56ERの受診者は
昨年7月の設置以降、今年2月までの8カ月で140人が運ばれました。
夏場には熱中症などが多かったものの、救急搬送された人は25人にのぼります。
しかし56ERの救急医は、重篤なけが人や病人があっても動じません。
目に見えない放射線でも、『線量計で危険を判断すればいい』と言い切ります。


 しかしそれでも、不安が無いとはまったく言い切れないようです・・・・
世界最悪となってしまった福島の、原子力災害の現場では
「かつてない“敵”との闘いによって、常に極度の緊張を強いられているし、
とんでもない強さの放射線が、いつ何どき飛んでくるかもしれないという不安は、
常に、我々の心のどこかに潜んでいる・・・・」と、その本音を語っています。

 さらに、今後に始まってくる使用済みの燃料や
溶融してしまっている原子炉の、燃料の取り出し作業の工程などを見据えると、
「廃炉作業が進むほど、線量の高い場所での作業が増えてくる」と見通しています。
緊急被ばく医療の体制などを、さらに整えておく必要性も強調しています。


 福島県からの医師が多く、56ERに入っている理由をについて
福島第1原発救急医療ネットワーク代表で、
広島大病院高度救命救急センター長の谷川攻一教授は
「福井県では救急医療と被ばく医療、双方に通じた医師が多く育成されてきた」
と説明をしています。

 国が指定する3次被ばく医療機関である同大病院から見ても、福井県の医学教育は
「被ばく医療教育が、きわめて充実している」と映っているようです。
福井県から派遣されている医師は皆、福井大医学部の専門研修や県費の派遣で
米国の「リアクツ」(REACTS=放射線緊急時支援センター研修施設)に留学した
経験などを、それぞれに持っています。



 「福島第一原発の事故は、今まで救済をされてこなかった原発労働者たちの
 被ばく問題について、初めて日の光を当てることになった。
 原発労働者たちの全体が助かったと言う意味では無いが、
 一部とはいえ、これらが明らかになったと言う意義は、極めて大きい。
 だが医療的に見て、現状ですべての人たちの命が救えると言う訳では決して無い。
 山本氏の場合は、良く持って3か月・・・・かもしれない。
 だが、最後に君に是非、お願いしたいことが有る。
 ひとつだけ君へお願がある。聞いてくれるかい?」


 「私でお役に立てるなら、なんなりと」


 「おっ。さすがに清ちゃんの一人娘だ。きっぷが良い。
 そう言ってくれると、俺もお願い事が言いやすい。
 患者にとって、クスリや治療よりも、看護婦たちの可愛い笑顔や
 生き生きとした表情の方が、患者にとってはるかに生きる気力になるようだ。
 君のように美しい女性が、和服を着て和やかな笑顔などを見せてくれると
 患者は、予想を遥かに超えて、長生きをするかもしれない。
 あまりにも非科学的な言い方で申しわけないが、
 元気や笑顔は、人の気持ちを、なによりも癒してくれるようだ。
 薬よりも、一つの笑顔の方が、はるかに患者には効く場合もある」


 「常に、笑顔で看病しろと言うことですね。
 それならば、私にも出来そうです。
 心に命じて、喜んで勤めてまいりたいと思います」



 「やっぱり君は、お母さんに良く似ていて、
 見かけも心も、折り紙つきの大和撫子(やまとなでしこ)だ。
 頼んだぜ。ナイチンゲール君」



 じゃあ、そろそろ俺も煙草を吸う時間だ。と言って杉原医師が立ちあがります。
立ちあがり見送ろうとする響を、いいからとその手で制します。
それよりも折角のコーヒーが、長い話で冷めたしまったようで申しわけなかったと、
細い目を、さらに細くして杉原が笑います。



 「それでは私が、私の分と先生にもう一本、
 苦いコーヒーなどをご馳走いたしますが、いかがですか」



 と、響がにこやかに声を返します。


 「ありがたい。だが、せっかくだがそれは明日にとっておこう。
 明日もまた、美人に会えるとあらば、俺にも生きる張り合いが出てくるというものだ。
 じゃ、苦いコーヒーは、また明日のその時に」


 杉原医師が即座に応え、笑い声を残しながらいつものように、
廊下の彼方へ消えていきます。




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連載小説「六連星(むつらぼし)」第74話

2013-05-23 10:21:32 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第74話
「50年の壁」





 
 夜が明けるのを待ってから、山本は高度治療室から一般病棟へ移されました。
一晩付き添ってきた俊彦と入れ替わるために、今日もまた二部式の着物を着た響が病院へ
やってきたのは、まもなく午前10時という時刻です。
廊下で禁煙パイプをくわえた杉原医師と響が、ばったりと出あいます。


 「おう。トシんところの大和なでしこのお眼見えか。
 今日も綺麗だ・・・・うん、ご苦労さん。
 本当にお前さんは、着物が良く似合う。
 こうして見るとお前さんは、若い頃の、お母さんよりの美人だねぇ。
 ん・・・・。どうした。そんな怖い目で俺を見て。
 何か俺が、気に障る事でも言ったかな・・・最大限に褒めたつもりだがなぁ、俺は。
 いったいどうした。響ちゃん」



 「褒められて、気を悪くする女なんて、
 いくら探しても、この世の中には絶対にいません。
 私の目が真剣なのは、本当のことを先生に教えてもらいたいからです! 
 私が知りたいのは、山本さんの今後です。
 原爆病に詳しい杉原先生なら、山本さんを治療するのは簡単ですょね」



 「なるほど。可愛い顔をしているくせに、
 常に、『おきゃん』だと言われている君の実態が良く分かる、物の言い方だ。
 そう言う風に、あえて承知をしながらも、さらに探りを入れてくるということは、
 すでにそれなりに学習済みと、俺は見た。
 じゃあその質問に、俺もすんありと答えよう。
 残念ながら、答えはノウで、助かる見込みは万にひとつもない。
 が・・・・ここでは少し場所が悪い。
 そっちの休憩所で少し話そうか。
 コ―ヒーよければ、おごってやる。少しだけ付き合え」


 廊下を歩くと、その突き当たりに自動販売機の一角があります。
広くて明るい開放的なスペースには、大きな窓に沿ってテーブルと椅子が置かれています。
白衣を翻して杉原医師が、早速、自動販売機から缶コーヒーを買い求めてきます。




 「無糖は俺の呑む分だ。、君には、甘い方をやろう。
 嫌いじゃないだろう・・・・コーヒーは?」


 「座れよ、その辺りに」と、響を座らせてから、
自分は窓際に立ち、外を眺めながら缶コーヒーを開け、まず一口目を含みます。
「苦いなぁ・・・・」顔を歪め、苦笑をしながら響の方を振り返ります。



 「君の言いたいことには、察しがつく。
 だがね。山本氏の場合は、現代医学を持ってしても難しいものが多々有る。
 残念なことだが、内部被ばくに関する充分なデータ―が公表をされていないために、
 今の段階では、我々の治療は手探り状態になってしまう。
 つまり、原発で働いている労働者たちの健康被害の実態とその症例は、
 全く明るみに出ず、常に闇から闇に葬られている、ということだ。
 原発とガンの発症と言う因果関係は、日本ではいまだ認知をされていないままで、
 非公式に『日本には存在をしないはずの、原爆症の病気のひとつ』と呼ばれている」


 「そんな、馬鹿な・・・・」



 響の顔色が、瞬時に変わります。
杉原医師を見つめている目線に、さらに射ぬくほどの厳しさが加わり、
また怒りにも似た感情がこみあげてきたことで、思わず響の頬が赤く染っています。



 「日本は、第二次世界大戦で広島と長崎に原爆が投下をされたために、
 世界で唯一の被爆国となった。
 広島や長崎での原子爆弾による惨状や、
 放射能汚染によるその後の健康被害や、環境の破壊などについても、
 公開されているものも多く、教科書などでも取り上げられてきたから、
 君も良く知っていると思う。
 日本人が体験をした、3度目の被ばくは、ビキニ環礁沖の核実験だ。
 1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆の実験は、
 広島型の原子爆弾、約1000個分以上の爆発力をもったものだ。
 この時の水素爆弾の炸裂で、海底には直径約2キロメートル、
 深さが、73メートルのクレーターを形成した。
 このときに、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ、
 周辺で約1000隻以上の漁船が死の灰を浴びて、被曝をした」



 「日本は、三度も被ばくをしているのに、
 それほどまでに酷い目に合ってきたはずの国民なのに・・・・
 核の被害の恐ろしさと深刻さは、十二分に知りつくしてきたはずなのに、
 なぜ日本は、、原子力発電への道を進んできたのでしょうか。
 私には、そのきっかけが解りません」



 「日本は、資源とエネルギーを持たない、工業立国だ。
 戦後の復興を、技術力で成し遂げてきたが、
 その経済成長を根底から支えたのが、日本独自のエネルギー戦略だ。
 そのためにと、とくに効率の良いエネルギーの確保が急務となった。
 当時に主流だった水力発電から火力発電へと進み、
 そして安上がりとなる原子力発電へと、電機業界は一直線に、
 着々と用意をされた、その路線を突き進みはじめた。
 もちろん、当時の日本政府もアメリカからの支援を受けながら、
 全力を挙げて、原子力の導入に奔走しはじめた。

 その大義名分の旗印として掲げられたのが、『原子力の平和利用』というスローガンだ。
 同時に、原子力発電所が危険なものでは具合が悪いので、、
 あらゆる角度から、徹底をした原子力発電所の『安全神話』が作りだされた。
 補助金と称して、原発を建設する自治体には、大金を投下しての懐柔戦略もすすめた。
 こうした結果、50年前から日本の原発の建設は始まり、
 日本中に、54基もの原発が建てられた。
 最近の計画でも、あと10年後までにはさらに10基から
 15基の原発の建設計画が、非公式ながら準備をされていたようだ。
 こうして原子力発電は、今ではすっかりと発電の根幹を支える存在となった。
 だが、東日本大震災による福島第一原発の崩壊は、
 原子力発電所の、『安全神話』がいかに欺瞞に満ちたものであり、
 暴走すればいかに危険なものであるのかという事実を
 国民の前についに露呈して、あますことなく明らかにした。

 だが、福島の被ばくは、日本にとっての4度目の被ばくでは無い。
 50年もの長い年月にわたって、原発労働者たちの身体を内部から蝕んできた
 内部被ばくの実態こそ、第4の被爆体験として取り上げられるべきだ。
 つまり福島は、広島と長崎、ビキニ環礁での水爆による被ばく、
 さらには54基の原発で働いてきた、おおくの原発労働者の内部被ばく例につづいての、
 日本では、5番目となるはずの被ばくの体験だ。
 だが、この4番目の原発労働者の被ばくは、一切、公にされず表に出てきていない。
 長年にわたり、秘密裏の『存在しない病気』のひとつとされてきたものです」



 「秘密にされてきた・・・・
 ということは、いままで原発を稼働させてきた電力会社が、
 そう言う事実を、ひたすら隠しつづけてきたという意味にも聞こえました。
 さらにいえば、原子力政策に責任を持つはずの、政府もその片棒を担ぎ、
 一緒になって事実を隠ぺいしてきた、ということになりますね」



 「放管手帳というのは、知っているだろう。
 放射能関連施設で働く人たちに義務づけられている、被ばく管理用のものだ。
 これが、いまでも年間に一万部くらいが発行されていると聞く。
 だが原発労働者の実態は、いまだに正確に把握をされていない。
 三次から四次までが下請けの限界点と決められているのに、
 実際の作業現場では、七次から八次までの下請け労働者たちが働いている。
 五〇年間も、こうした実態が平然と繰り返されてきた。
 厚生労働省、もとの旧労働省が1976年に、白血病や白内障、急性放射線症などに
 限定をして、原発労働者たちの労災の認定基準をようやくまとめた。
 心筋梗塞(こうそく)などの、基準外とされる病気の場合でも、
 医師らによる検討会で因果関係が認められれば、認定されるという可能性も残した。
 だが、同省によると76年以降に、原発作業員で労災の認定がなされた者は
 実は、たったの11人だ。
 推定で、累計では30万人から50万人はいるだろうとされる
 原発の労働者のうちで、病気を認定されたのはわずかに11人だ。
 これが、日本の原発の実態であり、
 これが日本政府がすすめる原子力政策の隠された裏側の真実だ。
 このうち、6人が白血病。3人が悪性リンパ腫。2人が多発性骨髄腫だった。
 解るかい・・・・あとの人たちは全て、
 電力会社と政府によって、切り捨てられてしまったんだ」



 ゾクリとする寒けを、響が背中で感じています。
ここまでの原発労働者たちとの交流のなかで、いくつもの体験談を聞いてきた響が、
はじめて聞かされる、医療や救済からも見離された厳しすぎる現実世界の話です。
(日本の政府が、原発を支えている労働者たちの健康被害を見捨てている!)
響は、想像を絶する原発の実態に、また、言葉をうしなってしまいます。・・・・





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連載小説「六連星(むつらぼし)」第73話

2013-05-22 10:31:28 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第73話
「4月19日の記念日」



 
 俊彦の車で市内の救急病院に搬送をされた山本は、そのまま
待ちかまえていた救急医の杉原によって、3階に有る高度医療集中治療室へ運ばれました。
ICUとも呼ばれているこの施設は、救急外来などで搬送された重症の患者や、
入院中に容態が悪化して厳重な全身管理が必要となった患者などに対して、
呼吸や循環、代謝その他の重篤な急性機能不全の状態を24時間の体制で管理をして、
より効果的な治療を施すことなどを、主な目的としています。


 「大丈夫かしら・・・・山本さんは」


 俊彦に指示されて一度自宅に戻った響が、入院に必要とされる身の回り品を整え、
再び病院へ戻ってきたのは、すでにとっぷりと陽が暮れてからのことです。
3階の廊下では、俊彦と一段落させた様子の杉原医師が立ち話をしています。
「そのせつは・・・・金髪の英治のときには、大変、お世話になりました」と、
響が杉原へ深々と頭を下げます。



 「やあ。なるほどねぇ、やっぱり噂は本当だ。
 トシさんところの響ちゃんが、毎日、着物を着ていて素晴らしいと、
 病院内での評判で聞いていたが、なるほどねぇ、じかに見るとさすがに良いもんだ。
 可愛いし、良く似合っている。
 これなら、山本氏も看病をしてもらうという甲斐があるというもんだ。
 山本氏も、明日には一般病棟へ移せるだろう。
 もう、ひと安心をしてもいいだろう」

 
 「よかったぁ!。
 でも、ICUから、そんな簡単に出られるのですか。
 あたし、山本さんの吐血があまりにも酷かったもので、てっきり・・・・」



 「ああ、大丈夫だよ。心配ないさ」
禁煙パイプをくわえなおした杉原医師が、響を見つめて目を細めます。
「ただし。」と、傍ら寄って来た杉原が強い目線で、響の顔をのぞきこみます。
あまりにも強い杉原の目力に、響が思わず唾を呑みこみます。



 「問題はこれからだ。
 大量の体内被曝の後遺症として山本氏は、多臓器不全と言うべき状態だ。
 この先では何が起こっても不思議では無いだろう。
 油断ができないという事態が、おそらく長くつづくことになるだろう。
 片時も目が離せなくなるだろうし、此処から先は
 我々としても、まったく未知の分野の治療になる。
 頼んだぜ、響ちゃん。
 大変だとは思うけど、山本氏には君の笑顔と付き添いが必要になる。
 俺からも頼むよ。二部式着物のナイチンゲールくん」



 ポンと響の肩を叩いた杉原医師が、ふたたび禁煙パイプをくわえなおすと
目で俊彦に合図を送り、白衣の裾をひるがえして仮眠室へ歩き始めます。



 「ご苦労さん。なにかと気ぜわしい一日になってしまったが、
 原発が54基から、福島の4つが減って、今日からは50基になってしまった。
 たった今それが決まって、テレビの臨時ニュースでやっていた。
 もう、どこかでそれを聞いたかい?」

 杉原医師から分けてもらった禁煙パイプを口にくわえた
俊彦が、響に問いかけます。

 「福島が、正式に廃炉になったのですか?」



 「廃炉申請は、東電が3月末から、経済産業省に届け出ていたが、
 19日の今日になって、それが正式に受理をされた。
 商業用の原子炉としての廃止が認められ
 電気法と言う法律の範囲内で、福島第一原発が消滅をしたという意味を持つ。
 だが福島第一原発では、1号機から4号機まで、
 廃炉が決まったとはいえ、相変らず炉内やプールには核燃料が残ったままだ。
 燃料を冷やして冷温停止状態を維持する作業は、今後も長期にわたって継続される。
 溶解した燃料の取り出しも、まだこの先、20年から30年近くもかかる見通しだ。
 完全に片付くまでには、40年以上を要すると言われている。
 しかし、今日まで増え続けてきた日本の原発が、
 初めて減る日を迎えたと言うことは、やはり記念すべきこととなる。
 すでに耐用年数の40年を越えた危険な原発も沢山あると言うのに、
 政府も電力会社も、ひたすら延命工作に腐心をしている最中だ。
 本意では無いとは言え、4つの廃炉が決まったことは記念すべきことになる。
 すくなくても、2012年の4月19日は、
 日本の原発史上にとって、そういう特別な意味を持つ1日になった。
 いわば、原発史上初の、原発廃炉記念日だ。
 あとで、ゆっくり確認をするといい」



 響が、目を丸くして俊彦の話を聞いています。
だが見つめている響のその目に、かすかに懸念の色合いが浮かんできました。



 「なんだよ響。その目は・・・・
 やっぱり、俺が切り出すのには、ふさわしくない話題か? 
 俺だって社会の出来ごとに関しては、それなりに常に注意をはらっている。
 俺が固い口調で、原発のそんな話題を口にしたら、
 やっぱり、お前から見たら可笑しく見えるか?」
 

 「いいえ。トシさんと面と向かって、
 そんな話をするようになるなんて、私はまったく
 想定をしていなかったもので、なんだか、とてもびっくりとしています。
 ごめんなさい。
 自分でもまだ、すこし戸惑っている最中です。
 昼間は思わず、あんなことをトシさんに口走ってしまったし、
 何が何やら、いまだに頭の中の整理ができていません。
 『お父さん』と呼んでしまったことに、実は根拠はありません。
 もしそうで有った良いなと思っている、ただの私の願望から出た言葉です。
 気を悪くしないでください・・・・口が滑ってしまいました。
 いままで通りの響として、嫌わずに傍に置いてください」



 真っ赤になりながらも、響が息もつかずにまくしたてています。
響自身もまったく気がつかないうちに、なぜかその両眼も潤み始めてきます。
(やだ。私ったら、また心臓が激しくドキドキしてきたわ・・・・)
自分の全身のすべてが、湯気をあげそうなほど熱くなってくるのを響が感知しています。
そんな響を見透かしたように俊彦が、響の頭にポンと手を乗せます。
廊下にある人の気配を確認してから、響の耳元で囁きます。



 「君は、とってもいい子さ。
 お母さんの清子さんも、チャーミングでとても素敵な女の人だ。
 そんな二人から慕われたているとしたら、
 君のお父さんという人は、すこぶる幸運な持ち主の一人だと俺も思っていたし、
 それほど幸運な男は、この世にめったに居ないとも思っていた。
 俺も、君みたいに可愛い娘が欲しくなったのも、また事実だ。
 嬉しい事に、それがまた現実の出来ごとになるつつもある。
 40歳を過ぎるまで、一人身で過ごしてきた男に想定外に家族が出来ることに
 実は、すこしばかり面食らっているのもまた俺の事実さ。
 君も受け入れるまで時間がかかると思うが、それはまた、俺にも同じ事が言える。
 悪いが俺は、不器用者だ。
 俺もまた、時間をかけて君を受け入れる準備をするから、
 君もそのつもりで待っていてくれ・・・・
 ただしまだ、誰にも口外をしないでくれよ、俺の恥ずかしすぎる動揺だから。
 こんな話は、君のお母さんにも内緒だぜ。
 今はまだ、君と俺だけの内緒の話だ。
 今のうちは、まだそれだけだけでも、良いだろう。
 俺の言っている意味は解るよね?」



 みるみると、響の目が潤んできます。
「馬鹿だなあ・・・」ポンともう一度頭を叩いて、俊彦が響から離れます。



 「今後の対策のために、少し外で岡本と行き逢ってくる。
 一時間もすれば戻ってくるから、悪いがその間ここでの見張り番を頼む。
 泣くなよ。俺までもらい泣きをしちまいそうだ・・・・
 まだつもる話は沢山あるが、後の機会にゆっくりやろう。
 じゃあな。ちょっと出掛けてくる」



 手を振った俊彦が、丁度やってきたエレベーターの中へ消えていきます。
誰も居なくなり、すっかり静かになった廊下で、響が両方の瞼を荒っぽくこすります。



 「原発が、初めての後退を見せたという、史上初の廃炉記念日だ。今日は・・・・
 54基から50基に原発が減って、50年余の歴史の中で、
 初めて原子力政策が、その下降線の瀬戸際に立ったという記念日だ。
 24歳の私にとって、4月19日は、もうひとつの大切な記念日になった。
 父の手は、とっても温かくて、とても重たかった。
 お母さん。私を生んでくれてありがとう。
 そのおかげで響は、24年間生きてきた中で一番の、
 とっても嬉しい一日と、巡り合えることが出来ました。
 今日と言う日が、来年からは、
 私と母とトシさんの、3人の記念日になると最高になるのだけれど、
 世の中は、そんな簡単にはすすまないか・・・・やっぱり。
 やばい。内緒にしておけとさっき、トシさんに念を押されたばかりだ!
 私が、有頂天になるのは、まだまだ早すぎる」






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連載小説「六連星(むつらぼし)」第72話

2013-05-21 11:05:31 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第72話
「2004年8月9日」





 日本初という歴史を背負って誕生をした美浜原発は、
原子力をめぐる未成熟な技術環境のせいもあり、未公表のものも含めて、
50年間のあいだに、重大で深刻な事故を何度も繰り返してきました。
そして、その最大ともいえる事故は2004年の運転中に発生をしました。


 2004年8月9日午後3時22分。
営業運転中の関西電力・美浜原発3号機の2次系配管(直径56センチ) の一部で、
いきなり最大で57センチの穴があき、きわめて大きな破裂が主配管に生まれます。



 破裂をした箇所は、タービンを回すのに使っている2次冷却水を
蒸気発生器に戻す復水管の部分で、この付近の2次冷却水は140度以上もあり、
10気圧ちかい強い圧力がかかっています。
この配管の破裂により、きわめて高温の蒸気と熱水が一気に周囲へ噴出しました。
5日後に迫った定期検査の準備作業をしていた「関電興業」の下請け企業、
「木内計測」の作業員11人がこの事故に巻き込まれてしまいます。
この事故で、5人が全身やけどで死亡し6人が重傷を負っています。
日本における原子力事業所内の事故としては、過去最悪ともいえる
犠牲者を出してしまいました。


 原子力推進派たちは、これだけの大惨事にも関わらず、
2次系冷却水に放射能が含まれなかったことから、これを「単なる労災事故」として扱い、
原発の安全性を擁護したまま、事故を軽度のものとして片付けてしまいます。
こうした対策ぶりの中にこそ、常に原発の存在を擁護してきた側の危機管理意識の乏しさと、
事実を歪曲し隠ぺいするという欺瞞の体質が、すでに露呈をしてきているのです。
この事故が意味しているもっとも重大な事実は、炉心を冷やすべき冷却水の大半が
すでに失われて、炉心そのものが溶解の寸前であったという点です。



 この事故により、885トンにおよぶ冷却水が噴出して漏出しています。
この量は、2次系冷却水全体量の約8割に相当します。
このために補助用の給水ポンプが稼動して、炉心への冷却水の補充が行われましたが、
1次系と熱交換を行う蒸気発生器の水位は、一時的には危機的な状態まで陥ってしまいます。
関西電力の発表でも午後4時55分段階で、水位が3分の1まで下がっていたということが、
後になってから明らかにされています。
しかし多くの専門家の意見によれば、一時的にはさらに冷却水が下がっていたという
可能性すら有ったと、厳しく指摘がなされています。


 この事故により原子炉は、事故発生の6分後に自動で緊急停止をしています。
高温のままの緊急停止状態であり、冷却水の補充に失敗をしていれば、炉心溶融によって
破滅的な事故にいたるまでの危険性が有りました。
スリーマイル島の原発事故も、2次系冷却水の漏洩がきっかけで発生しており、
2次系といえども、冷却水の喪失事故を決して軽視することはできません。

 配管の破裂部分は、通常では10ミリほどある肉厚が、
配管の交換が必要とされる限度の 4.7ミリを大きく下回っていて、
最小で 0.4ミリまで薄くなっていたと、後の報告書に明記されています。
破裂した復水管は炭素鋼でできており、ステンレスなどと比べても
比較的、腐食などが進みやすいといわれています。


 原発美浜と同じ加圧水型原発をもつ、アメリカのサリー原発の建屋でも
1986年に、直径45センチの配管が一瞬のうちに破断するという事故が発生をしています。
高温の水蒸気と熱水を浴びた作業員4人が死亡するという、今回と同様の事故が発生しており、
その後、配管には激しい腐食跡も見つかっています。
この事故を受けて1990年に加圧水型原発では、新しい安全管理の基準がつくられています。



「2次系配管の肉厚の管理指針」では、
今回の破裂箇所は、もともと点検対象となるべき検査場所であると指摘をされています。
そうした指導にも関わらず、美浜原発を抱える関西電力では、運転開始以来27年以上
にわたって、いっさいのそれらの検査をしていないという、途方もない事実が、
この事故をきっかけとして、ようやく発覚をしました。
しかも破裂をしたこの箇所は、検査用などの枝管ではなく2次系列とはいえ、
もっとも主要な部分を構成する、主要配管のひとつでした。



 「熱心だな。その顔は、
 またどこかで何か、興味深いものを見つけたようだ。
 今度はいったい、何に好奇心を持ったんだ」


 「あっ、お帰りなさい。
 ごめんなさい、気がつきませんでした・・・・」


 ノートパソコンを閉じて立ちあがろうとする響を、俊彦が目で止めます。

 「気にするな。お茶くらいなら自分でいれる。
 お前の分もいれてやるから、いいからそのまま、作業をつづけろ」



 上着をハンガ―に架けた俊彦が、そのまま台所へ消えていきます。
(続きは後で、ゆっくり検索するか・・・・病院の話の方も気になるし)
ブックマークを付けて検索を打ち切った響が、俊彦を追って台所へ移動をします。



 煙草をくわえて換気扇の下に立っていた俊彦が、響の気配に気がついて、
着火していたライターを、一瞬で吹き消してしまいます。
笑顔のまま、響が俊彦へ最接近をします。



 「なにを遠慮してんのよ。自分の家でしょ。がんがんやって頂戴」

 ヒョイとライターを奪い取った響が、『どうぞ』と、
きわめて丁寧に、俊彦がくわえている煙草に火を点けます。


 「美味しいでしょう。愛しい娘に煙草に火をつけてもらえると?」



 火をつけ終わり、ゆっくりと後退をした響が、食器戸棚の前で腕を組み、
まばたきひとつもしないで、平然としたまま俊彦を見つめています・・・・
が、次の瞬間、自分がたった今、さらりと途方もない事を口走ってしまったことに、
ようやく自分自身で気がつきました。
(えっ。あたしったら今何気なく、大胆な言葉を口にしまった!。)


 言ってのけた当の本人でさえ、なぜそんな言葉が突然出たのか
理解が出来ないままの、まったく不意うちともいえるような出来ごとです。
響の頬が急激に火照り、胸の鼓動がにわかに高まってきました。



 (うわ~失敗。軽々しく口にしてはいけないことを、
 ついに言っちゃったわ。あたしったら。
 しかも、思ってもいない突然のタイミングだもの。どうしたんだろう、今日の私は。
 あまりにも突拍子すぎるし、唐突過ぎる!)



 目を見開いている俊彦の顔を直視したまま、響が茫然と固まってしまいます。
早鐘のように高鳴ってきた心臓の音は、響の周囲の物音を完全に消し去ってしまいます。
一口だけ煙草をふかした俊彦が、煙のすべてを静かに吐き出します。
緊張していた顔の表情をふいに崩すと、その目が台所に有るはずの灰皿を
あわてて探し始めました。
先に見つけた響が、灰皿を手にして、俊彦へ差し出します。
『ありがとう』と受け取った俊彦が、灰皿へ煙草を押しつけるとゆっくりともみ消します。
お互いに言葉を探し続けている沈黙が続く中、俊彦がまず先に口を開きました。



 「そうだよな。君は、
 顔も見たこともない父親に会いたくて、今頃になってから家出をしてきたんだ。
 お母さんもそのことはすでに承知をしているし、
 君にとっても相変らず、それはきわめて大きくて、大切な問題だと思う。
 そのことに関して、俺たちは、もっとちゃんと向き合って話し合う必要が有るようだ。
 ただし・・・・」


 と俊彦が言いかけたところで、
奥の部屋からドスンと言う、なにかしらの鈍い衝撃音が聞こえてきました。
山本の短いうめき声が聞こえ、ゼイゼイとあえぐ声がしばらく続いたあと、一転して
今度は、激しい咳込みの声が聞こえてくるようになりました。
はじかれたように、響が奥の部屋に向かってへ突進します。
『まさか・・・・』俊彦が、病院での杉原の言葉を思い出している間もなく、
次の瞬間には、響の絶叫に近い甲高い声が、アパート全体の空気を切り裂きました。


 
 「お父さん。山本さんが大変!
 吐血で、お蒲団が血の海になっている!・・・・・
 大丈夫。山本さん、山本さん!。どうしょう・・・お父さん。
 救急車よ、救急車!」


 「落ちつけ、響。
 大丈夫だ。万一の場合には病院にすぐ、連れていく手はずをとってきたばかりだ。
 すまないが、俺の携帯から杉原を呼び出して、
 これから山本さんを、緊急で搬送すると伝えてくれ。
 一刻を急ぐかもしれないから救急車ではなく、俺の車を使う。
 すぐに、病院へ向かうから、頼んだぞ。杉原への連絡は」



 「はい。お父さん!」


 (お父さん・・・・確かたった今、
 響が、俺のことをそう呼んでいたよなぁ。気のせいじゃなく・・・)


 山本を抱き上げて自分の車へ急ぐ俊彦が、青ざめた顔のままそう答えていた響の
言葉を、なんども再確認をしています。







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