落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第54話

2013-05-01 05:22:40 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第54話
「広野町の朝」




 「う~ん・・・・」

 響が、ふかふかの布団で目を覚まし、気持ちよく伸びをしています。
(うわ~。私ったら、人さまの家へお邪魔をしているというのに、完璧に熟睡なんかしている)
苦笑しながら朝の身仕度を始めた響へ、隣室からおばちゃんの声がします。


 「起きたかい?
 よっぽど疲れていたみたいだね、よく寝ていたもの。
 あたしゃ朝ご飯を、あいつの所に届けてくるからちょっと出かけるよ。
 30分もしたら朝ごはんになるから、なんなら、そのあたりを歩いて来ればいい」


 じゃあね、と言って玄関がパタリと閉まります。
3食を届けていると言っていたので、その「朝」の部になる食事のようです。
おばさんが立ち去った隣室には、鼻孔をくすぐる味噌汁の香りが残っていました。
(これで海苔と納豆があれば、典型的な日本人の朝食だ・・・・)
響が何気なく、ふと見たキッチンのテーブルの上には、その納豆が置いてあります。
(あらら、ちゃんと準備してある、さすがだなあ、やっぱり。)



 明るい日差しに誘われて、響も玄関前へ出てみます。
東北地方も4月が近づいてくると、にわかに春めいてきて、昨日よりも、
はるかに温かいと感じる朝の気配です。
到着した昨日は夕暮れの時間帯だったために、大雑把にしか把握できなかった
町中の様子が、今朝は朝日の下で鮮明に見ることができます。


 響の目の前に広がっているのは、古い集落による住宅地です。
東京と東北の沿岸地帯を貫いていく幹線道路の国道6号線は、すっかりと再整備がなされて
この住宅街の西側を、中央分離帯つきの4車線道路となって走り抜けていきます。
その前身としての役割を果たしてきた思われる旧の街道(陸前浜街道)が、
いま響が立っているこの、古い集落の中心部分を貫いています。

 
 海と山にすこぶる近いために、広野町の現在の市街地は、
国道6号線と常磐線に挟まれたウナギの寝床のような、細長いエリアに集中をしています。
そこを外れると、わずかばかりの耕地が、山間のスキマを埋めるようにして並んでいます。
海の真近にまで迫ってくる山裾のために、広野には平地があまりありません。
そんな町の様子をあざ笑うかのように、東電が作った火力発電所が
海の中へ敷地を大きく張り出して、大きな煙突をデンと突きあげています。
その敷地に隣接しているのが、Jビレッジです。
サッカーの総合運動場施設として、東電が大金を投下して建設をしたこの設備は今、
皮肉なことに、原発事故対策のための最前線基地に変わってしまいました。



 広野の駅前に設置をされている案内看板には、雄弁とは言えないものの、
『火力発電所だけで成り立っている町ではないぞ』という地元の主張が
かすかながらも、にじみ出ています。
広野は、小さいながらも陸前浜街道の宿場としてかつては栄え、
古くは、奈良時代にまで遡る駅(当時は馬を置いた) としての歴史が残っています。
明治以降になると、数々の童謡を産んだ舞台にもなりました。


 あの日の津波は、この駅舎のあたりまで到達をしています。
線路の向こう側の一段低い農地には、水を被った痕跡がありありと残ったままです。
駅から西へ向かって歩きはじめた響が、ポツンと置かれた石仏を見つけました。
旧街道の沿道で "北迫の地蔵尊" と呼ばれ大切にされてきた、古い石仏です。
古い時代に、道祖神的な役割を期待して建立されたものとして今も残されています。

 しかし昨日と同様、やはり朝の市街地に、まったく人の気配はありません。
途中で見つけた地蔵尊には、まだ新しい花が供えられており、
無人という訳ではなさそうですが、あえて市街地にとどまっているのは、
やはり、ごく少数に限られているようです。
商店の全てもピタリと閉ざされたままで、営業をしているという気配を
まったく感じることが出来ません。


 
 (地元の経済活動という気配が、ここでは、まったく見ることができない。
 それはそのまま、ここでの復興活動が遅れてしまっていることを意味している・・・・
 やっぱりここは、無人化に歯止めがかからないままの、ゴーストタウンそのものだ)


 無人の住宅地を抜け、途中から小さな路地を曲がり、国道6号線へ踏み出た響が、
それまでとは全く異なる、驚くべき別の世界を目撃します。
国道では、東京電力関係者のクルマがひっきりなしに往復をしていています。
タクシーやバス、そして何やら荷物を積んだ大型のトラックなどが、一目散に
J-ビレッジの方面に向かって疾走をしていきます。
また同様に反対車線には、J-ビレッジ方面からも戻ってくる多くの車の姿が有ります。


 (きわめてものすごい交通量だ。
 放射能特需とでも呼べるような、朝の賑わいぶりだ・・・・
 これが5000人を越えるという、原発関係の労働者たちのパイプラインの姿かしら。
 国道6号線は、いまや放射能と闘うための、人と物を運ぶ大動脈になっている。
 これがこの先、何年・・・いいえ何十年もつづくというのかしら・・・・)



 国道6号線は、立ち入り禁止区域となっているJビレッジに向かって直進をします。
いまや、一般人には全く無縁の道路です。
原発の放射能と対峙するためという目的のためだけに、人と物資が
たえまなく行きかう、最前線の道路に変身をしてしまいました。
東北を支えてきたこの大動脈は、いまや東電の関係者と原発労働者を運ぶための
専用道路として、その活況を呈しています・・・・
しかし、あまりにも大量の車の列に、それを見つめる響の背筋には
身ぶるいと共に、思わずの寒い衝撃が走り抜けます。


 さらに陸橋を越えていくと、
前方には、職員たちが戻ってきたという、役場の庁舎が見えてきました。
隣接する消防署には自衛隊の車両なども見えます。
役場のほうには、ごく普通に数台の自家用車が停まっているのも見えました。
(7時前だと言うのに、もう乗用車が停まっている? いったい誰が、なんのために・・)
と響が思っていたそのときに、突然スピーカーからチャイムが鳴って、
防災無線らしい放送が流れてきました。


 「こちらは…広野町役場です・・・・
 本日、午後7時の空間放射線量は、0.45マイクロシーベルト・・・・」



 淡々と、事実だけを簡潔に告げるアナウンスが、スピーカーから流れてきました。
数回にわたって、ゆっくりと繰り返され、また周囲には静寂が戻ってきました。
(なるほど・・・・こういう業務も、ここでは朝から必要になるわけか)
0.45μSv/hというのは、人が住めないほどの放射線量ではありません。
避難準備区域の指定が解除をされて、行政サービスも戻ってきたとなると、
広野へ町民たちが帰ってくる可能性は、高まって来たようにも思えます。


 しかし響の心の中では、国道6号線に車があふれている、あの活況ぶりが
どうしても、気になって仕方がありません。
役場の庁舎をもう一度見上げてから、響が踵を返します。
ふたたび陸橋の上に立つと、あらためてひっきりなしに往来をする車の様子を
絶望的な眼差しで、響が見降ろしはじめました。



 (忙しすぎるほどの、人と車の往来だ。
 なにか只ならぬ事態が、人の安全を脅かしているために、
 最前線の人たちが、かすかな希望だけを抱いて、
 ほとんど勝ち目の薄いたたかいに、我を忘れて、ひたすら参戦をしている・・・・
 私には、この景色がただ、そんな風に見えてならない)


 戻ろう。
ふと頭の中をよぎり始めたそんな気持ちを振り棄てるように、
響が陸橋を後にして、また物音ひとつ聞こえない、住宅街の中を歩き始めました。
見回す限りでは目に見える大きな、津波による被害の様子は見受けられないものの、
古い家屋やブロック塀などでは、地震によって倒壊をしたままという
手つかずの被害の傷跡などが残っています。
まったく人の気配が消えてしまっている住宅街には、時計の進行どころか、
自分を包んでいる朝の空気までも、止まっているような気配がします。


 (こんな風に誰とも出会わないし、
 自分の歩く足音しか聞こえない住宅街なんて、絶対におかしいし、どうにかしている。
 此処で動いているものといえば、国道を埋め尽くしていた、あの車の列だけだ・・・・
 いや、役場にも、たしか放送をしている人たちが居た。
 それにしても、私がこの町に来てから口を聞いた人といえば、
 これまでに、たったの二人だけだ。
 行き会った人間も、この町では、この二人だけだ・・・・
 5000人の住民が、200人になってしまうと言う意味は、実はそう言う意味なんだ。
 ここは確かに、時間どころか、空気までも一緒に止まってしまったうえに、
 生活というものを、根底から失ってしまった、過去の町だ)





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