落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第55話

2013-05-02 09:52:20 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第55話
「東電の火力発電所」 




 「おかえり。
 どうしたのさ、そんなに怖い顔なんかして。
 何か、気に障るものでも見てきたのかい・・・・」

 朝食の支度を整えていたおばさんが、あまりにも不機嫌な
響の顔を、心配そうにのぞきこみました。
響が、やっと我に戻ります。


 「あ、ごめんなさい。
 町の中は、まったくの無人状態だと言うのに、
 国道6号線で原発に向かうあまりにも凄い、車の渋滞などを見てきたもので、
 頭の整理がつかなくなってしまい、ついつい余計な、
 考え事などをはじめてしまいました」


 「ああ、Jビレッジ行きの朝の渋滞か。
 いつものことさ。ここいらの人はもう慣れっこで驚かないよ。
 連中は朝の8時から、Jビレッジ発のバスに乗って、原発へ向かうのさ。
 いまや、作業員は5000人を下らないと言う大所帯だ。
 多くの人が下道(国道6号)を使わずに、三陸道(高速)を使って
 広野までくるから、あっというまに下道で大渋滞をつくる。
 珍しくなんかないよ。いつものことさ」



 いいから、朝ご飯にしましょうと、おばさんが明るく笑っています。
そう言えば、今になってから、おばさんの名前を聞くことさえ忘れていたことに、
はじめて響が気がつきました。
つかみかけていた箸を元に戻した響が、両手を膝に置いて
簡単な自己紹介をはじめました。


 「すみません。
 自己紹介が、すっかり遅くなってしまいました。正田 響と申します。
 昨日から、ずっと、お世話になりっぱなしだというのに、
 ごめんなさい。うっかりとして、ご挨拶が遅れてしまいました」


 その先の言葉は、おばさんに制止されてしまいます。


 「良いよ、いまさら挨拶なんか。とにかく食べようよ。
 被災地では、食べられるときに食べておかないと、後で大変だからね。
 いつ何どき避難がはじまるか、油断が出来ないもの」


 と、また大きな声で笑いはじめます。


 「食べることは、生きることと人間の元気の源(みなもと)だ。
 ガソリンが無ければ車も走らないけど、
 人間だって食べなければ、走れないんだよ。
 あたしは、かえで、という、ひらがなで書く名前だ。
 ちょっと洒落ているだろう。俳句好きの先代の爺さんがつけてくれたのさ。
 広野のかえでといえば、10代のころは、ちょっとした有名人でした。
 美人で有名なわけじゃないよ、男勝りのおてんばだったのさ。あははは。
 じゃあ、そろそろ出かけるかい。
 あんたを、あちこちと案内をしてあげないと、ね」


 「・・・・え、?」



 「あちこち見たいだろう、響ちゃん。
 せっかく広野町まで来たんだ。
 ここは、津波と放射能のふたつに犯されちまった、被災地の最前線だ。
 おまけに、東電の火力発電所まで抱え込んでいる、
 東日本大震災の『天災』と『人災』を、同時に象徴しているような、そんな町だ。
 それが知りたくて、わざわざここまで足を運んでくれたんだろう。
 あんたは実に、素直で澄んだ良い目をしている。
 何でも知りたがるうえに、好奇心もすこぶる旺盛で、
 真っすぐなその目が、とっても素敵だね。
 あたしは、そういう目をする若い者が大好きだ。
 復興のためにいくつも宿題を抱え込んでいる、広野町の本当の姿を
 見せてあげるから、あんたも歴史の生き証人の一人になっておくれ」


 (歴史の生き証人!・・・・これ以上、何があるというのだろう、この町に)
思わず、響の背筋に冷たいものが走ります。
「まず最初に、東電の火力発電所を見に行こうね」と、かえでさんが、
自分の軽自動車のハンドルを握ります。



 「あの火力発電所は、やっぱり東電で、首都圏用のものなのですか?」


 「380万kWを誇る、超大型の火力発電所だ。
 北に9キロほど行けば、そこには福島原発の第2原発が有り、
 20キロ行った先には、津波で破壊をされ放射能をまき散らした、福島第一原発が有る。
 この3つの東電の発電所で、首都圏には大きな貢献をしているんだ、福島県は。
 火力発電所は、埋立地に張りだして建てられていたために、
 あの津波では、きわめて大きな被害を受けた。
 5基あった発電炉のすべてが、とても大きな損傷を受けたそうだ。
 そのために、首都圏の電力不足の一因にもなってしまったという、
 いわば、いわくつきの発電所さ」


 広野町につくられた東電の火力発電所は、1980年4月に
1号機が運転を開始して以来、順次増設され現在は5号機までが運転中です。
最終的には総出力440万kWの発電所となる予定であり、現在は6号機が建設中です。
東京電力の火力発電所としては、唯一の供給エリア外に立地をする発電所です。


 この火力発電所は、磐城沖ガス田から供給される天然ガスの存在を前提に
建設されたものであり、同所が生産したガスの全量を、発電用として使用しました。
磐城沖ガス田は2007年7月をもってその生産を終了したため、
石油と天然ガスを混焼していた3・4号機は、これ以降、石油専焼に変更されています。


 主な発電設備は、広大な広さをもつ埋立地に建設されています。
従来の土地より、長さが333mに及ぶトンネルによってつながれているために、
主要な建物は、外部からほとんど見ることができません。
このために周辺からは、煙突のみが目立つ格好となっています。
この煙突の存在が、広野火力発電所を象徴するシンボルとなっており、
マスコットキャラクターも、可愛い煙突の形をしています。
敷地の一部は「広野海浜公園」として、市民に開放されています。
公園としては、小さな広場が一つあるに過ぎませんが、長い階段によって
埋立地に設けられた有料の釣り場へ赴く事も出来ました。



 東電は震災直後に、福島第一電発のすべての原子炉を失ったために、
供給能力が一気に、5200万kWから 3100万kWにまで低下をしてしまいました。
380万kWの発電能力を持った広野の火力発電所は、この東電の発電容量の窮地を、
一気に、12%も押し上げるほどのインパクトを持っていました。
そのために被災地の最前線であり、かつ原発事故の避難区域ぎりぎりの
立地という、きわめての悪条件下でありながらも、復旧工事への着手には、
すこぶる迅速なものがありました。


 東京電力は、恐るべき突貫工事の連続のあげくに、7/16までに
甚大な被害を受けたはずの5基の発電炉のすべてを、見事に再稼動させています。
4/21に、福島第一原発の立入禁止区域が縮小されたことを受けて、
早速その日から、火力発電所の復旧作業に着手しています。
3ヶ月に満たない短い工期の中で、瓦礫の撤去から塩分除去、建屋と炉とタービン、
その他の配線配管の工事などの、すべての工事をものの見事に
完了させてしまいます。

 
 工事は、夏場の電力不足対策のタイムリミットもあり、
一日あたり最大で、2800名もの作業員を投入して徹底をした物量作戦をとりました。
敷地内の発電炉はまず5号機が6/15、ついで7/3は1号機、7/11に2号機、
7/14に4号機、そして7/16に最後の3号機が、その再稼動を果たしています。




 火力発電所の、こうした目覚しい復旧とは対照的に、
周辺の一般住宅地や道路、水道などのインフラの復旧は、ほとんど手付かずのままです。
あの日のままに、修復をされることもなく放置されています。
特に津波に襲われた、常磐線から東側の低地部が、ひどい状況を晒しています。
川にかけられた橋は崩壊して落ちたまま、損傷を受けた道路もまた放置をされています
季節が巡ったために、瓦礫はすっかりと雑草に覆われ、そのまま荒れるにまかされています。


 ここを襲った津波の高さは、7~8mにおよびました。
低地といっても広野町の海岸は、断崖を持ち、住宅地は海面から5m以上もありました。
津波はそこを乗り上げてから、500mあまりの内陸部まで押し寄せています。
常磐線の盛り上がった土手に阻まれて、津波はようやく止まりました。
このときに流された瓦礫は、今でもそのまま残っていて、あれから一年が経つと言うのに
いまだに片付けようとする気配さえ見えません。



 (この格差は、いったい何処から来るのだろう。
 すぐ隣の発電所には、毎日数千人もの作業員が通って、復旧が一段落したというのに。
 東京電力には努力の痕跡が見えるのに、政府や行政にはそれが殆ど見えていない・・・
 政府にも何か言い分はあるのだろうが、それにしてもあの日から
 一年が過ぎたというのに、これではちょっと弁護のしようがないほどの
 あまりにも悲惨な光景そのままだ。
 首都圏が必要としている発電所だけが、さっさと立ち上がり、
 被災者の救済は、いつまで経ってもほったらかしという状況は、
 私には、絶対に納得することができない。
 この不公平さともどかしさは、いったいどこから生まれてくるのだろう・・・・)



 火力発電所が有る海岸部から進路を反転をして、
今度は、内陸部に作られているJビレッジを目指しはじめます。
かえでさんの軽自動車は、被災の傷跡がありありと残ったままの道を伝いながら、
大動脈のバイパス・国道6号線をめざしています。
もう一度、響が後ろを振りかえりました・・・・


 もうもうと白煙を吹きあげる煙突を、じっと仰ぎ見ている響の瞳には
どうにも行き場のない憤りとともに、やりきれないほどの悲しみの色が
ありありと、にじんでいました。




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