落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第61話

2013-05-09 10:57:10 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第61話
「29歳の青年の場合」




 「福島第一原発の事故を受けて、管総理がいち早く
 運転停止を要請をしたという、あの静岡にある浜岡原発での出来事ですか?」


 にわかに興味をしめした響が、終了動作を施してノ―トパソコンを閉じます。
山本がそんな響の反応を、目を細めながら眺めています。



 「なるほど、岡本さんが言っていた通り、
 あなたは、興味深いものには、とことん食いついていくタイプですね。
 女性にしておくのは、もったいないと言っていました」


 「どういう意味でしょう・・・・」


 「男性まがいの行動性と実践性を、たいそう評価していました」



 苦笑をした響が、お茶の支度のために立ちあがります。
蛇口をひねって半分ほど水をいれたやかんを、そのままガス台へかけます。
数分で沸騰すると、やかんの蓋を取り、さらに5分ほど沸騰させ続けます。
こうすることで、水道水特有のカルキ臭などの臭気がとれます。
さらには、味や香りの成分と結合しやすい一次硬度成分を、
不溶化することが出来るようになり、お茶の持っている成分を、
バランス良く抽出できるようになります。
水道水などの「硬水」を、扱いやすい「軟水」に変えるために、
日常的に、良くつかわれる手法のひとつです。


 響が、沸騰したお湯を、ゆっくりとポットに移します。
なるべく空気に触れさせることで、熱湯が95℃位まで下がります。
もう一つお茶の淹れ方にも、大切なポイントがあります。
お茶を入れる際にはポットなどから、直接急須にお湯を入れずに
一度湯呑みに注いでお湯を冷ましてから、急須へ戻します。
お湯の温度を低くすることで、渋み(苦み)成分が、お湯の中に溶け込むのを
抑える事が出来て、甘くまろやかなお茶を入れることができます。



 「どうぞ」と響がほほ笑みながら、山本の前へ湯呑みをさしだします。
一口含んだ山本が、「まいった!これは絶品だ」と称賛をします。



 「先ほどの言葉は、全面的に撤回をします。
 恐れ入りました。みごとなまでに、実にまろやかで美味しいお茶です。
 お茶の入れ方といい、食事のときの箸の持ち方と言い、よく躾が身についています。
 お母さんが、よほどしっかりとされていたのですね」


 「ありがとうございます。
 母は芸者で、それに加えて老舗ホテルの若女将と、置き屋の
 お母さんから、小さい時より仕込まれました」


 「なるほど。それで最強といえる躾が、身についた訳ですか。
 どうりで、お茶も美味しいはずです。
 そんなにも、続きを早く話せと催促をするような目で、私を見ないでください。
 話しますのでその前に、もう一杯、美味しいお茶をいただけますか。
 お嬢さん、いえ・・・・響さん」



 響が、思わず頬を染めて笑います。


 
 山本が再び語りはじめました。
浜岡原発で9年間働いたあげく、白血病を発症して、2年と1カ月にわたる闘病の末、
わずか29歳と4カ月で人生を閉じてしまったという青年の話です。
その間に彼が被ばくをした線量は、五〇・六三ミリシーベルト。
年間で最多の年でも、九・八ミリシーベルトという低い数値で、法令で定められている
年間被ばく線量限度の、五〇ミリシーベルトを大きく下回っています。
法で定める5分の1と言うきわめて低い被ばく量にもかかわらず、
彼は発症し、そして死亡してしまいます。


 「1991年の話ですから、今から20年以上も昔のことです。
 わたしが、原発の仕事にはいってから、たぶん3~4年目のことだったと思います。
 浜岡原発は、1975年から稼働が始まり、
 敷地面積の160万平方m(東西1.5km、南北1km)の中に、5基の原子炉建屋が有ります。
 老朽化により、2007年に、1号機と2号機が廃炉になりました。
 わたしはその当時は、配管工ととして、おもに炉心の周辺で仕事に従事をしていました。
 すべての原発が一年に一度、必ず運転が停止をされて、
 数か月をかけて、安全のための点検や、傷つき痛んだ場所の補修などをします。
 つまり一年を通じて順次、原子炉の運転は停められて、かならずどれかの原子炉で
 補修や点検が行われていたことになるのです。
 言い方を変えれば、一年中、被ばくは繰り返されることなります」

 

 工業高校を卒業した彼は、中部電力(名古屋市)の原発や火力発電所の保守、
点検などを請け負う、孫請け会社へ就職を決めました。
入社後すぐに浜岡原発へ派遣をされ、原子炉の計測機器の交換などの仕事に就きました。
彼は、原子炉内の中性子の密度を監視する、計測装置の保守と点検をする
「核計装」が専門とされました。


 「核計装」は、原子炉の運転状況を把握するために、きわめて重要とされる装置です。
浜岡原発の場合は、炉の下からその装置を挿入しています。
大型の原子力プラントの運転とその制御のためには、常に温度や圧力、
流量や水位などのプロセス量と呼ばれるものの管理が、ひとときも欠かせません。
これらの計測制御設備は、経過を見ると言う意味で“プロセス計装”と呼ばれています。



 それらとは別に原子炉では、停止状態から起動して、全出力運転にわたるまで
炉心での核分裂の状態を常に監視をするために、特殊で特別な設備も必要となります。
それが原子力プラント特有の『核計装』と呼ばれる、特殊な設備です。
段違いに広い原子炉の出力領域に対し、高速でそれに応答をしながら、
8~10桁以上の計測範囲をカバーするという、特徴をもっています。
ここでは、

・原子炉の起動および停止
・プロセス量では測れない領域を監視する
・異常の場合は、いち早く原子炉の運転を止める
・炉心に装荷された核燃料の燃焼を平均化させる
・原子炉が安全に停止している状態を監視する



 などの監視を常におこない、原子力プラントの安全保護のためには
絶対に欠かせない設備のひとつとされています。
新人の彼は原子炉の定期検査の時には、その下へもぐり込み、装置を取り外して
故障の有無を調べる仕事をこなします。

 「原子炉の周囲は、とても複雑に張り巡らされた、配管と配線による構造物です。
 炉の真下には、制御棒を動かす装置の配管なども多数がぶら下がっています。
 作業をするスペースは、直径四、五メートル、高さ一・五メートルほどの狭い空間です。
 狭い場所なので、事前に実物大の模型を使って、何度も訓練を繰り返します。
 原子炉の直下ですので、配管などが密集をしていて、立ちあがる事も出来ず
 身をかがめたまま、しゃがみこんでの作業をしなければなりません・・・・
 線量が比較的高すぎるために、計画的に被ばく線量を決めて、
 短時間のうちに、それらの作業に挑まなければなりません。
 無駄な被ばくを防ぐためです。
 当然、彼もそのように対策はしていたはずです」



 彼の作業場所は、常に格納容器の中心部です。
原子炉格納容器の中は、なま温かい空気が流れ、溶接の火花もあちこちで上がっています。
原子炉の直下にある入り口は、一メートル四方とすこぶる狭く、
放射能汚染を防ぐ黄色い防護服を着込んだ数人が、同じように、
身体をかがめて出入りをしています。



 「原発は、コントロール室からのコンピューター操作などで
 すべてが安全に制御をされてるような印象があります。
 しかし実際には、事故を起こさないために最も大切とされる、整備や検査などで、
 こうした下請け作業員の手に頼らなければ、原発はひと時も動きません。
 自分の仕事の責任を果たすために、誇りを持って働いている人こそが、
 実は長い間にわたって、常に、被ばくをし続けているのです」



彼は入社して数年後には、そうした努力が報われて、やがて技術主任に昇格をします。
そして当然のなりゆきとして、彼自身も、さらに率先して原子炉の下へ
入って行くようになります。
しかしそうした一方で、放射線量の高い区域での多くの仕事の経験を積むに従って
彼の被ばく線量もまた、急激に増えていくことになります・・・・





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