落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第62話

2013-05-10 13:28:22 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第62話
「氷山の一角」




 「原子力発電所では、一年に一度、法令により原子炉を止め、
 数カ月がかりで、安全のための定期検査にはいります。
 炉心の真下で作業をする彼も、当然のこととしてその間だけは線量が跳ね上がります。
 それまでの年間被ばく線量も入社五年目あたりからさらに、上昇をはじめます。
 年間の被ばく量が、五ミリシーベルトを超えて増加しはじめ、
 八七年度に記録された年間九・八ミリシーベルトが、彼の被ばくのピークになっています。
 手帳に残されていた被ばくの記録は、彼が技術者として熟練をしていきながら、
 さらに深く被ばく業務に携わっていたという経緯を、みごとに裏付けています」


 「でも・・・・政府が言う、法令で定められた放射線作業従事者の
 年間被ばく限度五〇ミリシーベルトから比べれば、彼の被ばく線量はかなり低いようです。
 それでも彼は、発病をしてしまったということですか?」


 「手帳に残っている彼の公式の被ばく線量は、たしかに、法令の5分の1です。
 しかし、彼が被ばくを積み重ね力尽きたというのも、また紛れのない事実です」



 山本が、響を正面から見つめていましたが
やがてその目が、遠い記憶を辿るように、すこしばかり宙をさまよいます。



 「たいへん古い記憶で申しわけありませんが、
 放射線管理手帳が発行された人数は、1999年の3月現在で、
 たしか、二十九万二千四百三十四人に達したと、記憶しています。
 蛇足ですが、昨年の福島第一原発の事故以降、5ヵ月後の8月までに
 約1年分に相当をする一万人以上に、放管手帳が交付をされて話題になりました。
 つまり、原発の従事者は毎年、一万人以上が増えている計算になります。
 しかしこれらの数字については、ほとんど公式に明らかにはされていません」


 あらたに注がれた湯呑みを手にした山本が、嬉しそうにそれを口元に運びます。
「お茶もこんな風にして入れてもらうと、格別に美味しく感じますねぇ・・・・」
と、また目をほそめています。

 
 「原子力発電所での被ばくと、息子の白血病による死には因果関係があるとして、
 彼の両親が労災申請をしたのは、一九九三年五月のことです。
 原発作業員の放射線障害に関する労災申請は、七五年以降に十件ほどあり、
 このうち、彼を含めて四件が労災の認定を受けました。
 認定された病名は、いずれも白血病です。
 被ばくによって、ガンや白血病を発症しやすくなることは、良く知られています。
 のみならず、そのほかの一般的な病気などにもかかりやすくなることも、
 いくつかの研究を通じて明らかにされてきました。
 だが、これらの実態は依然としていまだに、そのほとんどが闇の中です。
 これだけの放管手帳の総数からみれば、こうした労災の認定は、
 まさに、まだ氷山の一角にすぎません。
 現に、私もその発病者の一人です・・・・」


 被ばく作業員の健康管理についても大きな問題がある、と山本は続けて語ります。
原発の定期検査などで短期で雇われた、おおくの下請け作業員たちは、
離職をした以降の健康診断などは、すべて自費で受けなければなりません。
労働安全衛生法は「がんその他の重度の健康障害を生ずるおそれのある業務」に
従事した人には離職後に、健康管理手帳を交付すると定めています。
その対象は、ベンゼンなどの有機化合物や、粉じんなどを取り扱う仕事と限られています。
この手帳を持っていれば、国費で健康診断を受けることができます。



 この交付対象に、放射線業務が入っていないのは、
放射線に接することが危険な仕事ではない、という認識があるためです。
原発内の仕事はその多くが、階層的に分類されています。
被ばく量がもっとも多くなるのは、そのほとんどが下請けの作業員たちです。
中には、各地の原発を渡り歩いている人もいます。
彼らが離職後に体調を崩しても、何の保護もないというのが原発労働者の実情です。
山本がそこまで語り終えるとふと何かを思い出して、唇を固く噛みしめました。

 原子力施設での作業員の被ばく線量は、
放射線従事者中央登録センター(東京都千代田区)が一元的に管理をして、
記録は、必ず放管手帳に記載されます。
放管手帳には被ばくの前歴とともに、健康診断、放射線防護などの
安全教育の経歴などもあわせて記入されています。


 29歳で亡くなった彼の放管手帳は、中部電力の発電所で
「保修業務」などを受け持つ元請け会社・中部プラントサービス(名古屋市)が発行し、
その下請けだった彼の会社に保管をされていました。


 治療で通院中だったのにもかかわらず健康診断の結果は、作業従事可能とされていたり、
入院中にもかかわらず、職場の安全教育を受けたと書き込まれています。
彼が白血病と診断される一年半前には、白血球の数が一万三千八百と、
異常に高くなった数値が、はっきりと記入をされています。
それでもその判定の部分には、『異常なし』との記載が堂々と残っています。
被ばく線量をしめす数値には、いたるところに赤い訂正印が押されていて、
ほとんどの数字が書き換えられています。

 手帳を発行した中部プラントサービスの原子力部担当部長は
「訂正にはやむを得ない部分があった」と、当時のいきさつについて、そう説明をしています。
「健康診断であえて作業従事可としたのは、本人に病名を悟らせないための配慮である」
と部下から聞いている、とも語っています。
線量の訂正は、手で書き込むために起きた誤記や単純ミスによるものであり
現在は、機械で打ち込むためそういうミスは起らないと、平然と言い切っています。


 しかし、18歳から原発の炉心の下で働き始めたこの青年は、
わずか8年間余りのうちに白血病を発症し、2年余りの闘病生活を経て
29歳で、その生涯を閉じてしまいました。
残念ながらこうした不条理な構図は、いまに至っても温存をされたままです。
不具合な情報は小出しにして、周囲を欺(あざむ)き続けてきた日本の原発の体質は
創世記の頃から数々の秘密を内包して、長きにわたってその歴史を刻んできたのです。
すこし疲れた表情を見せて、山本がようやく話を締めくくりました・・・・

 山本の話が一区切りした時に、響は、『なすいちのすっぴんびじん』を名乗る
亜希子のメールを、今さらのようにして思い出していました・・・・


 「響ちゃんへ。
 広野町のレポート、実に、興味深く拝見いたしました。

 東北の3県は、東日本大震災の津波から逃げまどうなか、
 さらに、東京電力福島第一原発が、被災者たちに追い打ちをかけました。
 あれから一年。
 福島県の約16万人は、今も我が家に帰れません。
 政府に事実を隠され、被ばくの恐怖にもさらされたまま、
 放射能による、いわれなき差別にも遭いました。
 ようやく踏みだした「脱原発」ですが、第一原発の廃炉までは
 30年以上もかかります。
 子どもたちは、負の遺産を背負いながら、
 長い時間を、ひたすら少しずつ前へすすまなければなりません
 がんばれ、福島。
 がんばれ、福島のこどもたち。


 そして、がんばった響へ。
 あなたが最大限の勇気を持って、広野の町を見届けてきたことを、
 わたしは友人のひとりとして、心から誇りに思います。
 誰かが、事実の記録を残さなければなりません。
 福島が身をもって、白日のもとに晒した、あの理不尽な原発の嘘を。
 事実をひた隠しにして、復興への道のりを遠いものに変えている政府の姿を。
 誰かが未来に向かって、記録を残さなければなりません・・・・
 誇りと、勇気と、怒りを持って、日本の大きなあやまちを、
 この歴史の一大教訓を後世に、しっかりと、語り伝えなければなりません」





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