落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第74話

2013-05-23 10:21:32 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第74話
「50年の壁」





 
 夜が明けるのを待ってから、山本は高度治療室から一般病棟へ移されました。
一晩付き添ってきた俊彦と入れ替わるために、今日もまた二部式の着物を着た響が病院へ
やってきたのは、まもなく午前10時という時刻です。
廊下で禁煙パイプをくわえた杉原医師と響が、ばったりと出あいます。


 「おう。トシんところの大和なでしこのお眼見えか。
 今日も綺麗だ・・・・うん、ご苦労さん。
 本当にお前さんは、着物が良く似合う。
 こうして見るとお前さんは、若い頃の、お母さんよりの美人だねぇ。
 ん・・・・。どうした。そんな怖い目で俺を見て。
 何か俺が、気に障る事でも言ったかな・・・最大限に褒めたつもりだがなぁ、俺は。
 いったいどうした。響ちゃん」



 「褒められて、気を悪くする女なんて、
 いくら探しても、この世の中には絶対にいません。
 私の目が真剣なのは、本当のことを先生に教えてもらいたいからです! 
 私が知りたいのは、山本さんの今後です。
 原爆病に詳しい杉原先生なら、山本さんを治療するのは簡単ですょね」



 「なるほど。可愛い顔をしているくせに、
 常に、『おきゃん』だと言われている君の実態が良く分かる、物の言い方だ。
 そう言う風に、あえて承知をしながらも、さらに探りを入れてくるということは、
 すでにそれなりに学習済みと、俺は見た。
 じゃあその質問に、俺もすんありと答えよう。
 残念ながら、答えはノウで、助かる見込みは万にひとつもない。
 が・・・・ここでは少し場所が悪い。
 そっちの休憩所で少し話そうか。
 コ―ヒーよければ、おごってやる。少しだけ付き合え」


 廊下を歩くと、その突き当たりに自動販売機の一角があります。
広くて明るい開放的なスペースには、大きな窓に沿ってテーブルと椅子が置かれています。
白衣を翻して杉原医師が、早速、自動販売機から缶コーヒーを買い求めてきます。




 「無糖は俺の呑む分だ。、君には、甘い方をやろう。
 嫌いじゃないだろう・・・・コーヒーは?」


 「座れよ、その辺りに」と、響を座らせてから、
自分は窓際に立ち、外を眺めながら缶コーヒーを開け、まず一口目を含みます。
「苦いなぁ・・・・」顔を歪め、苦笑をしながら響の方を振り返ります。



 「君の言いたいことには、察しがつく。
 だがね。山本氏の場合は、現代医学を持ってしても難しいものが多々有る。
 残念なことだが、内部被ばくに関する充分なデータ―が公表をされていないために、
 今の段階では、我々の治療は手探り状態になってしまう。
 つまり、原発で働いている労働者たちの健康被害の実態とその症例は、
 全く明るみに出ず、常に闇から闇に葬られている、ということだ。
 原発とガンの発症と言う因果関係は、日本ではいまだ認知をされていないままで、
 非公式に『日本には存在をしないはずの、原爆症の病気のひとつ』と呼ばれている」


 「そんな、馬鹿な・・・・」



 響の顔色が、瞬時に変わります。
杉原医師を見つめている目線に、さらに射ぬくほどの厳しさが加わり、
また怒りにも似た感情がこみあげてきたことで、思わず響の頬が赤く染っています。



 「日本は、第二次世界大戦で広島と長崎に原爆が投下をされたために、
 世界で唯一の被爆国となった。
 広島や長崎での原子爆弾による惨状や、
 放射能汚染によるその後の健康被害や、環境の破壊などについても、
 公開されているものも多く、教科書などでも取り上げられてきたから、
 君も良く知っていると思う。
 日本人が体験をした、3度目の被ばくは、ビキニ環礁沖の核実験だ。
 1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆の実験は、
 広島型の原子爆弾、約1000個分以上の爆発力をもったものだ。
 この時の水素爆弾の炸裂で、海底には直径約2キロメートル、
 深さが、73メートルのクレーターを形成した。
 このときに、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ、
 周辺で約1000隻以上の漁船が死の灰を浴びて、被曝をした」



 「日本は、三度も被ばくをしているのに、
 それほどまでに酷い目に合ってきたはずの国民なのに・・・・
 核の被害の恐ろしさと深刻さは、十二分に知りつくしてきたはずなのに、
 なぜ日本は、、原子力発電への道を進んできたのでしょうか。
 私には、そのきっかけが解りません」



 「日本は、資源とエネルギーを持たない、工業立国だ。
 戦後の復興を、技術力で成し遂げてきたが、
 その経済成長を根底から支えたのが、日本独自のエネルギー戦略だ。
 そのためにと、とくに効率の良いエネルギーの確保が急務となった。
 当時に主流だった水力発電から火力発電へと進み、
 そして安上がりとなる原子力発電へと、電機業界は一直線に、
 着々と用意をされた、その路線を突き進みはじめた。
 もちろん、当時の日本政府もアメリカからの支援を受けながら、
 全力を挙げて、原子力の導入に奔走しはじめた。

 その大義名分の旗印として掲げられたのが、『原子力の平和利用』というスローガンだ。
 同時に、原子力発電所が危険なものでは具合が悪いので、、
 あらゆる角度から、徹底をした原子力発電所の『安全神話』が作りだされた。
 補助金と称して、原発を建設する自治体には、大金を投下しての懐柔戦略もすすめた。
 こうした結果、50年前から日本の原発の建設は始まり、
 日本中に、54基もの原発が建てられた。
 最近の計画でも、あと10年後までにはさらに10基から
 15基の原発の建設計画が、非公式ながら準備をされていたようだ。
 こうして原子力発電は、今ではすっかりと発電の根幹を支える存在となった。
 だが、東日本大震災による福島第一原発の崩壊は、
 原子力発電所の、『安全神話』がいかに欺瞞に満ちたものであり、
 暴走すればいかに危険なものであるのかという事実を
 国民の前についに露呈して、あますことなく明らかにした。

 だが、福島の被ばくは、日本にとっての4度目の被ばくでは無い。
 50年もの長い年月にわたって、原発労働者たちの身体を内部から蝕んできた
 内部被ばくの実態こそ、第4の被爆体験として取り上げられるべきだ。
 つまり福島は、広島と長崎、ビキニ環礁での水爆による被ばく、
 さらには54基の原発で働いてきた、おおくの原発労働者の内部被ばく例につづいての、
 日本では、5番目となるはずの被ばくの体験だ。
 だが、この4番目の原発労働者の被ばくは、一切、公にされず表に出てきていない。
 長年にわたり、秘密裏の『存在しない病気』のひとつとされてきたものです」



 「秘密にされてきた・・・・
 ということは、いままで原発を稼働させてきた電力会社が、
 そう言う事実を、ひたすら隠しつづけてきたという意味にも聞こえました。
 さらにいえば、原子力政策に責任を持つはずの、政府もその片棒を担ぎ、
 一緒になって事実を隠ぺいしてきた、ということになりますね」



 「放管手帳というのは、知っているだろう。
 放射能関連施設で働く人たちに義務づけられている、被ばく管理用のものだ。
 これが、いまでも年間に一万部くらいが発行されていると聞く。
 だが原発労働者の実態は、いまだに正確に把握をされていない。
 三次から四次までが下請けの限界点と決められているのに、
 実際の作業現場では、七次から八次までの下請け労働者たちが働いている。
 五〇年間も、こうした実態が平然と繰り返されてきた。
 厚生労働省、もとの旧労働省が1976年に、白血病や白内障、急性放射線症などに
 限定をして、原発労働者たちの労災の認定基準をようやくまとめた。
 心筋梗塞(こうそく)などの、基準外とされる病気の場合でも、
 医師らによる検討会で因果関係が認められれば、認定されるという可能性も残した。
 だが、同省によると76年以降に、原発作業員で労災の認定がなされた者は
 実は、たったの11人だ。
 推定で、累計では30万人から50万人はいるだろうとされる
 原発の労働者のうちで、病気を認定されたのはわずかに11人だ。
 これが、日本の原発の実態であり、
 これが日本政府がすすめる原子力政策の隠された裏側の真実だ。
 このうち、6人が白血病。3人が悪性リンパ腫。2人が多発性骨髄腫だった。
 解るかい・・・・あとの人たちは全て、
 電力会社と政府によって、切り捨てられてしまったんだ」



 ゾクリとする寒けを、響が背中で感じています。
ここまでの原発労働者たちとの交流のなかで、いくつもの体験談を聞いてきた響が、
はじめて聞かされる、医療や救済からも見離された厳しすぎる現実世界の話です。
(日本の政府が、原発を支えている労働者たちの健康被害を見捨てている!)
響は、想像を絶する原発の実態に、また、言葉をうしなってしまいます。・・・・





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