落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第79話

2013-05-29 10:25:11 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第79話
「父が明らかになる」





 「響さん。あなたはなぜ、原発について書きはじめたのですか」


 新しく入れ直したお茶を手渡した後、
響がスチール椅子を引き寄せて、いつものように山本の横へすわりました。
いつものように、長いお話になりますと言うサインです。
『受け承ります』と、山本の目が笑いながら、すでに待ちかまえています。
「それでは・・・・コホン。」
膝に置いたノートパソコンの上へ響が、愛おしそうに両手を置きます。



 「私は家出をしてから、ここで出会った沢山の人たちから、
 元気と、世の中に目を開くためのきっかけなどをもらいました。
 例えばこのパソコンもそのひとつです。
 同じ歳の男の子が、お前が使えと言って別れ際に私にくれたものです。
 思えばその人と、行方不明の伯父さんを探して被災地への旅に出掛けたことが
 私にとっての転換点になりました。
 あのときの金髪の英治と、もっと自然に真摯に向き合っていれば
 私たち2人は、恋愛関係に落ちていたかもしれません。


 でも本当の私は、実は、男性にはとても臆病です。
 自分から甘える事が出来ません。
 可愛い女の子を演じようとしても、生まれたときから
 父親というものを知らないために、甘える術の学習が欠落をしています。
 ゆえに男性に接するたびに、常にすこぶる不器用で臆病になっている私が居ます。
 ほんとは・・・・素敵な彼が出来ることを心の底から欲しているのに、
 まだまだ私は、自分というものを解放する事ができていません・・・・
 あら、いいきなりの愚痴の話になってしまいました、とんでもない脱線です!
 ごめんなさい。急いで本題に戻ります。

 東北の被災地でも、たくさんの素敵な出会いが有りました。
 3.11で甚大な被害を受けた石巻市を訪ねた時には、
 もと日赤病院の看護士さんで、荻原浩子さんという女性と出会いました。
 被災直後の石巻で、必死で救護にあたったという体験談を聞くことが出来ました。
 震災直後の被災地での生活は、私の想像を遥かに超えるものでした。
 それでも浩子さんたちは諦めることなく、限られた条件の中でも
 知恵を絞り、さまざまな工夫をしながら献身的に救護活動を続けたそうです。
 たぶん看護をつうじて、あの柔らかい笑顔に癒された人たちが、沢山いたと思います。
 過労から健康を損ねて療養中でしたが、それでも充分なほどに、
 私たちにも、素敵な笑顔をくれました。


 共同でブログを書くきっかけをつくってくれた川崎亜希子さんは、
 立ち入り禁止区域ぎりぎりに位置していながら、再生を目指しはじめた広野という
 東北の童謡の町の存在を、私に教えてくれました。
 広野町で行き会った、かえでさんというおばさんは、原発と対峙をしながら生きている
 緊張した最前線の様子を、私につぶさに見せてくれました。
 それに、なによりも・・・・私を立ち上がらせて、
 私をその気にさせたのは、たぶん、トシさんの背中姿だと思います」




 「トシさんの背中姿ですか?
 それは、どういう意味でしょう。
 もしよかったら、そのあたりの『立ち入ったお話』も、ぜひきかせてください」



 響が、次の言葉を探し始めてしまいました・・・・
確信が揺れているのです。
俊彦が父親であると言う可能性について、響にはいまだに確信というものがありません。
響の生い立ちの中で、一度だけ父親だと思われる男性との思い出が残っています。
響が3歳の頃のことで、初夏を迎えた湯西川温泉での出来事でした
その日のたった一度だけ、響きは父親に抱っこをされたという記憶が残っています。
しかしいくら思い出そうとしても、その顔だけが見えてこないのです。
周囲もまた、それが父親だとは教えてくれません。
それでも父親だと思いこんでいたのは、単なる響の本能だったのかもしれません。



 熱い日差しに晒された、湯西川のバス停での出来事でした。
父親と思われる男性からソフトクリームを買ってもらい、その父親に抱っこをされたまま、
木蔭に移動してそれを食べていた、という淡い映像がいまでも響の脳裏に残っています。
走り去っていくバスの後部座席から、大きく手を振る父親の残像も残っています。
響もそれに応えて大きく手を振りながら、バスが見えなくなるまで
見送り続けていたという記憶が、いまだに記憶の中には生き続けているのです。
しかし、いくら思い出そうとしても、やはりあの日の父の顔だけが、
霧の奥へとかすんでしまい、今でも見ることができません。



 「響さんが家出をした原因の一つが、父親探しだと聞きました」


 響の長い沈黙を破るように、山本が言葉とともに、
少し困ったような顔を向けてきました。


 「これは、私の独り言です。
 戯言だと思って聞き流してください。
 あなたの笑顔に、私はずいぶんと癒されました。
 毎日、2部式の着物を着て病室に来てくれるあなたの気持ちが、我が身に沁みています。
 私はおそらく、最良で最善の末路を迎えることができる、
 幸せな病人の一人だと思っています。
 実は、ここへ入院をした、その翌日の夜のことでした・・・・
 私は、トシさんからひとつの重大な打ち明け話を聞かされました。
 おそらく、私に余計な気がねをさせないために、
 あえて、苦しい事実を打ち明けてしまったのだと思います。
 『かけがえのない俺の娘だから、遠慮しないで安心をして世話になってくれ』
 と、トシさんから聞かされました。
 きわめて微妙で難しい事情などについても、それとなく説明をしてくれました。
 気を悪くしないでください、響さん。
 トシさんに、まったく悪気はないと思います。
 ただ、わたしを安心させたいために、
 そのことばかりを考えて、苦悩した挙句、打ち明けてくれたのだと思います」


 
 (やっぱり。そうだったんだ!・・・・)


 ピクリと動きはじめた最初の緩い衝撃が、
次の瞬間には響の予感を遥かに超え、やがてすべての血液を沸騰させてしまいました。
有る程度まで予測をしていたとはいえ、それが真実と理解をした瞬間から
動揺の熱い流れは止める術もなく、にわかにその暴走をはじめました。
あれほどまでに知りたがっていた事実と、あえて知りたくなかった真実との葛藤が、
響きの頭の中で、ひとしきりの激しいせめぎ合いをはじめました。
全身を激しく駆け巡っていた熱い血液の流れが一転をして、今度は方向を変え
やがて、響の胸の中心部に向かって、じわじわと集結をはじめました・・・・



 「すみません。
 トシさんからは、くれぐれもと、固く口止めをされていました。
 毎日、甲斐がしく私の世話を焼いてくれている貴方を見ているうちに、
 つい、気も緩み、私の口が暴走をしてしまいました。
 難しい問題を含んでいる事がらだというのに、私はまったく大人らしくありません。
 老婆心から、余計なことを漏らしてしまいました・・・・
 申しわけありません。この通りです」

 山本が、コクリと頭を下げています。



(やっぱりトシさんが、私の父親だったんだ・・・・)
あふれる想いと、たぎる血液が、再び熱を持ち直して響の全身を、
隅から隅まで、再び激しい勢いで駆け巡りはじめます。
一呼吸、そしてもう一呼吸と・・・・
つとめてゆっくりと響が、深い呼吸を繰り返しています。
「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせながら、かたくななまでに、
力をこめて、両方の目を閉じていきます。


 20数年前のあの湯西川の、初夏のあの日。
たった一度だけ父に抱かれたあの光景が響の脳裏にまた、まざまざと甦ってきます。
怪我の療養を終えて桐生へ帰るために、父と伴久ホテルの女将と3歳になったばかりの
響が並んで立っていたあのバス停の光景が、ふたたび甦ってきました。



 ソフトクリームを手にした響が、俊彦の首に必死でかじりついています。
はじめて男の人に心をゆるし、初めて抱っこをしてもらったその高みは、
響にはまったく初めての、すこぶるの高さを持った初めての景色そのものの世界でした。
木蔭に入ってもなおもまだ、日傘をしっかりと響にさしかけてくれていたのは、
やはり、響が初めて行き会う父親の優しさでした。


 あの時の、すこぶる高かった父の抱っこの位置・・・・
麦わら帽子のふちから流れ落ちた汗を、優しくふいてくれたあの大きな手。
20数年かかっても一度も鮮明に見ることの出来なかった、あの時の懐かしい光景の中に、
はじめて、父の顔があてはまるようにして浮かび上がってきました。



 (馬鹿だなぁ、私ったら。
 20数年前にちゃんと行き会っているというのに。
 なんで大切な父さんの顔を、私はしっかり覚えていないのだろう・・・・
 ありがとう、母さん。
 ありがとう、トシさん・・・・
 貴方達が居てくれたおかげで、響がはじめてここにいます。
 私は、あなたたち二人に心の底から感謝をしています。
 産んでくれてありがとう。母さん。
 私の父で居てくれてありがとう、トシさん・・・・
 私はあなたたちの子供として生まれて来たことに、本当に心の底から感謝をしています。
 ありがとう母さん。ありがとう、私のお父さん)


 ノートパソコンの上に置いた、響の手の甲に、ぽつんと涙がひとつ落ちました。
あふれてくる温かい涙は、もう響には止める術がありません。
涙はひたすらあふれて、静かに響の手の甲へ落ち続けます。
夕暮れが迫ってきた病室では、山本が夕焼け色に染まりはじめた窓の外へ、
動かぬ視線を向けたまま、息をひそめてひっそりと固まっています。

 



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