落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第70話 

2013-05-19 06:08:47 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第70話 
「くるみ浦の思い出」




 山本が、布団から起き上がる気配を見せました。
背後へ回った響が、山本の痩せた背中へ細心の注意をはらいながら両手を添えます。
背中のそこの部分に肉の感触はまったく無く、ごつごつとした痩せた骨ばかりの
手ごたえだけが、ほのかなぬくもりとともに返ってきます。
(うわ・・・・まさに、骨と皮ばかりと言う感触だ。、これって。)
響が、山本の病気の重さを、思わず自らの手のひらで実感をしてしまいます。
起き上がった山本が、少し寒そうに、浴衣の襟を合わせています。
近くに置いてあった丹前を引き寄せた響が、背後からそれを山本へ羽織らせました。


 「お願いごとは、私が死んだあとに、
 生まれ故郷でもある若狭の海へ、私の骨を播いてほしいのです。
 私が生まれて育ったのは、若狭湾に面している小さな、古びた田舎の町です。
 日本で一番最初に造られた原子力発電所で、関西電力の『美浜発電所』がある処です。
 福井県三方郡の美浜町丹生が、私の生まれた故郷です。
 1961年10月にそこは、原発建設のための候補地のひとつとして推薦をされ
 私が住んだ美浜町の丹生地区でも、そのための建設調査がはじまりました。
 その結果、翌年の1962年に、日本最初の発電所の建設が美浜町に決まりました。
 その年に、私はその対岸に有る常神半島の寒村で生まれています。」



 響きが、山本の話を聞きながら、若狭湾の地図を思い起こしています。
若狭は日本海側からは大きく入り込んでから、その懐を大きく広げている
景色と漁場に優れた内海の形を持った湾です。
ところどころに有るリアス式の海岸線では、いたるところで美しい砂浜をひろげ
きわめて明媚な風景なども育んでいます。
山本が生まれて育ったという美浜町は、その若狭湾の東方に位置をしています。



 (そうだ。若狭は関西電力が福島の3・11の被害を見てから、あわてて津波の調査を、
 つい最近になってはじめたばかりと言う、いわくつきの原発の所在地のことだ!)



 響がテレビで見たばかりの、津波調査のニュースをようやく思い出しました。
もうひとつの原発密集地といわれている福井県の若狭では、「安全な地形であるはずだ」
という楽観のもと、これまで一度も津波の実態調査などは行われていません。
過去の津波による被害の実態調査も、激しい世論の突き上げを受けて、
ようやく重い腰を上げた関西電力によって、やっとの想いで動き始めました。


 若狭湾は、もっとも多くの原発が集中をしている原子力発電の最大級の先進地です。
若狭町にある中山湿地では、1年あまりをかけて全区域を調べるという
大規模で本格的なボーリング調査も始まりました。
さらにその後に、三方五湖などの周辺の9カ所にも調査の範囲を広げて、
さらに調査を続行する予定などもたてられました。
またその一方で、若狭湾のほぼ中央部に突出をしている大島半島には、
再稼働を画策中で、いまだにその安全性が再構築をしきれていない『大飯原発』も有ります。


(ストレステストを終えたばかりの大飯原発が、全国で休止中の
原発の再稼働の急先鋒として、連日マスコミを騒がしているというニュースを、
見た覚えが有る。東の原発密集地の横綱が茨城と福島なら、西の横綱は若狭湾だ・・・)




 大飯原発は、福井県大飯郡おおい町にある関西電力が所有をする原子力発電所です。
関西電力が保有する原子力発電所としては、最大規模を誇ります。
日本の原子力発電所では、東電が所有している新潟県の柏崎刈羽原子力発電所、
福島第一原子力発電所に次いで、日本では第3位にあたる発電量を誇っています。


 (今年の5月に入ると、北海道で稼働中の原発が止まる予定になっている。
 そうなると、国内に有る54基の原発が、3・11以降、全て停止をしてしまうことになる。
 政府も、電力会社も電力がピークを迎える夏場を前に、なんとかして、
 早期の再稼働のために、なりふりかまわずで画策をしている最中だ・・・・)




 昨夜のニュースでも、そのニュースは取り上げられていました。
消費税の大増税を画策中の民主党の野田首相は、さらに原発の再稼働のために、
大飯原発の再稼働のみを議題とする、全閣僚の会議を招集したと言う、
信じられないニュースを、身震いするような思いで聞いたばかりであることを、
響が、ふたたび思いおこしています・・・・


 自分の考えの中に、すっかりと埋没をしてしまい、
なにやら遠い目をしている響へ、山本が遠慮がちに声をかけてきました。


 「やれやれ。すっかりと、
 起き上がるだけでも、ひと苦労をするようになってしまいました。
 少し喉を湿したいので、響さんの、いつものお茶がいただけますか。
 よかったらその先で、私が生まれて育った美浜町の思い出話にも、つきあってください」


 「よろこんで。」と立ちあがった響が、いつものように、
台所へ立つと、いつもの手順で、ゆっくりとお茶を入れ始めました。
(若狭と言えば、たしか、もうひとつの原発の密集地帯だ・・・)
湯気の上がる茶碗から目を離して振り返ると、布団の上に正座をしたままの山本は、
ぼんやりと窓の向こう側などを見つめていました。



(西の方角だから、見つめているの、生まれ故郷の若狭の方角かしら?。
山本さんが生まれたという若狭の海は、いまでは日本で最初というべき、
原発の発生の地に変わってしまった。



 そこで生まれた山本さんが、
どういう経過を辿ってきたのかは、私には見えないけれど、
原発労働者の身となり、全国各地の原発を行脚した挙句、東日本大震災で
地獄と化してしまったあの福島で、終焉を迎えるまでたどってきた道はまるで、
あまりにも皮肉で、日本における原発の持つ悲劇を、そのまま背負って来たような、
そのものズバリといえるような、暗くて辛い人生だ。
私の知っている日本という国はもっと安全で、もっと平和な国のはずなのに・・・・
本当だ。みんなが言うように、私はまだまだまったくもっての世間知らずだ。
平和なはずの日本に、こんな地獄が横たわっていたなんて・・・・
政府もマスコミも、一切明らかにしていない事実や真実が、
まだまだたくさん隠されていることを、私は此処へ来て初めて知ることが出来た。
日本の原発には、まだまだたくさんのの隠された真実と嘘が隠されている。
これが日本だ。3・11から、何かの拍子に隠ぺいしてきたものが露呈し始めてきたんだ。
醜い日本の欺瞞と醜態の姿が、ようやく私にも見えてきた・・・・

 いつのまにか響が血がにじむほど強く、唇をかみしめています。



 響の入れたお茶を、美味しく呑んでいた山本が、ホッと短い息を吐きだしました。
そのまま肩から力を抜き、その背中が丸まってくると、なぜか痩せこけてきた山本が、
さらにまた一回り小さく見えてなってしまいます。


 「私の両親が最初に暮らしたのは、常神半島という処です。
 若狭湾にゴツゴツとした形で、細く突き出ている形で
 常神(つねかみ)半島と呼ばれています。
 その半島の中央には二つを分けるようにして、急峻な尾根が走っています。
 尾根の東側にあるのが美浜町で、西側にあるのが若狭町です。
 若狭町の側には、入り江ごとに集落などがありますが、
 険しい断崖ばかりが連なっている美浜町側に家などは、まったくありません。
 しかし、ただ一カ所だけ例外で「くるみ浦」と呼ばれた場所に、
 かつては小さな漁村がありました。
 遠浅の海がどこまでも続いている、くるみ浦は、久留見(くるみ)浦、
 あるいは久留美(くるび)浦などと呼ばれました。
 岩壁には、海水によって浸食をされた洞窟などがたくさんあり、
 夏になると、日向からの渡船などで、海水浴の客などがたくさん訪れます。
 だが、すでに漁村自体は廃墟です。
 すべての住人がすでに去り、集落はまったくの無人となってしまいました。
 石積みや、加工されたような石材などはそのままで
 神社跡ではないかと思われるような場所なども、当時のままに残っています。
 田畑や人家の跡と見られる、わずかな平地には戦後になってから、
 杉が植えられ、その中を小川が流れていたそうです」



 「廃墟になってしまったくるみ浦ですか。
 でも、その割に、名前はずいぶんとロマンチックです」


 響が2杯目のお茶を入れ、山本に手渡します。
受け取った山本が、そのまま口元へ運び、静かに一口目をすすります。
『旨い』。そのひと言に、山本の全ての感謝の気持ちが込められています。




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