落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第67話

2013-05-16 09:43:17 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第67話
「懐かしい話」




 そろそろ5月の連休も真近となったころに、2週間ほど桐生を留守にしていた岡本が、
2人の若い者を従えて、深夜の「六連星」へ顔を出しました。
ガラリと戸を開けたその瞬間から、もう若いものを叱る岡本の不機嫌な声が
俊彦がくわえ煙草で新聞を読んでいる厨房まで、無遠慮に響いてきます。
その声に、漬物の段取りしている清子よりも、新聞を読んでいた
俊彦のほうが、いち早く反応ぶりをします。
一度顔を上げた清子も、岡本の姿をチラリと見ただけで、そのまま
また何事もなかったように、先ほどから続けている漬物作業に戻ってしまいます。
岡本が座った席からも、そんな清子の姿は一切見えていません・・・・



 「なんだい岡本。珍しく荒れてるな。
 仕事の愚痴か、それとも、ただの呑み過ぎか?」


 「いや、なんだ。、こいつらが、
 あまりにも万事につけて機転が利かないものだから、
 少しばかり俺も本気になって、ついつい大声を出して怒っちまったところだ。
 ん・・・・なんだよ・・・・。
 店に響の姿が見えないが、今日は来て居ないのか?
 せっかく久し振りに、響の顔を見に来たというのに、がっかりだなぁ・・・・
 もう帰っちまったのか、あいつは。なぁ、トシ」




 「なんだよ。せっかく久し振りに顔を見せたと言うのに、
 響が居ないと、お前さんは俺の蕎麦も食わずに帰っちまいそうな気配だな。
 お前のお目当ては俺の蕎麦じゃなくて、今は響だけなのか」


 「当たり前だ。今頃きがついたか。
 お前の蕎麦なら、いつでも好きな時に食うことができる。
 響のあの笑顔を見ると、俺の長旅の疲れもいっぺんに吹っ飛んじまう。
 仕方ねぇやなあ・・・・いつもの蕎麦を、俺には2人前を作って出してくれ。
 若い者にはビールと、旨いものを適当にみつくろって用意してくれや・・・・
 あ、怒っちまったわびも有る・・・今日は、たっぷりとおすすめを出してくれ。
 じゃあ俺も、トシのつまらない顔でも見ながら、上がりの一杯を呑むか。
 おい、俺にもビールを持ってこい」



 「安心しろ。
 響は、ちょっと用事を頼んだだけだから、もう、おっつけ戻ってくる頃だ。
 だがよ岡本。とびっきりの楽しみが待ってるぜ。
 きっとびっくりするから。まぁ、そんな期待もしながら、
 そこでゆっくり呑んでいろ」


 「なんだぁ。どういう意味だ・・・・響に何かあったのか?」



 「まぁ、見ての楽しみだ」と、俊彦が厨房へ笑いながら消えていきます。
岡本が、怪訝そうな顔で俊彦を見送った後、『おう。さっきは少しばかり俺も怒り過ぎた。
機嫌を直して一杯やれ。また明日から頑張って働らけば、失敗なんて簡単に取り返せるさ。
ほらよ。遠慮しないでジャンジャンやれ』と、
若い者の前に、さらにビールの瓶をドンと並べていきます。



 「あら、岡本のおっちゃん。豪勢だわねぇ・・・・なんのお祝い?」



 背後から聞こえてきた響の声に、すこぶる早い反応をみせた岡本が、
早くも満面の笑みで、元気いっぱいに振り返ります。
しかし響の容姿を見た瞬間に、余りの変わりように驚きの声をあげ、片方の手に持った
ビール瓶があやうく手元を滑って、床に向かって落ちかかります。
素早く反応をした若い者が、間一髪の危ういところでビール瓶を受け取ります。


 「な・・・・なんじゃい、それは。
 へっ。に、似合うじゃねえか・・・・へぇ~ぇ、見違えたぜ、響。
 ふぅ~ん、トシが楽しみにしろと言っていたその意味が、ようやくに了解したぜ。
 いやいや・・・・驚いた。大したもんだ。
 響が、こんなに和服が似合うとは、思いもよらなかったなぁ!
 さすがに母親譲りの、良いセンスだ」



 「そう、そんなに似あっている、これ?
 まだ本人的には違和感が有るんだけど。でも、褒めてもらえると私も嬉しいな」

 「似合う、似合う。似合ってる!
 まるで清子の若いころに、瓜二つだ。
 そうだな・・・・背格好と言い、腰の回りのスラリと締まった妖しい雰囲気と言い、
 色っぽさと言い、若いころの清子を彷彿とさせるものがある。
 なるほどねぇ、やっぱり親子だなあ、血は争えねェ。
 とはいえ、湯西川の売れっ子芸者も、今じゃすっかりと
 姥桜(うばさくら)になっちまったからなぁ・・・・。
 もう、お前さんのスタイルから比べれば、まるで月とスッポンだ。」


 「なんだってぇ。誰が、月とスッポンだって」


 響の着ている2部式の着物に、すっかり有頂天になっている
岡本のその目の前に、漬物用のキュウリを手にした清子が、突如として現れます。
清子の出現に激しく動揺をした岡本が、手に握ったグラスを落としかけてしまいます。
すでに予測をしていた若い者が、下からしっかりとその手元を支えました。
(おっ、お前ら。今度はずいぶんと気が利くじゃねぇか。ナイスタイミングだ。助かったぜ)



 「あ。・・・・いや、いや、例えばの話をしていただけだ。
 別にお前さんが、女の旬を通り過ぎたなんて、口が裂けても言えねえさ。
 お前さんも綺麗なままだが、響きも、それに負けず劣らず綺麗だと褒めたばかりだ。
 いやいや、色気で言えば、お前さんの方が、今でも遥かに上だ。
 成熟した女の魅力ってやつには、響も勝てねえ・・・・
 という風に、この後に言うつもりだったんだ、この俺は。
 ああ・・・・びっくりしたぜ、まったく。
 なんだよ。ちゃんと清子まで居るんじゃねえか。
 居るなら居るで、先に登場をするか、挨拶をしてくれよ、人が悪いなぁまったく。
 びっくりしたじゃねえか。心臓が停まるかと思ったぜ。
 で。なんだよ、お前は。なんで今頃、桐生になんかに居るんだよ。
 また、何かあったのか」



 「停まっちまえばよかったのに、あんたの心臓なんか。ふふんだ。
 響が、突然、着物を着たいと言い出すものだから、
 帯やら履物やら、あれこれ必要な小物を揃えて、ただ届けにやってきただけの話です。
 もう少し余計に着物なだも欲しいと言うので、
 あたしの若いころの着物を、二部式に作り変えていたので、
 やってくるのが遅くなって、たまたまさっき着いたばかりだよ。
 ついでに春物の野菜をもらってきたので、
 奥で、漬物の段取りをしていたところだよ。
 悪かったわね。漬物臭い芸者でさぁ・・・・」

 
 「まいったなぁ。そんなにへそを曲げるなよ清子。
 いやいや、俺が悪かった。言い過ぎたのは認めるさ。もう勘弁しろよ。
 で、なんだ。二部式の着物ってのは? 普通の着物とはどこか違うのか」



 「上と下が別々になった、今風の着物のことさ。
 響の下は巻きスカートになっているけど、あたしの下は『もんぺ』風のズボンだよ。
 もう若くもないし、見た目もボロボロだもの、容姿じゃ響きに勝てないし、
 おっしゃる通り、腰の周りにもお肉がついて全然スラリとしていないし、
 だいいち折り紙つきの、『姥桜』ですからね。あたしは」



 「だからもう、そんなに怒るなよ。
 せっかくの、とびきりの美人が台無しになっちまう。
 そんなことはねぇよ。いまでもお前さんは、俺たちのマドンナのままだ。
 響みたいな、こんな小便臭い小娘とは、比べるほうに無理がある。
 で、なんだよ。今日は桐生に泊るのか。
 いくら高速道路が繋がったとはいえ、この夜中に帰るのは大変だ。
 泊まるんなら、一杯やろうや。
 トシなんか、放っておいて、こっちへ来て一杯やろうぜ。
 いい加減で機嫌を直して、仲直りの手打ちというこう」



 響と入れ替わるようにして、二部式で下がもんぺ風のズボンと言う清子が、
ビールを片手に、岡本のテーブルへやってきました。



 「こっちこそ、お礼を言わなければならない立場です。
 なにかにつけて、響を可愛がってくれているんですってね、岡本さん。
 私とは、まったく縁が無いと言うのに、
 響とは、相性がいいのか、よっぽど縁が有りそうですねぇ、今でも。
 宇都宮でバッタリ出合った時もそうだったけど、
 あんたったら、私なんかよりすっかりと響に夢中なんだもの。
 あの時も、我が子だと言うのに、やっぱりやきもちが妬けたわよ。
 でもさあ。あたしも響も、なにかにつけて岡本さんには、
 その後もすっかりお世話になりました。
 ずいぶんと贔屓にしてくれたうえに、お客さんもたくさん紹介をしてもらったし、
 おかげ様で清子は、今日まで芸者家業を、まっとうすることができました」



 「大げさに言うなよ。
 あらたまって感謝されるようなことは、俺は何ひとつ、お前さんにはしちゃいねぇさ。
 芸者でお前さんが売れたのは、お前さん自身の実力と努力の結果だ。
 花柳界なんてものも、俺たちの世界とまったく同じようなもので、
 結局は、少しの運と実力がものをいう世界だ。
 目には見えないが、こつこつ努力をして積み上げてきたものが
 やがて信用になり、人間性に変わる。
 お前さんの芸には、そう言うものが有る。
 お前さんの舞い姿には、一発でしびれたもんだ。
 真剣勝負の一度きりの舞台の姿・・・・華があったなぁ、お前には。ほれぼれした」


 「よしてよ・・・・顔が赤くなる。もうずいん昔の話だわ」




 「そうだよなぁ・・・・宇都宮でバッタリと有った時は、
 たしかお前さんが、26歳になったばかりの時だった。
 女は子供を産むと妖艶になるというが、まさに眩しいほどに
 お前さんは、綺麗だった。
 だが皮肉にも、俺はお前さんよりも、6歳の響にメロメロになっちまった。
 可愛かったもんなぁ、あん時の響は」



 「しつこかったものねぇ、あの頃のあなたは。
 頼むから響に会わせろって、何回頼まれたことやら・・・・
 不思議な縁が有るものだわねぇ。
 またこうして、岡本さんに、響がを可愛がってもらっているなんて」



 「そんなことよりも・・・」と、岡本が声をひそめて、清子を手招きしています。
厨房の様子を確認してから、清子の耳元で内緒の話を始めました。


 「宇都宮で初めて会ったときから、実は、
 この子は・・・・トシの子供だろうと俺は、おおかたの見当はつけてきた。
 そうなんだろう、お前。
 旦那もパトロンも造らずに、一人身で響を育ててきたんだ。
 よほどの訳ありだろうと思ったが、思い当たる奴と言えばトシくらいしか居ねぇ。
 で、どうなんだ。本当のところは・・・・違うのか?」



 「響には、まだ内緒だよ・・・・でもさぁ、よく解ったねぇ。あんた」







・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/