散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

グラント将軍の碑 (上野公園)

2008-11-20 07:31:07 | Weblog
     

      

 アメリカ南北戦争の英雄グラント将軍は、明治2年(1869)に大統領に選ば

れて2期8年努めました。退任後の明治10年(1877)から同13年にかけて

世界周遊し、途中明治12年に来日しました。8月25日に上野公園での大歓迎会

に臨み、将軍はロウソン檜、夫人は泰山木を記念植樹しました。

 植樹の由来を忘れられるのを憂い、昭和4年8月にこの碑が建てられました。胸

像の右側に和文で、左に英文で将軍の略歴、来日中の歓迎模様、植樹の由来等が記

されています。

西郷さん (上野公園)

2008-11-19 07:39:19 | Weblog
   

 お馴染みの西郷銅像です。木々の色づきはもう少しですね。NHKの大河ドラマ

「篤姫」も大詰めになって、錦の御旗が東上という場面です。 

 江戸は、勝と西郷の会談で無血開城になりました。彰義隊が上野の山で抵抗した

けれど、戦上手の大村益次郎に攻められて敗走。明治4年から6年まで、事実上の

西郷内閣で近代日本の礎を作った西郷さんの功績を後世に伝えようと、明治31年

にこの銅像が建立されました。犬を連れた気楽な西郷さんに親しみを感じた江戸っ

子も多かったと言います。

        上野広小路方面の街

 山から南方面の上野広小路を眺める西郷さん。多くのビルが建つ現在の街を見て

感慨深いことでしょう。

カレーの市民 (国立西洋美術館)

2008-11-18 07:38:18 | Weblog
   カレーの市民

 ロダンの「カレーの市民」は、英仏100年戦争下、海峡の町カレーにおいて、

イギリスのエドワード3世の人質となることで、この市を救った6人の英雄を描い

たものといわれます。  

          考える人

 「考える人」は何を考えているのか、それは観る人におまかせする・・というこ

とらしいです。ロダンが地獄の門を制作するうちに出来たとされますが、地獄の門

の中央上の部分に小型の「考える人」の像がついていますので、なるほど と納得

できます。ご婦人が撮影の順番待ちをしていますね。  

 これらの彫刻群は、阪神淡路大震災のときの美術品の被害を教訓として、全て地

震に強い免震工事が完了したといわれます。

地獄の門 (国立西洋美術館)

2008-11-17 07:27:07 | Weblog
    地獄の門

       アダム

 芸術の秋、上野公園の西洋美術館の前庭にはロダンの傑作が展示してあり、大勢

の人々が鑑賞に訪れていました。  

 地獄の門、アダム、考える人などが並んでいます。ロダンは、パリ装飾美術館の

入り口門扉をフランス政府から依頼され、「地獄の門」の制作にとりかかります。

 1917年に亡くなるまで、幾度も修正を加えながら制作を続けたと伝えられま

す。アダム、考える人は、その過程で生み出されたものです。

          弓を引くヘラクレス

 「弓を引くヘラクレス」は、ロダンの後継者といわれるプールデルの作品で、ギ

リシャ神話の英雄ヘラクレスが、怪鳥に向かって矢を放つ瞬間を描いたものとされ

ています。

ラッパ犬? (浅草1丁目)

2008-11-16 07:45:48 | Weblog
 

       

 浅草公会堂の裏通りで面白い犬を見かけました。首にラッパのような、メガホン

のようなものがついています。  

 これは、きっと「噛みつき防止」ではないかと思いました。このようにラッパ状

のものがついていると、噛みつこうにも届きませんから。他に何かラッパをつける

意味が見つかりません。こうして見ていると、謝っているようにも見える姿がなん

ともいじらしいですね。

川口松太郎句碑 (浅草神社)

2008-11-15 07:49:44 | Weblog
    

 「生きるということむずかしき 夜寒かな」の句碑があります。浅草神社の鳥居

をくぐった右側に、師の久保田万太郎が詠んだ「竹馬や いろはにほへと ちりぢ

りに」の句碑(写真右)の傍らにあります。  

 川口松太郎は明治32年10月1日浅草今戸に生まれました。昭和10年第1回

直木賞の「鶴八鶴次郎」を初めとして、小説や脚本に名作が多く、文壇・劇壇に多

大な足跡を記しています。特筆されるのは、新派の花柳章太郎、水谷八重子等によ

って演じられた、情緒豊かな諸作品は観客を魅了しました。1938年の映画では

「愛染かつら」が大ヒットとなったものです。

 

胎内くぐりの灯籠 (浅草寺淡島堂)

2008-11-14 07:50:24 | Weblog
    

 淡島堂の境内に変わった形の灯籠があります。これは「胎内くぐり灯籠」として

江戸時代から有名だったそうです。この灯籠をくぐることで、子供の虫封じや疱瘡

の予防のおまじないとされています。  

 今の浅草は、本堂落慶50周年で賑わっています。お子様連れのお方はすぐお隣

の淡島堂を参拝されて、お子様にくぐらせてみては如何でしょうか。なお、この灯

籠の造立年代は不明だそうです。

新そばが美味しい季節

2008-11-13 07:26:34 | Weblog
 

       

 そば好きが喜ぶ「新そばの季節」です。特に秋蒔きのそばで9月から11月にか

けて獲れたものが上々です。収穫されたばかりの「新そば」は、香りはもちろん味

わいも一級品です。  

 このそばを肴に人肌のお燗で・・という人も多いとか。

河竹黙阿弥住居跡 (浅草1丁目)

2008-11-12 07:32:05 | Weblog
 

 河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は、幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作

者です。文化13年(1816)生まれで明治26年(1893)没といいますから、

当時としては長命ですね。現在の浅草仲見世のど真ん中辺りに住居とは、猿若三座

の時代に活躍したと思われます。  

 天保14年(1843)二代目河竹新七を襲名して立作者となる・・とありますか

ら、この時に一人前と認められたようです。主作品は魚屋宗五郎、河内山と直侍、

三人吉三などで、今でも上演されて人気があります。

駒込妙義坂子育地蔵尊

2008-11-11 07:53:22 | Weblog
    

 本郷通り妙義坂の地蔵尊は、寛文8年(1668)に駒込の今井家が子孫繁栄を祈

願して、お堂を建立したものと伝えられています。  

 地蔵堂内には、おかっぱ頭のセーラー服姿の童女が片手に宝珠を持ち、もう一人

は錫杖を持って手をつないでいる供養碑があります。これは昭和8年にこの近くで

交通事故にあって亡くなった11歳の仲良しの少女を供養するために建てられたも

ので、以後、子育地蔵尊とともに地域の安全を見守っています。

 戦時中の空襲で焼失しましたが、戦後ここに再建され、現在は城官寺(北区上中

里)の境外地蔵尊として祀られています。(豊島区教育委員会)