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大仏略記によりますと、寛永8年(1631)越後村上藩主、堀直寄が戦死者の
慰霊のため(上野自邸内に)漆喰の釈迦如来像を建立したのが始まりとなっていま
す。その後、銅造の大仏さまになりましたが、何度も地震や火災で被災したり再建
したりを繰り返しました。大正12年(1923)の関東大震災では頭部が落下す
る被害に遭い、大破した頭部・胴部は寛永寺が保管していました。
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昭和15年(1940)戦時中の金属回収令により、顔面部を除く頭部、胴部が
供出されて消滅します。昭和42年(1967)、関東大震災の50回忌にあたり
上野観光連盟が願主となり大仏再建を願う祈願塔を建立し、昭和47年(197
2)、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして安置しました。
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合格祈願の絵馬が多くみられますが、これは、この形になった大仏さまの「頭は
絶対落ちない」との縁起をかついだものらしいです。江戸っ子の洒落といいますか
まいったデス。
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