解臓記念碑(小塚原回向院) 2012-09-14 06:35:10 | Weblog 明和8年(1771)蘭学者杉田玄白・中川涼庵・前野良沢らが、小塚原で刑死者の解剖に 立ち合いました。後に「解体新書」を翻訳し、日本の医学史上に大きな功績を残したことを記 念して、大正11年に「観臓記念碑」が建立されました。 今でこそ解剖とか手術とかは当たり前ですし、ロボット手術なるものも進化していると聞き ます。昔は大変なことだったのでしょうね。 « 賑わう浅草寺 | トップ | 浅草神社の御神田 »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 医学 (hibochan) 2012-09-14 08:08:40 昔は こんな形で研究してたとは医学の発達には 驚きましたが 何故か機械頼み医者の暖かさが失われてるような気がします。梅ちゃん先生大好き 返信する hibochanさん (sanpo63) 2012-09-14 15:26:35 梅ちゃん先生はいいですね。 なんとなく ほんわかとしていて暖かいです。それと前の工場のおやじ 片岡鶴太郎がなんとも言えない味があります。 視聴率が高いのは当然ですね。 主役の人選の勝利です。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
医学の発達には 驚きましたが 何故か機械頼み
医者の暖かさが失われてるような気がします。
梅ちゃん先生大好き
なんとなく ほんわかとしていて
暖かいです。それと前の工場の
おやじ 片岡鶴太郎がなんとも
言えない味があります。
視聴率が高いのは当然ですね。
主役の人選の勝利です。