酒好き文化風俗研究者

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人生100年時代について。

2019-02-06 | 文学
 2月6日 水曜日

 おはようございます。 R²O(うしなおう)とミーム(遺伝子)です。


長生きすることはエコではなくエゴだとしても、

重要なのは生きる目的が明確かどうかです。

人生50年であれば、

食欲・睡眠欲・性欲でも構わないのですが、

人生100年ともなればそうは往かず、

成長欲求がとても重要になると考えられます。

なぜなら、性欲とは

子供やお年寄りにとって欲求と呼ぶに相応しくないと思えるからです。

比べて、

成長欲求は子供からお年寄りにまで影響を与え続ける快楽だからです。

快楽だから問題ありません。

この成長欲求を満たすことが生きる目的であり幸福論だとするなら、

人生100年時代でも存在意義や存在価値が明確となるのです。

逆に、寝たきり老人や定年引き延ばしでは、生き地獄、無常です。

死ぬ瞬間まで成長快楽を充実させ、次の世代に引き継ぐなら、

長生きがエゴではなくなるのではないでしょうか。

誤った快楽の追求では感謝されず尊敬を失うのではないのでしょうか。

徳川家康が言い残した通り、

「人の一生は重き荷を背負って遠き道を行くが如し。急ぐべからず」 

まるで私たちは修行僧そのものだ。

成長欲求の追求にこそ我々の100年、その道が見えるのだ。

冥途の土産にはカルマとも呼べる成長遺伝子に書かれているように、

考えてみると、自然的なことなのです。滅茶苦茶ではない。

確かに、個人差があるにしても本人にとってカルマですから問題ありません。

欲望を満たし見栄を張るのが生きがいだけでは達人とは呼べずに見苦しい。

反対に、老人たちが死ぬまで成長し続けるなら、

若者たちからの敬意と感謝を勝ち取ることでしょう。誰も逆らえませんから。

人生100年、のた打ち回る姿に美しささえも感じられます。

残念な話ですが、この世は決してパラダイスではなく、エデンの園でもない。

お釈迦様の言う通り、我々は共に地獄に堕とされたのですから、

成長快楽の追求に涅槃へと繋がる何かが隠されている。

お釈迦様が言うのですから疑うまでもありません。

「我が人生、悔いなし」 とは、成長快楽追求以外に見当がつかないのです。

もう一つ、人生100年時代に生きる道があるとすれば、

この世の地獄化を押し進めることです。

社会を混乱し、人々を恐怖に陥れるのです。

いつの時代も 「嫌われ者、世にはばかる」、

ダークサイドに身を置き、惡の華を咲かせるのです。

閻魔大王もさぞ、お喜びになることでしょう。

どちらにせよ、

成長欲求が機能し続けることには代わりありませんが・・・。


   つづく。