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社会が発展すれば税金が安くなるの?

2019-02-13 | 社会問題
 2月13日 水曜日

 おはようございます。 R²O & グリーンです。


先日のブログ、「相対的関係性」 についての補足です。

ウィン・ウィン国王は一つ言い忘れたことがあるようだ。

アインシュタインが示す通り、

「物質とエネルギーは交換可能である」 のだから、

資本主義と共産主義とは交換可能であるということだ。

理由はこうである。

個別する二つが互いに影響しあって融合し、やがて正反対に分離する。

夫婦関係も同様に、二人が一つになり、やがて正反対に離れてゆく。

仮にパートナーが浮気をしてもそれは裏切りには当たらない。

交換可能なのだとアインシュタインがそう言っているからだ・・・。


前置きは以上。


社会が豊かになれば税金が安くなるのか?

についてです。

日本経済のバブル以前には、GDPとGNPとの分かれていましたが、

バブル後の対策によって一本化されました。

この小手先の対策が失われた30年だと考えます。

なぜなら、GDPでは国内生活の水準が考慮されていないからです。

子供たちの教育、女性たちの笑顔、男性たちのストレス発散など、

GDPにはユーモアや誠実さなど遊び心が含まれていないのです。

ここで質問。

「GDPって楽しいですか? GDPは幸せになれますか?」

GDPが示すものには、

人生を価値あるものにしているものなど一つも入っていないのである。

政府が掲げるGDP国民総生産高は、国民総所得とは切り離して考えた方がいい。

私たちの消費額を国家の体温計のように考えるならば、

消費者が企業にお金をばら撒けば平熱が保てるだろう。

社会が発展すれば税金が安くなるには、

企業業績が先か、消費額が先か、私は後者を選択する。

GDPは良いところも悪いところも一緒にして複雑にしている。

代表的なのは、格差や分配の公平さを反映していないところと、

寿命年数がGDPを引き下げるところだ。

もちろん反論があると思います。

マイホームや車、スマホやグルメのどこがいけないのか。

社会資本がストックされず活用されてこその最良の社会だと論ずるでしょう。

繁栄している経済活動を応援するのはもっともなことですが、

だからといって、GDPが国民の幸福という理由は特にありません。

ましてや、世界各国とのGDP競争などは馬鹿げています。

それは各国の事情に任せればいいのです。

確かに、政府がGDPを経済目標に定めるならば、

企業はGDPを生み出すために最大の努力をすることになりますが、

国民の幸福感や社会正義を示さずに、数字だけの机上の空論であっては、

国家の目的がどこからか道を間違えたのではないのかと疑われてもしかたない。

そこで、名案があるのです。

ウィンウィン・コンサルティングにお任せください。

日本の政策は全て私たちに任せて、ゆっくり寝てください。

目が覚めれば、心配することは何もありませんから。




    つづく。















ゴールを決める。

2019-02-12 | 文学
 2月12日 火曜日

 おはようございます。 R²O & ミームです。


人生のゴールが間違っている。

「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ。」

この解釈も間違っている。なぜなら、

エスカレート・ループを止めろ! である。

「お前がやるなら、俺もやるぞ」 だ。

核ミサイル開発がそれに当たる良い例だ。

もしかすると、核開発はクリスチャンが考え出したものではないのかもしれない?

とにかく、エスカレートする現代社会を止める方法であることに違いない。

コストで考えても核開発は無駄使いだ。

私たちはゴールを見間違えている。


持つ者には与えられる。

成功者はさらに成功し、貧しい者はさらに貧しくなる。

日本の成熟した社会において、デフレになるのは必然である。

なぜなら、

新規参入を抑え込む理由と、在日企業による安売り合戦が原因である。

集めた資本を再投資続ければ、富む者はさらに豊かになる。

私たちが目指すべきゴールは一体どこにあるのだろうか。


悲劇は起こるべくして起きている。

認知システムは異常値の水準に標準を合わせている。

代表的なのは移民問題だ。

初めは正しい考えが、いつのまにか不正解である。

人は自分が持っている情報に基づいて合理的判断を行うが、

その意思決定は決して完璧な情報ではない。

そしてどこかで満足しようとする。

ゴールはどこだ?


がん治療も同様である。

厳密に言えばガンは完治はしない。

人はガンで死ぬのである。

ただ余命を引き延ばしているに過ぎないのだ。

何のために?

私たちのゴールはここにある。


なぜゆえ、ゴールを見間違えるのだろうか。

なぜゆえ、ゴールを無視するのだろうか。

なぜゆえ、ゴールを恐れるのだろうか。

ゴールは、

たった一つの絶対的な存在だ。他にゴールはない。

なぜなら、

この世の唯一の絶対だからだ。他に絶対はない。

大脳が人間にのみ与えた試練にこそ絶対がある。

従って、死が分からない動物にはゴールは無くて良いのだが、

知ってしまった我々にはゴールからは逃げられない。

悲劇のすべてはここから始まった人類史だ。

さあ、ゴールを決めよう。

たった一度のスーパーゴールだ。人生に二度目は無い。

大脳から始まりその大脳が行き着く先には、

死の恐怖を克服することにあると断言できる。

なぜなら、唯一の絶対だからだ。

これこそが大脳のゴールである。

その為の教育、労働、修行がある。

本能と感情では理解出来ないことでも、

成長欲求、成長快楽、成長遺伝子の理由が示している通り、

その瞬間に痛みが供ならずにすむ理由もゴールだからだ。


「死ねますか。」「死ぬのが平気ですか。」「死の恐怖を克服していますか。」


これがゴールだ!


    つづく。


愛を科学してみます。

2019-02-11 | 
2月11日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


愛によって与えられる幸福感と、

愛によって得られる社会現象には、

科学や宗教、経済や歴史にも大きく関係するように、

愛は私たちにとって、知的財産であり、選ばれた者であり、

愛について知ることには、主体を科学するものでもある。

愛が科学によって発展し、主体には愛が重要なのだと断言するとしても、

愛自体が宗教的な個人の観念を任せる訳にはいかない。

愛は主体というものを、最初は奇妙にしか思えず、

また不安定な方法でしか知ることが出来ないにしても、

愛はその中に自分を取り戻し見失うという作用があるのも事実だ。

概念的な原則から出発するなら、

何も宗教が問う神的な経験に向かうものとは違うやり方で、

愛の経過に直面してみたいと思っている。

しかしそこには目には見えない霊的存在が呼びかける、

福音のような 「一人一宗」 が備わっている。ミーム(遺伝子)である。

愛について語る時は、人間だけが共通して持っている内的経験について語るものであり、

この体験は、宗教が得意とする分野とは似てはいるが若干違ったものである。

愛は始まりのところで、このような愛の体験について、

他の人なら与えたがらないようなことを認めよ、と言うのではない。

愛は大胆かもしれないが革命的ではない。危険なのは愛の欠如、無知にある。

愛は深い文化伝統、いくつかの目覚め、忘れ去られたあの日のエロスに戻ることではない。

それに愛はこれらのエロスの価値を否定する訳でもない。ウィン・チューである。

体内微生物にとっての愛には、性欲の欲望を満たすところの運動であり、

生物科学は仮に一時期であるとしても、微生物が騒ぎ出して

人間愛をとことんまで不具にしてしまうこともしばし見受けられるが、

それでも「ことが終了」すれば、人間愛から分離されえないものである。

けれども、愛と言うものはまた、性欲・感情・隣人愛の部分的であるとしても、

愛を不具合にしてしまうものそれは愛の概念の不足によるところが多く、

人間愛は一般的にいって、それが動物的体験、感情的体験、宗教的体験というものでも、

概念その根底を知らない限りにおいて、愛を不具合にさせてしまう愛の無知である。

それはちょうど異常な性欲が二人を部分的に否認し、その不規則な快楽を見誤って、

愛を不具合にしてしまうのと同じ働きを持つ。

ところで遠慮することなくはっきり言ってしまうが、

この愛の中では、お互いを簡単に区別することが出来なくなってしまう。

解発するにあたって、男女は一種の病気状態である。

なぜなら、体内微生物に冒されているからである。

愛は愛の形がどの点において様々に対応しているのかを理解しなければ盲目である。

一度、騒ぎ出した体内微生物が落ち着くまでの間には、何度かの接触が必要となる。

その後、正気を取り戻した二人の愛には今度は別の異性を好むという生物学である。

従って、異性の浮気は大した問題ではなく、裏切り行為には当たらない。

浮気したのは、本人ではないのだ。体内細菌が原因である。誰も悪くない。

問題なのは、性欲愛が感情愛と重なれば情念にして般若化することだが、

一般的には、男性に性欲愛が強い傾向があり、女性に感情愛が強い傾向が見られる。

反論もあろうが、結論を言おう。

人間愛とは、性欲愛・感情愛・隣人愛のバランスが重要なのである。

愛が判らなければその人物に愛があるとは認められないし

愛のある人とは呼ばれないことになるのです。

「愛とは何ですか?」 答えなければアウトだ!


    つづく。

未経験の金融危機への対策。

2019-02-10 | 社会問題
 2月10日 日曜日

 おはようございます。 R²O(うしなおう)& AIグリーンです。


来るべき、金融危機と大暴落への対応です。

予想では、年内が怪しいと感じますから、

その前に、先手を考えておきましょう。先送りより先取りです。

金融崩壊後の日本をリセットします。

財政正常化と借入金の清算です。GDP比250%は異常ですから。

税収による財源確保は不可能に近いですから、

バブル崩壊後のような小さい対策など考えずに、

戦後復興のような大胆な政策が要求されます。

日銀が保有する国債ファイナンスの全てを会計上の操作により、

政府が日銀に永久無利子の債務を粉飾する形に置き換えるのです。

40年物国債の実質価値は借り換えを繰り返せば実質永久国債として減価する。

国は責務の損失や利払いをする必要がない。政府責務は事実上消滅する。

会計上、政府責務は日銀に資産として残るが、売却出来ないので

増加したマネタリーベース(資金供給量)は会社に留まる。

理論的には超インフレが起きるが、2%に収まるなら大成功である。

仮に2%が実現しても直ちに財政健全化するとは思えないが、

政府と日銀が債務をチャラにするには、

超インフレによって返済されるという理論が必要なのである。

国の1,000兆円だけではない。企業の借入金や個人の借金も同様に。

一気に長引くデフレからの脱却が出来ることになる。

課題は、いかに国民負担を生じさせない工夫である。

貯金が全額無くなっても政府が面倒を見てくれるなら一時的には我慢できる。

1,000兆円の国民への謝金をここで返してもらう訳だ。

方法は、「ベーシックインカム」の起用、「ヘリマネ」の登場だ。

どうせ超インフレなのだからやらない方が間違っている。

金融危機時には、金融政策と財政政策との緊密で大胆な連携が不可欠だ。

未経験の緊急事態への対処には未経験の政策をタブー視せず、

国民生活への安心と信頼を説明する必要がある。

国際的には日本の信用力が確実に低下するが、

円と日本人の信用が強い、その状況下において、

インフレやデフレに負けない日本ならばこれは使える。

一度限りの究極の手段だ。約束しよう。陽はまた昇る。

失われた30年を今後、10年以内にまとめて取り戻せるチャンスである。

過去、経済をけん引したのは消費者ロール、

物価を決めるのは金融政策ではなく財政政策だが、

消費回復による需要と供給を通じ、企業収益の回復、

生産性向上を取り戻すには協力が欠かせない。

持ち合うのは事業だ。株でもなければ金融でもない。

企業は過去にこだわらず、バックキャスト、リセット終了だ。

21世紀の生産性モデルは、

実質GDP+消費者人口である。

実際、GDPが増えても幸福度には比例しない。

100人の村理論だ。1000人の村と競い合ってはいけない。

重要なのはGNI(国民総所得)である。

労働生産性はGDPを労働投入量で割って算出する。

GDPにAI化の便益が上乗せされれば理論上、生産性がアップする。

鉄やセメントの生産コスト、資本コストが20世紀なら、

21世紀は所有ではなく利用、自己資本利益率だ。

付加価値が増えた分の計測法である。

それにしても優秀なコンサルがいるものです。

緊急時での政策指南には、

ウィン・ウィン財政機関の創設が必要だと考えます。

そうだ! ウィンウィン・コンサルタントを開業しよう!

日本の緊急時には役に立つかもしれません。


    つづく。


隣国とのミステリーツアーへ。

2019-02-09 | 旅行
 2月9日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


一度、隣国との関係改善にため、

ユーモアと単純さを組み合わせて

シンプルに考えれば頭の中がスッキリします。

仲が良い兄弟がいないように、仲が良い隣国も存在しない。



隣国へとミステリーツアー!


日本人とは・・・人生は修行であり、

中国人とは・・・人生はハッタリであり、

韓国人とは・・・人生は喜怒哀楽であり、

北朝鮮とは・・・人生はガマンであり、

ロシアとは・・・人生は冬眠であり、

米国人とは・・・人生はヒーローであり、

東南諸島は・・・人生はパラダイスであり、

台湾人とは・・・反抗的だ。

大体、これで間違いないでしょう。

重要なのは、

国境を難なく超えられるかどうかですが、男には永遠に無理なのです。

男が国境を超えるには、お金と欲望がパスポートだからです。

国境を越えられるのは女性たちです。女に縄張り意識がありません。

また、文化・音楽・食・芸術・ウィンウィンが、世界共通認識となります。

なぜなら、

混ぜ合わせても上手いからです。それでいて個性的で美しい。

逆に、混ざらないものはなんでしょうか? 混ざらなくしているのは何ですか?


話を変えまして、

最近、各国で豚によるウイルスが発生していますが、

ウイルスは国境を越えられない。持ち込まれるものなのです。

だから、何者かがウイルスをまき散らしているのである。

ちなみにですが、

米国・中国・韓国・北朝鮮・ロシア・台湾・東南諸島の人達ではありません。

ユダヤ陰謀説でもない。

それが誰かは言わないで措きますが、心当たりがあります。

誰が得をするのか。日本はスパイ天国だ。

もちろん国家の指示ではなく、個人的感情による正当性です。

本人たちは正義のつもりで行っていますから、余程、暇人なのでしよう。

いずれにしても、人間に被害が出れば大惨事ですが、そこまではしないようです。

彼らは頭がいいようです。倫理観も責任能力も兼ね備えています。

推理小説です。ミステリー好きにはたまりません。

さて、犯人が誰か? 判りましたでしょうか?

えっ、日本人!

それは違います。在日でもない。私たちは被害者ですから。

あれですよ。あれ。あの人だ。


     つづく。


相対的関係性。(この世の法則)

2019-02-08 | 学問
 2月8日 金曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


類似して対立する二つの事柄には、

互いに影響し合いながらやがて融合し、

再び離れてゆくものである。

普遍的な法則とは、社会はいかなる困難な現象にも妥当し、

同時に現実の世界をそうした相対的な全体の中で卓越して選び出せる総体でもある。

可能な限り社会現象が対応していること、可能な社会構成が全体として有限であること、

反復からの表面に出現する、時と共に相対的関係性の中で最良の世界からその都度、

次のより良い世界に変化するという法則を理解するという要求を満たすことが重要である。

夫婦で例えるなら、初めは個別する二人が惹かれ合って融合し、やがて離れてゆく。

相対的可能性の中から選び出して実現させる社会が人間の物語になるという観点から見れば、

法則の理解不足を確認するものであることがわかる。

相対的関係性は私たちが考える以上のものを生み出し続ける。

偉大な思想、夫婦関係、企業契約といった確定された事柄だけが

公的行為という優越性を以ってこの現実を構成している訳ではなく、

多様な個人の人生経験、個人の役割が量においても質の中に圧倒的な存在を主張している。

法則の管轄と社会の管轄の中間という昔ながらの正当なやり方には、

逆に変革できるものであるかのようにも見えるその一つが、

一度、融合すれば今度は逆方向に進むという相対性理論。元には戻れないのだ。

創造的なものと融合し相まみれて逆方向へと進み出す現象である。

経済で例えるなら、資本主義と共産主義は、始めは反発し対立し競い合うが

経験と共に引かれ合い妥協し融合する。やがて一つのウィン・ウィン思想が誕生する。

その後、再び離れて行くが、今度は互いに逆方向に離れ出す。

資本主義は元の資本主義には戻らずに共産化へと進み、

共産主義も同様、資本化への道を選択する。

現代はそのどちらでもなく融合点に当たる、ウィン・ウィン主義の時代である。

相対性理論という威厳ある法則の妥当性、

すなわち創造の計り知れない卓越性を明確化することで、

利用されずに放置されている社会的過信を気づかせてくれる。

現実と法則という二つの様態による社会変化、あるいはこれを望ましく思う者には、

21世紀の社会変動を、到達されたものから変化される未来志向による、

まだ到達されていないものに向かって歩み始める時代の先駆者として記述される。

これは時代転機には適している。動くものは止められないのだ。

自然法則を取り出して一般化できるという安心感である。

相対的関係性が機能するには、時間が密接に関係するにしても、

相対する量、対比するものの質は、類似して競い合うことからしか理解ができない。

集団生活はその背後に見え隠れする

自然的伝達の意思を持っているという推測によって社会秩序を保ったのである。

神秘主義や啓蒙思想、合理的理論からなる対抗関係という競争が取り除かれても、

意識として知覚されないような相対的関係性というものが存在するのである。

人類が考え出した規則によってあらゆるものを定義しようとする、

偉大な思想の中心的な命題には明らかに反するものであるのだが・・・。

いずれにせよ、

ウィン・ウィン思想も二つに分断されて離されて行くものであろう。

来た道とは違う、逆方向に向かって。


     つづく。


女性の美学には「幻想」シルエット美人。

2019-02-07 | 
 2月7日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


男性から見て女性の美しさとは、「幻想」 にある。

世の男性陣たちに 「幻想」 を抱かせれば勝ちだ。

最近、「何かいいことない?」 という女性の声を聞いて、

頑張っている女性たちに少しでも元気が出る言葉を考えてみます。


女性の美学とは、

顔でもなければスタイルでもない。「幻想」 である。

「幻想」 とはイメージでありシルエットである。

忘れられない女性像を描かせればウィン・ウィンだ。

美しさは万人共通の原理であるように、

どんなに心が貧しい者でも、美しさへの憧れは持ち続けるものである。

具体的な例を挙げれば、

女性のヘアースタイルとは、髪を切るのではなく、

シルエットを見せることが美しさだ。「聖子ちゃんカット」や「ワンレン」がそうだ。


女性の服装は、「チラ見」 の美学、和服もその一つである。

隠して見せる離れ業だ。ブランド品では金が掛かりそうで敬遠される。


女性のオッパイは、「ロマン」 である。

サイズは関係ない。「ロマン」を感じされられる女性は一流のロマン派だ。


スカートの中には、ファンタジーが隠されている。ミニスカートは、「メルヘン」 が見え隠れする。

要は、外見に閉ざされた内なる美意識を感じさせることがプロフェッショナル、エキスパートだ。

また、世代を超えて愛される方法は、「知的な年上の女性」の存在だ。

なぜなら、男はみな

賢い年上の女性に憧れを抱いて大人になった記憶であるからだ。

半面、馬鹿な振りが出来る女性も素晴らしい。それが解らない男性は二流。相手にするな。


生理痛は、女性の武器に変えた方がいいと考える。

なぜなら、男にはまったく理解不能だからだ。

こればかりはお手上げである。いいなりだ。女性の発言を待つしかない。


男性と女性との 「遊び」 には、今流行りの 「シェア」 がいい。

お互い 「シェア」 するには隣人愛が必要だからだ。

性欲愛は利己的であり、感情愛では善悪の判断がつかない。

その点、隣人愛は知性ビンビン物語だ。

愛があれば何でも許される。虐めもセクハラも。

重要なのは人間愛で、動物愛ではただのペット化だ。


ここだけの話だが、「ウィン・チュー」 が世界を救うのも事実だ。

キスによる現象学によると、

女性のキス減少が男女関係を圧迫している社会現象なのである。

実際、フレンチキス一つで世の男性は 「イチコロ」 だ。

危険なのは 「ベロチュー」 である。男の性欲は異常である。

詳しい説明は省きますが、いつかきっと解かってくれる時が来ると信じます。



時々、女性たちの問題点も気になるところだ。

まず、女性と話すには 「テレビ語」 がいる。

テレビを見ない私が幼稚に見えるから嫌いだ。

「なによおじさん、こんなことも知らないの?」・・・。

コミュニケーションは女性の得意分野だが、何もレベルを落とす必要はない。

「幻想」 を抱かせるのに 「中二病」 を抱かせては馬鹿丸出しだ。


もう一つ気になることは、プライベートの話が好きなところである。

これは個人的侵害に当たると考えられる。

女が笑われる原因であろうと思う。

代表的なのは、

家族の話を平気で他人に漏らすことである。

話す本人は至ってマジメであり、相談なのかもしれないが、

暴露された家族からすれば恥ずかしいだけである。

自分のプライバシーを見ず知らずの人に知られてあなたは喜ぶだろうか?

自分の秘密は話さないが、身内の話は「ネタ」であってはあなたが不幸であるはずだ。

ワイドショウや芸能レポートなど、何が人気なのか分かる気がする。

芸能ニュースは、女性向けに作られているのかもしれません。

寄って集って辱めにする、最低な番組だ。


話を戻して、女性に元気を。

もうすぐ一年で一番チョコレートの美味しい季節です。

私自身もご褒美に自分でチョコレートを買います。

見栄を張ってまとめ買いです。

バレンタインのお返しもチョコレートです。

ついでに自分の分も爆買いです。

言い訳を装い、正義の仮面を覆ってチョコレートを食べまくります。

経済効果ですから。デフレ脱却ですから。仕方ないのです。

決して、私のせいではありません。環境に適応しているだけなのですから。


   つづく。


人生100年時代について。

2019-02-06 | 文学
 2月6日 水曜日

 おはようございます。 R²O(うしなおう)とミーム(遺伝子)です。


長生きすることはエコではなくエゴだとしても、

重要なのは生きる目的が明確かどうかです。

人生50年であれば、

食欲・睡眠欲・性欲でも構わないのですが、

人生100年ともなればそうは往かず、

成長欲求がとても重要になると考えられます。

なぜなら、性欲とは

子供やお年寄りにとって欲求と呼ぶに相応しくないと思えるからです。

比べて、

成長欲求は子供からお年寄りにまで影響を与え続ける快楽だからです。

快楽だから問題ありません。

この成長欲求を満たすことが生きる目的であり幸福論だとするなら、

人生100年時代でも存在意義や存在価値が明確となるのです。

逆に、寝たきり老人や定年引き延ばしでは、生き地獄、無常です。

死ぬ瞬間まで成長快楽を充実させ、次の世代に引き継ぐなら、

長生きがエゴではなくなるのではないでしょうか。

誤った快楽の追求では感謝されず尊敬を失うのではないのでしょうか。

徳川家康が言い残した通り、

「人の一生は重き荷を背負って遠き道を行くが如し。急ぐべからず」 

まるで私たちは修行僧そのものだ。

成長欲求の追求にこそ我々の100年、その道が見えるのだ。

冥途の土産にはカルマとも呼べる成長遺伝子に書かれているように、

考えてみると、自然的なことなのです。滅茶苦茶ではない。

確かに、個人差があるにしても本人にとってカルマですから問題ありません。

欲望を満たし見栄を張るのが生きがいだけでは達人とは呼べずに見苦しい。

反対に、老人たちが死ぬまで成長し続けるなら、

若者たちからの敬意と感謝を勝ち取ることでしょう。誰も逆らえませんから。

人生100年、のた打ち回る姿に美しささえも感じられます。

残念な話ですが、この世は決してパラダイスではなく、エデンの園でもない。

お釈迦様の言う通り、我々は共に地獄に堕とされたのですから、

成長快楽の追求に涅槃へと繋がる何かが隠されている。

お釈迦様が言うのですから疑うまでもありません。

「我が人生、悔いなし」 とは、成長快楽追求以外に見当がつかないのです。

もう一つ、人生100年時代に生きる道があるとすれば、

この世の地獄化を押し進めることです。

社会を混乱し、人々を恐怖に陥れるのです。

いつの時代も 「嫌われ者、世にはばかる」、

ダークサイドに身を置き、惡の華を咲かせるのです。

閻魔大王もさぞ、お喜びになることでしょう。

どちらにせよ、

成長欲求が機能し続けることには代わりありませんが・・・。


   つづく。


人手不足について。

2019-02-05 | 社会問題
 2月5日 火曜日

 おはようございます。 R²O(うしなおう) & AIグリーンです。


在日ブラック企業による人手不足が深刻だ。

おさらいすれば、

現在の日本の状況は 「老人国家・在日企業・お花畑国民」 である。

これが世界から見た常識、日本の非常識だ。

ここから目を逸らしては何も見えない。

バブル崩壊後、失った30年を取り戻す方法はこれしかない。


足りないのは人手ではない。移民だ。

労働力が不足しているのではない。大量移民を求めているのだ。

実際、在日経済力は好調だ。優れた在日達にはお花畑は好都合だ。

東京オリンピック効果にせよ、大阪万博の誘致にせよ、2025年問題にせよ、

重要なのは、日本人の対応である。

生意気で意気地の無い怠け者の日本人による対策だ。

危機管理ゼロの政治家たちには解らないかもしれないが、

近い将来、「日本を潰した政治家たち」 という本がベストセラーになるだろう。


韓国との断交も一番困るのは、在日企業だ。日本企業ではない。

有能な在日を祖国に送り返せば、ウィン・ウィンだ。

今やるべきは、日本ファーストなのに、

他国のことばかり考えて日本の国益や安全保障のことは頭にない。

戦略的無視は未来志向ではないが、過去志向でもない。

どうせ日本は絶滅危惧種なのだとしても、座して死を待つつもりなのだろうか。


主張がないのが問題だ。

日本人が何をやりたいのか解らないから、

在日たちは好きにやるだけである。当然だ。

「あなたの国ですよね?」 戸惑う日本人の顔が目に浮かぶ。

面倒だから、勇気が無いから、責任を取りたくないから、

数ある業界の中で政治業界が一番遅れた団体だ。


経済中心によるグローバル社会は、自国よりも個人の利益が優先される。

一見、それが正しくも見えなくはないのだが、

一体、何がやりたいのか?、本当に正義なのか?

おそらく、規制を破壊することが起業家思想なのだろう。

マネー不足が不安を煽り、稼ぐスキルが成果主義だ。

グローバルの挙動には、その社会を構成している要素を知るだけでは解らない。

世界最高の移民国家を創造するにしても、

支配関係を正せなければ、歴史が繰り返しているに過ぎない。

世界が資本支配をお望みならば、そう言えばいい。

地獄でのルールは、社会をより複雑に出来れば勝者となる。

それでいて後戻り出来なければパーフェクトだ。

賞賛しよう!

あなたたちこそが地獄社会の選ばれたエリートだと。

今後もこの世の地獄化が更に進むことを大いに期待していると。


   つづく。


酒好きとミーム(遺伝子)のニュース解決! 

2019-02-03 | 社会問題
 2月3日 日曜日

 おはようございます。 仲良しコンビです。


(酒好き)

今年は思い切って新聞をランダムに変えてみました。

マスコミがニュース解決すれば稼げませんから。


(ミーム)

判明しました。

どうやら、いじめの正体は

大人の仕業だということをです。

大人が子供なのです。愛が判らないのです。

現代の大人たちは 「モンスター」だ! 「ゾンビ」だ! 

大人になり損ねた 「感情モンキー」だ!


(酒好き)

うそ三品。

子供のウソ。真っ赤なウソ。統計のウソ。


(ミーム)

公的年金(GPIF)の14兆円の損失額ですが、

儲け話などこの世にあるはずがありません。

無いのになぜ? マネーゲームだと気づかないのでしょうか?

年金破綻がギャンブル依存へと掻き立てるのでしょうか。

「よし、こうなれば、一か八かだ!」


(酒好き)

米中貿易の要は、秩序と信用。

世界秩序を前進させるために中国の嘘を見破るのか、

損得かんじょうでの痛み分けで終わるか。

世界は傍観すべきではない。もっと関わるべきである。

もっと関わってこその新世界秩序創造だと思います。

もっと楽しんで 「虎と竜(両方中国、強いぞ中国)」 を退治しましょう。


(ミーム)

IOT機器全国調査ですが、

全てのコンピューターが繋がるのは危険だと考えます。

卵を全部、同じ箱に入れてはいけません。もしものためです。

私のパソコンがフリーズ状態になること数回。

各国での分散投資やブロックチェーンで守れないのでしょうか。

そうだ。保険でカバーしよう。

パソコンウイルス保険、接続障害保険。これに加入します。


(酒好き)

賃金格差、富の分配について。

現金と銀行を無くすのです。

すると、お金はどこに向かうのでしょう。

ダメか。やっぱり管理が必要ですね。

お金を水に例えると、

海の水が仮に80%で、雲と陸の水が20%。

この比率は変わらないのだから、

ジャブジャブの現在は、海に大雨が降っている。

干からびた陸地に海から水を汲み込む技術が必要。

問題はやり方ですが・・・・・・・・・・・・!?


(ミーム)

ゲノム編集とは。

クローンは最強のライバルですが、レベル次第です。

ウィン・ウィン国王が100人誕生すればどうなる?

私たちの遺伝子の中には不用なゲノムがあります。

それらはいずれ長い年月を掛けて省かれるのですが、

それをゲノム編集によって素早く省くのが遺伝子操作。

遺伝子組み換えは突然変異を意味します。

大脳思考だけでは悪用されますから、

ミーム(遺伝子)を活用しなければ危険です。

目指すゴールは、みんな仏陀(眼が開く者)化が望ましいです。


(酒好き)

米国によるINF離脱表明です。

新しく結ぶことに賛成。

そうですよね。その時期かもしれません。

出来る事なら、女性に核保有の管理を願いたいものです。

そのきっかけになれば幸いです。

「核ミサイルをどうしたいのか」

世界中の人たちに教えてください。聞く権利があると思います。


(ミーム)

宝くじは未来志向?

私は宝くじ買わない派ですが、

宝くじはもしや、希望?

泣いても笑っても当選発表後は大笑いすればいい。

ささやかな希望と未来志向なら3千円は高いか安いかどっちかな?

宝くじでセロトニン・ドーパミン・オキシトシンが分泌されるのであれば

メソポタミア文明から続く、禁じられない遊びなのかもしれません。

たまには買おうかな。

一等の当たりが世界平和で、外れ券は福祉に使われて、

ふるさと納税と同じく節税になるなら最高です。


(酒好き)

中間管理職の重要性。

超一流が二流に説明しても理解されないが、

一流が二流たちに話せば理解される。

中間管理職とは、超一流を理解し二流も理解できる、

とても頼もしい存在だ。

中間管理職がいなければ、超一流は馬鹿と同じ扱いだ。

その重要なポジションが奪われているのに問題がある。

これが格差社会の縮図である。

ヒエラルキーにはパートナーシップが、

中間管理職の重要性がカギとなる。


本日のニュース解決はこれにて。

バーイ・ホォナー。


    つづく。

味覚は本当に正しいの?

2019-02-02 | グルメ
 2月2日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


なるほど。

先生がお話しする通り、

確かに私たちの味覚は、

安全でかつ、求めるものが美味しく感じるものだと思います。

どんなに体に善くても食べたくないものは体が必要としていないわけです。

だから、好き嫌いはあって然るべきだと言われる。

そうですよね。よく分かりました。

そこで一度、

私自身の味覚を探ってみたいと思います。

子供の頃はピーマンが苦手でしたが、今は焼いたピーマンが一番好き。

昔は「もずく酢」なんで誰が食べるのかと思っていたが、酢の物が旨い。

五年前までは「こってり派」だった私も今では「あっさり派」だ。

「吉牛」も汁だくから汁なしに変わった。

そうか! 自分の味覚はどれも正しいのか。

だから、食べたいものを食べればいいのか。

納得いたしました。これからはそうします。

さすが先生。ためになるお話、いつもありがとうございました。


次は、私の意見を聞いてください。

人間の味覚はたいして当てにならないと思います。

なぜなら、食事は工夫だと考えるからです。

一日断食をすれば好き嫌いを言わなくなるからです。

梅干が好きではなかった頃は、味噌汁に入れ、

カレーライスに納豆を混ぜてから食べられるようになり、

大人になった今でも牛乳が飲めませんが、

ホットミルクだけはメチャ旨い。(洗うのが大変)

嫌いな食べ物でも工夫次第で好きになるから不思議です。

また、環境が変われば味覚も変わります。

田舎で食べた味と、都会とでは違いますし、

愛する人の手料理は何を食べても感激です。

仮に、世界ごった煮料理大賞を開催するなら、どうなるでしょうか?

きっと、大盛り上がりすること間違いありません。

それともう一つ。

疲れていたり、風邪気味だったり、パニックだったりすると、

味覚が全部、メロン味に感じたりします。

だから、怒っている時にはメロン味が万能です。


そうは言っても、グルメには反対です。

贅沢はやがて当然となり、新たな味覚を追求し始めます。

あいにくグルメの視点では、幸福の物差しとしては不完全です。

「もったいない」 と 「損切り」 です。「反省」 です。

食事の醍醐味は、

頑張ったご褒美とちょっとした工夫の中に味覚の本質があるのではないかと考えるのです。

日本人は、春夏秋冬を食し、その土地のものに感謝し、工夫と愛情をスパイスする。

幸せと味覚の追求には、その人の幸福度を表す人生観が隠されているかもしれません。

「なにが好きですか?」 この一言で問われる幸福感です。

味覚が疑わしいのは、生活が乱れているからかもしれません。

先生が以前言っていました、「時々、まずい物を食べる」 リセットは賛成です。

味覚は幸せ、幸せは味覚、味覚を楽しむ・・・これでいかがでしょうか。

でも、本当に食べたいものを無意識で安全に選択する私たちの味覚は大したものです。

味覚をもっと信用したいと思います。

先生。ありがとうございました。


   つづく。


子供国会と日本の未来。

2019-02-01 | 社会問題
 2月1日 金曜日

 おはようございます。 酒好き思想家とミーム(遺伝子)です。


戦略的忍耐から戦略的無視へ。次は、戦略的逃避だろうか。

なぜ、日本政府が子供国会なのか。

隣国から見れば一目瞭然だが、

明治開化からの受け継ぎにすぎないからである。

親子三代に渡っての政治劇場、スッタモンダのパフォーマンスだ。

見飽きたエンターテイメントに、国民の多くは政治不信を抱いている。

国内の政治問題の核心を突けば、

その子供議員が先代である父親を超えられないところにある。

子供議員がいつまでも親の背中を見続けているから子供国会なのである。

いつまでも国民の代表が親を超えられないのだから、

国民もまた戦後教育から抜け出せない訳である。


それでいて社会の反応はというと、

伝統、文化、音楽、スポーツ、食、企業、技術、信用など

どの分野も世界に引けを取らずに活躍する。現場主義だ。

優秀な国民在っての子供国会と言えるのである。

唯一国内業界で一番遅れている団体こそ政治であり政府である。

ダントツのドベが国会だ。

日本の足を引っ張っているのは他ならぬ政治団体だと断言できる。

「国内干渉はよせ!」 守られた団体だ。

このままの状態を、第100代内閣総理大臣にまで引き継げば

偉大な業績を遺した先人たちにあの世で会わせる顔がないだろう。

二千年間続いた大和の民に終止符が打たれるのは人類にとっても悲劇だ。

「国難を国難と覚らず、漫然太平楽を謳う政府の精神的衰弱。」

「現実を直視する勇気なきが故に、国家と国民を破滅の底に陥れる。」

先人たちが遺した言葉だ。

日本の貴重な世界遺産を失うことは耐え難いが、

そんな政治家たちを先生と崇める国民もどうかしている。


そうは言ってもすでに現代は日本滅亡末期だ。

今さら岩盤規制を外しても絶滅を早めるだけである。

ジタバタしてももう遅い。

2020年の東京オリンピックをピークに、

一風変わった日本人を見られるのはこれで最後だ。

日本人は絶滅危惧種なのである。

ラストジャパニーズ。これがラストショウとなる。


そこで、一つ提案があるのです。日本の未来予想図です。

すでに日本人の絶滅は確定しているように、

大量移民と在日たちも

日本人がいなくなった後の日本をどうするのかは分からないから、

これを機に、人類の大問題を解決したいと思います。

この地に暮らす民の絶滅後、ユダヤ国家とする。

日本人はユダヤ人を認めます。

代わりに、宗教対立を止めてもらう。

日本人にしか出来ないことです。その資格が有るのです。

なぜなら、

日本人の絶滅後、ユダヤ国家に置き換えても悔いた気がしないのです。

おそらく、キリスト教やイスラム教では考えられないはずです。

唯一の心残りは、忘れ去られる民族です。

どうか、世界中のみなさん。

おかしな民族が極東に存在したことだけは忘れないでください。

日本人の魂は、世界中の人々と共に生き続けます。

なにも悲しむ必要はありません。

神から与えられた命を神にお返しするだけですから。

人類に貢献することが最後の聖戦、神風の遺志でもあるのですから。

そう考えると、子供国家。

これもまた必然であり天命なのかもしれません。



     つづく。