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愛を科学してみます。

2019-02-11 | 
2月11日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


愛によって与えられる幸福感と、

愛によって得られる社会現象には、

科学や宗教、経済や歴史にも大きく関係するように、

愛は私たちにとって、知的財産であり、選ばれた者であり、

愛について知ることには、主体を科学するものでもある。

愛が科学によって発展し、主体には愛が重要なのだと断言するとしても、

愛自体が宗教的な個人の観念を任せる訳にはいかない。

愛は主体というものを、最初は奇妙にしか思えず、

また不安定な方法でしか知ることが出来ないにしても、

愛はその中に自分を取り戻し見失うという作用があるのも事実だ。

概念的な原則から出発するなら、

何も宗教が問う神的な経験に向かうものとは違うやり方で、

愛の経過に直面してみたいと思っている。

しかしそこには目には見えない霊的存在が呼びかける、

福音のような 「一人一宗」 が備わっている。ミーム(遺伝子)である。

愛について語る時は、人間だけが共通して持っている内的経験について語るものであり、

この体験は、宗教が得意とする分野とは似てはいるが若干違ったものである。

愛は始まりのところで、このような愛の体験について、

他の人なら与えたがらないようなことを認めよ、と言うのではない。

愛は大胆かもしれないが革命的ではない。危険なのは愛の欠如、無知にある。

愛は深い文化伝統、いくつかの目覚め、忘れ去られたあの日のエロスに戻ることではない。

それに愛はこれらのエロスの価値を否定する訳でもない。ウィン・チューである。

体内微生物にとっての愛には、性欲の欲望を満たすところの運動であり、

生物科学は仮に一時期であるとしても、微生物が騒ぎ出して

人間愛をとことんまで不具にしてしまうこともしばし見受けられるが、

それでも「ことが終了」すれば、人間愛から分離されえないものである。

けれども、愛と言うものはまた、性欲・感情・隣人愛の部分的であるとしても、

愛を不具合にしてしまうものそれは愛の概念の不足によるところが多く、

人間愛は一般的にいって、それが動物的体験、感情的体験、宗教的体験というものでも、

概念その根底を知らない限りにおいて、愛を不具合にさせてしまう愛の無知である。

それはちょうど異常な性欲が二人を部分的に否認し、その不規則な快楽を見誤って、

愛を不具合にしてしまうのと同じ働きを持つ。

ところで遠慮することなくはっきり言ってしまうが、

この愛の中では、お互いを簡単に区別することが出来なくなってしまう。

解発するにあたって、男女は一種の病気状態である。

なぜなら、体内微生物に冒されているからである。

愛は愛の形がどの点において様々に対応しているのかを理解しなければ盲目である。

一度、騒ぎ出した体内微生物が落ち着くまでの間には、何度かの接触が必要となる。

その後、正気を取り戻した二人の愛には今度は別の異性を好むという生物学である。

従って、異性の浮気は大した問題ではなく、裏切り行為には当たらない。

浮気したのは、本人ではないのだ。体内細菌が原因である。誰も悪くない。

問題なのは、性欲愛が感情愛と重なれば情念にして般若化することだが、

一般的には、男性に性欲愛が強い傾向があり、女性に感情愛が強い傾向が見られる。

反論もあろうが、結論を言おう。

人間愛とは、性欲愛・感情愛・隣人愛のバランスが重要なのである。

愛が判らなければその人物に愛があるとは認められないし

愛のある人とは呼ばれないことになるのです。

「愛とは何ですか?」 答えなければアウトだ!


    つづく。