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お釈迦様が遺したもの。

2019-02-24 | 文学
 2月24日 日曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


イギリス人だったと思うが、大変優れた学生が、

人生における善と悪とを計算し両方の統計を比較して、

悪き事柄が善き事柄を上回るという論文を発表した。

どうやら結局のところ

社会はそれほど善い環境ではなさようである・・・。


突き詰めると、社会の過半数は悪と言っても間違いなさそうだ。

それもそのはず、お釈迦様の悟りは真理であり永遠だ。

いつまでも続く苦しみを経験すれば、その証明は不要である。

社会に生きる私たちは、互いに利害関係が強まるにつれ、

競い合い憎しみあうようになるのである。

表面的には性善説を振舞っているように見えても、裏では互いに嫉妬し合い

無意識的にも悪を為し合っていることは否定できない事実なのだ。

ビジネスの場でも同様に、個人の利益がMBAの教える掟に従うと、

公共の利益と集団の利益が正反対の格差となって表れる。

世界経済によれば、そこでは豊かさとは他人の不幸のうちに利益を見出す。

実際、隣国での災難を喜ばない民族が存在しうるだろうか。

知らず知らずに同胞の損害を自らの利益に置き換えているのである。

私たちが他人の足を引っ張ることが大好きな理由だ。

恐るべしところは、世界経済が集団破壊を希望していることである。

ウイルスの流行にせよ、隣国の不正にせよ、自然災害にせよ、

拝金主義者の名言、「血が流れたら買いだ!」 である。

また私たちが互いに傷つけ合わなければならないのはなぜなのか?

誰もが他人の敵となることが義務になり、騙し合うことが利益であるのはなぜか?

正当な手段で手に入れた利益よりも、不正な手段で手に入れた利益が大きいのはなぜだ?

全てこれらは決して現代に始まったものではないのである。

さらに奇妙なことに、欲望が自然的なものに比べて

切羽詰まった状態が収まるにつれ、情欲の強度がさらに高まり、

悪いことに、言い訳を駆使して欲望を満足させるために見境なくなるのである。

豊かな暮らしをした後、多くの財産を蓄え、悲観に暮らす人々を我がものとする。

幸福な人生を描き出すとするなら、少なくとも

全てのお金持ちの中に潜む秘密の野望を要約すればこんな感じになるだろう。

反して、お釈迦様が望む世界は、人間は調和を欲するという。

しかし、自然法則は人間に不和を与えることを選んでいる。

人は奇しくも楽しく暮らすことを希望するが、

社会は労働という義務からは逃れる手段を見出せない。

いたるところで見受けられるのは抵抗の源泉である。

ここから多くの悪が生み出されている現実でもある。

これは最も困難であることの一つだ。

人類が今世紀中にも解決すべき大問題である。

思い浮かべるだけでもこの問題の困難さが窺える。

私たちはやがて生活の苦労から楽園を思い描くことになるのだが、

このような夢想した安らぎの生活と現実の生との間には、

再び自然法則が介入し出して、最も嫌う労苦へと駆り立て、

人々を困惑さしめて軽はずみな行動を追い求めさせてゆく。

いつしか私たちは善悪を忘却し傍観するに至ったのである。


     つづく。