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第323回 京都が空襲されなかったホントの理由

2019-06-14 | エッセイ

 先の戦争では、日本各地への空襲で数多くの非戦闘員の命が奪われました。極めつけが、広島、長崎への原爆投下という大量虐殺です。

 が、なぜ京都が空襲されなかったかについて、まことしやかに伝えられていたのが、歴史的遺産、文化財を守るためのアメリカの「配慮」だというものでした。小さい頃、母親からよく聞かされたのは、「あれはな、自分らが日本を占領した時の「観光用」に残しといただけや」というもの。当時は、ふ~ん、そんなもんかなと思ってましたが・・・

 「日本の古都はなぜ空襲を免れたか」(吉田守男 朝日文庫)を読むと、そんなアメリカの配慮は、虚構であり、それどころか京都に原爆が投下される寸前であったことが、歴史的事実として浮かび上がってきます。歴史学者である著者の緻密な考証、検証の跡をたどりつつ、ご紹介します。こちらの本です。

 まず、戦後、アメリカの配慮という虚構が作られたプロセスです。

 戦争中、そして戦後も、なぜ京都が空襲を受けないかを不思議に思う日本人が多かったようです。そんな中、日本の知識人の間で噂になっていたのが、ハーバード大で日本美術を教えているウォーナー博士が政府に働きかけたから、というものでした。そして、この「噂」にお墨付きを与えたのが、GHQの民間情報局のヘンダーソン中佐です。彼は、ウォーナー博士の教え子で、日本文化の研究者でもあったので、これを美談に仕立てることを思いつきます。原爆投下でくすぶっている反米感情を少しでも和らげる格好のネタですから。

 1945年11月11日、(天下の)朝日新聞に「京都・奈良無傷の裏 作戦、国境も越えて人類の宝を守る。米軍の陰に日本美術通」が出て、「ウォーナー伝説」が確立しました。「大本営」に続き、「GHQ」のお先棒も担いだことになります。

 博士が政府の委員会の一員として、日本の文化財のリスト作成に関わったのは事実ですが、政府への働きかけは、一貫して否定しています。日本人は「東洋的な謙遜」と捉えているようですが、本人は最後まで否定しています。原爆投下そのものの阻止を働きかけたのならともかく、京都だけを救ったとしても、名誉でもなんでもありませんからね。「伝説」はあくまで「伝説」で、根拠がない、というのが著者の主張で、十分に説得力があります。

 なにより、京都が原爆投下の候補地であったという事実の前に、こんな「伝説」や「美談」は吹っ飛んでしまいます。

 1945年5月、マンハッタン計画に携わった科学者と軍人による秘密会議が開かれ、京都、広島、横浜、小倉、新潟が、原爆投下予定都市に選ばれます。

 特に京都は、人口100万を抱える大都市である上に、かつての首都であり、心理的効果が大きいことなどから、陸軍の最重要補給基地である広島と並んで、最有力候補地とされました。

 同年6月、米統合参謀長会議は「別命あるまでいかなる部隊も京都・小倉・広島・新潟を爆撃してはならない」という命令を出します。
 原爆の破壊力を検証するためには、「まっさらの状態」にしておいて、投下後の状況とを比較する必要があります。整然とした京都の町並みは、まさにうってつけというわけです。歴史的遺産、文化財云々とかは、全くもって考慮の外、原爆ありきだったということが分かります。

 一旦決まった候補地ですが、7月25日の原爆投下命令まで、京都の除外を主張するスチムソン陸軍長官(文民)と、既定方針にこだわる目標選定委員会(軍人)との間で、激論が続きます。

 スチムソンがトルーマン大統領と交わした私信では「そこ(京都)は日本の旧都であり、日本の芸術と文化の聖地であった。われわれはこの町を救うべきことを決めた」と、美談風に書いています。一方、彼の日記には本当の理由が書かれています。

 「もし、京都が除外されなければ、かかる無茶な行為によって生ずるであろう残酷な事態のために、その地域において日本人を我々と和解させることが戦後長期間不可能となり、むしろロシア人に接近させることになるだろう」
 戦争終結後の東西冷戦も視野に入れた「文民」らしい冷徹な判断が読み取れます。

 すったもんだの挙げ句、結局、最初の投下地は広島(8月6日)に変更され、長崎を追加(8月9日)します。(当初は、小倉が第2順位だったが、当日の視界が悪く、代替の長崎になった、という説もあります(芦坊注))

 とはいえ京都が消えたわけではなく、第三の投下地(8月17日)に延期、という形で「妥協」が成立していました。
 8月17日・・・・・そうです。8月15日にポツダム宣言を受諾しましたから、「ぎりぎり」投下を免れたのです。

 広島、長崎という尊い犠牲を払って、第三の惨禍が、回避されたとも言えますが、私たちの心に残るのは、救いようのない憤りと無力感だけです。。
 負け方も考えずに無謀な戦争に突き進んだ日本という国の馬鹿さ加減をつくづく思い知らされます。そして、冷静、冷徹、冷酷に戦ったものが最後は勝つという冷厳な真実も・・・

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

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