★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第150回 書くことについて

2016-01-29 | エッセイ

 おかげさまで、この「書きたい放題」も、節目の150回を迎えました。3年間、書き継いできたことになります。ネット上のスペースを提供いただき、毎週アップの労をとっていただいているマスターと、ご愛読いただいている皆様に心からお礼を申し上げます。

 ともすれば、単調になりがちなリタイヤ生活のなかで、テーマを考え、文章に起こす作業は普段使わない脳の部分を使うような感じで、いい刺激になります。「大阪弁講座」、「英語弁講座」など、少しハメを外せる企画もので遊ぶ余裕も出て来たかな、と思う一方、文章、文体は、まだまだ試行錯誤中といったところでしょうか。

 村上春樹が、近刊「職業としての小説家」の中に、こんなエピソードを書いていました。こちらの本です。



 彼が「風の音を聴け」で、デビューしたての頃の話。当時、都内で、ジャズ喫茶をやっていた村上の店へ、高校時代の同級生がやってきて、「あれくらいのものでよければ、おれだって書ける」と言って帰って行った。「ちょっとむっとはしたけれど」に続けて、「でもその同級生がそのあと自分の小説を書いたという話は耳にしていません」と書いているから、かなり悔しい思いをしたのだろう。

 創作とはほど遠く、書いてるもののレベルは大違いだけれど、書くことで多少の苦労はしている私としては、村上のその時の気持ちは理解できる。
 
 かの同級生のように「書く」行為を安易に考え、他人を非難するのは論外と思う一方で、モノによっては、「書く」という行為を、もう少し気軽に考えてもいいのに、思うことがある。
 この「書きたい放題」にしても、結局のところ。まあ、自分が見聞き(といっても本からの情報が多いのですが)したもので、興味を持ってもらえそうなネタに、多少は自分の経験も付け足して、「報告」するという形に落ち着いています。おまけに、プロじゃないんだし、と割り切ってから、随分、気が楽になりました。

 そういえば、こんなことがありました。
 3年ほど前から参加している会があって、精勤ぶりが認められたのでしょうか、10数名いる事務局の一員として、運営の一端に携わることになりました。その時、入会を世話してくれた先輩(年齢は同じなのに、学年が1コ上というだけで、時々威張る)から、いつになく、やさしく、お願い調で、こんなことを言われた。

 「年に1回、会報を出してて、年に4~5回ある例会の様子とかを載せるんだけど、みんな書くのを嫌がって、困ってるのよ。書き手に加わってもらえないかな?「書きたい放題」を書いてるくらいだから大丈夫だよね?」
 「報告書みたいなもんでしょ。いいですよ」と引き受けました。

 事務局の一員として二回目の会合で、書き手のことが話題になった。聞いてみると、ほぼ2名に固定で、いずれも元新聞記者というから、その道のプロである。腕によりをかけて、毎回2000字くらいの原稿を出していたらしい。こちらは素人。そんなボリュームある仕事を、私だけに押し付けられては堪らないので、こんな提案をしてみた。

 「引き受けるのは構いません。ただ、2000文字程度というのが慣例になっているようですが、ちょっとシンドイと思います。大きなイベントは別にして、通常の例会の報告は、1000文字程度でいいことにすれば、ハードルが下がって、書き手ももう少し増やせると思うのですが、、、、、」

 幸い長老格の書き手からの賛意もあって、その場で、私を含めた3人が新たに書き手として加わり、持ち回りで執筆することになった。「書く」プロでなくても、話のもっていきようで、書きたい人はいるもんだな、というのがその時の感想。会社勤めをしていれば、報告書、提案書、企画書の類いは、作ってきてるはずですから、、、、、

 会報なので、目を通す人も多いし、なにより正確さが求められる仕事ですが、自分なりのカラーも出して、この「書きたい放題」とは別口として、楽しんでみようと思います。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

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