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第325回 紳士の国の事件報道

2019-06-28 | エッセイ

 相も変わらず凶暴な事件、とんでもない事件が発生し、そのたびに「おっ、おいしいコンテンツ!」とばかりに、取材と報道が過熱します。とはいえ、取材を受けた関係者が実名で登場することはまれですし、映像もモザイクがかかったり、首から下だけ、というのが多いです。

 人権、プラバシー、本人の意向なども尊重すれば当然の配慮でしょう。ただし、情報源としての信憑性のチェックが出来ない、警察頼みの取材になって、公正、適正な捜査が行われているかのチェック機能が働かない(今でもその傾向はありますが)などのマイナス面もあります。

 さて、紳士の国と言われるイギリスですが、マスコミによる事件の取材、報道は「過激」です。猛烈な取材の結果だとは思うのですが、事件に直接かかわる人だけでなく、周辺の人たちが、堂々と「実名で」登場することが多いのに驚きます。新聞の場合だと、高級紙、大衆紙を問わず、競うようにして、時に10ページを超えるような大特集を、連日のように組む、というのも珍しくありません。

 英国で起こったある重大事件の新聞報道ぶりを通して、新聞記者たちの使命感や悩み、捜査当局との関係などを、幅広くかつ丹念に取材したのが、「英国式事件報道」(澤康臣(さわ・やすおみ) 文藝春秋)です。まずは、事件の経過を追いながら、その報道ぶりを、「実名報道」を主な切り口としてご紹介します(引用は、同書から)。その表紙です。


 事件の舞台は、英国東部のイプスウィッチという街。2006年12月のことです。25歳の売春婦ジェマ・アダムズの全裸死体が小川で捨てられているのが発券され、まもなく、19歳のやはり売春婦のタニア・ニコルの全裸死体が発見されました。

 被害者二人の写真と詳しいプロフィールが各紙に載ります。ジェマについては、両親が取材に応じて、「父ブライアンさんは、「彼女は性格がよく。明るく賢かった。何か頼めば上手にこなした。家では何のいさかいもなかった」と語った」とあります。
 また、タニアについては、ホーリーと名乗る元同級生が、彼女が売春婦として働いているのに驚いた、とのコメントを載せています。

 報道が過熱しだしたのは、3人目の被害者が出て、さらに二人が行方不明なのが明らかになってからです。結局、売春婦五人連続殺人事件という大事件に発展します。

 被害者のひとりアネットの従姉が実名で取材に応じ、既に二人が行方不明になっているのに、売春を続けるのは異常だからやめるよう街角で客引きをしている彼女を説得したと語っています。その3週間後にアネットは遺体で発見されるのですが、「家にひきずって帰ればよかった」と悔やむ従姉。

 別の被害者ポール・クレネルの父親ブライアンの悲痛な叫びも伝えています。
「このケダモノは逮捕されなければならない。一体どんな人物だ。この者は普通にその辺を歩いているに違いない。だが、彼は人間ではない。犯人を知っている人がいるはずだ。私はイプスウィッチに行き、その男を探し出す。次の殺人が起こる前に、何かしなければ」

 ジャッキーと名乗る元売春婦の生々しいロングインタービューが掲載されたりと、報道がエスカレートする中、容疑者のひとりとみなされていたトム・スティーブンスという男が、大衆紙サンデーミラー紙の独占取材に応じました。
 「私は無実だ」と言いつつ、5人の被害者全員と友だちであるがアリバイがないこと、これまで警察の事情聴取を4回受けていることなどを明かします。

 そのインタビューが掲載された翌日、スティーブンスは逮捕されます。各紙色めき立って、大報道合戦が繰り広げられるのですが、彼は真犯人ではありませんでした。その翌朝、別の容疑者が逮捕されます。フォークリフト運転手のスティーブ・ライト48歳です。

 結局、スティーブンスは釈放され、スティーブが起訴されました(日本でなら、誤認逮捕で大問題となるところですが、あくまで「容疑者」の逮捕ということで、英国では、ままあるようです)。

 そして、一時的に、スティーブをめぐる報道で過熱した報道も、舞台が公判へと移るにつれて沈静化していった、というのが、事件とその報道の主な経過です。

 事件の関係者(特に被害者側)とすれば、「そっとしておいて欲しい」「マスコミに登場するのは勘弁して欲しい」というのは人間としてごく自然な気持ちです。イギリスでも、皆んなが皆んな自主的にマスコミに登場している、というわけではないようです。

 それでも、被害者の人間としての尊厳を守る、犯人逮捕につながる可能性がある、など動機とか判断の根拠は区々でしょうが、発言すべきと考えれば、「実名」も厭わず、きちんと対応していく人がいるーー個人としての主体性の持ち方の違いが、あらためて印象に残りました。もちろん、「事件報道」に取り組むマスコミの「過激な」姿勢、国情の違いも。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

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