つい先日、モナ・リザの「複製画」が、3億8千万円(邦貨換算)で落札されたとのニュースを、ネットの記事で目にしました。こちらがその「落札品」です。ホンモノよりなんだか色白ですね。
17世紀の「作品」とのことですが、さすが名作ともなると、複製画でもこの値段。スケールが違います。
エラソーなタイトルで、今更「モナ・リザ」の謎解き?とのツッコミが入りそう。でも、なかなか説得力のある説に出会いましたので、ご紹介したくなりました。是非最後までお付き合いください。
出会ったのは作家・清水義範のエッセイ「モナ・リザの微笑み」(「雑学のすすめ」(講談社文庫)所収)です。この作品のモデルとなった女性を巡って、なかなか魅力的で、説得力に富む説が紹介されています。それは最後のお楽しみとして、全面的に同書に依り、この作品をめぐる謎をざっとおさらいすることとします。
レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年、彼が死ぬまで保護したフランスのフランソワ1世のもとに、3つの作品が残されました。レオナルドが死ぬまで手放さなかった作品で、その内の1点が「モナ・リザ」です。パリのルーブル美術館が所蔵し、公開されています。
依頼された肖像画であれば、依頼主とか関係者の手に渡っているはずですが、死ぬまで手放さなかった理由、こだわりとは何だったのでしょう。これがまずは謎です。
モデルの女性が誰かというのも大きな謎です。実は、レオナルドの晩年に、その3点を見せられたある秘書官が記録を残しています。
「3枚の絵は、「聖アンナ聖母子」と「洗礼者ヨハネ」と<故ジュリアーノ・デ・メディチ(ヌムール公)の依頼になる、実物から描かれた、さるフィレンツェ貴婦人の肖像>だった」(同書から)
レオナルドが語ったのをそのまま記録したと思われます。でも、これだけでは名前とかまでは分かりません。それが「モナ・リザ」となった経緯ですが・・・・
レオナルドをよく知る博識な古物研究家であるダル・ポッツォがこの婦人は、フランチェスコ・デル・ジョコンドの夫人であると証言しているからなんですね。夫人の名はリザでしたから「ラ・ジョコンダ」(ジョコンダ夫人)とか「モンナ・リザ」(リザ夫人。英語読みでモナ・リザ)と呼ばれるようになりました。現在ではこれがほぼ定説で、このタイトルで公開されています。
とはいえ、モデルをめぐって、いろんな説があるのも事実で、あれはレオナルドの自画像だ、という説があります。60歳の時の彼の素描スケッチを左右反転させ、「モナ・リザ」と重ねあわせると、目鼻口の位置がぴったり合うというのです。
そして、謎の微笑です。モデルとなる女性がいたとして、当時のことですから、高貴さ、威厳を備えた表情で描いてもらうはず。微笑んだ表情というのは、どうも似つかわしくありません。
お待たせしました。これらの謎をスラスラと解く魅力的な説とは、レオナルドの「母親」がモデルだというものです。
NHKの「迷宮美術館」(放映日時の記述はありません)で、こんなナレーションが流れました。
「レオナルドの日記の1493年の7月の記述に「カテリーナ来る」とある。カテリーナとは、レオナルドが幼い時に父親の元に引き取られたため、生き別れた母であった。彼女とそういう再会をしたのだ。しかしカテリーナはその後、病気にかかり、ほどなくして亡くなった。レオナルドが「モナ・リザ」を描く10年前のことであった」(同書から)
番組では、ほのめかされた程度です。番組の解説をしていた美術史家・西岡文彦氏の説ではないかと清水は推測しています。ただ、あまりにも大胆な説なので、自説としての紹介はさけ、ナレーションでほのめかした、というのが実情ではないでしょうか。
死ぬまで持ち続けた理由は、それが、生き別れた母親の肖像画であれば、ずっと手元に置いておきたいはずで、腑に落ちます。
そして、微笑みには、温かい慈愛に溢れたまなざしで見つめていて欲しいとの思慕の情を託していると考えるのもごく自然なことではないでしょうか。
さらに、顔のパーツの配置がレオナルド自身と同じというのも、肉親である母親を描くのに自分の顔を手本にしたと考えれば納得がいきます。
著者の清水も大いに興味を引かれたと書いています。日記以上の根拠はないのですが、この作品をめぐる謎がこれだけスラスラ解けるわけですから、限りなく真実に近いのではないか、と私も考えています。
皆さんはいかがお感じになりましたか?それでは次回をお楽しみに。