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第420回 パンチがポンチになるまで

2021-05-07 | エッセイ

 いきなりですが、だいぶ前に骨董市で手に入れたものです。

 高さは12センチほどの真鍮製で、地球が刻まれた球の上に道化師らしき人物の頭部が乗っています。
 ただの置物のように見えますが、球の底部にオモリが入っていて、起き上がり小法師(こぼし)になっています。球の上部に、
 ”ALWAYS ON TOP "(常にトップ(てっぺん)に)と刻んであって、なるほどと思わせます。

 この人物の名は" Punch (パンチ)"で、イギリスでは大人も子供もよく知っている人形劇のキャラクターだ、というのを後ほど知りました。(かつて)世界に君臨したイギリスらしいユーモアとシャレ心に感心し、大切にしています。

 最近、「雑学のすすめ」(清水義範 講談社文庫)を読んで、この人形劇のことや、Punchという言葉が広く使われるようになった歴史を知って、興味を引かれました。私なりに調べたことも加味してご紹介します。

 その人形劇ですが、家の中のように作られたワクのある舞台(縦50センチ、横80センチほど)で演じられます。ストーリーはひとつだけ。亭主であるPunchと、その妻Judy(ジュディ)の凄まじい夫婦喧嘩がテーマです。
 パンチがジュディに文句を言うと、気の強いジュディは棍棒を持ち出す。パンチも棍棒で応戦し、ジュディを殴り倒す。取っ組み合ったり、殴り合ったりする。止めに入った警官までが殴り倒される騒ぎで、果ては死神までが殴る倒される始末。
 イギリス人が好きそうなブラックユーモア劇で、今でも街頭で演じられているとのことです。

 さて、1841年にイギリスで、"PUNCH"という週刊風刺漫画雑誌が創刊され、そのイメージキャラクターに先ほどのPunch君を採用しました。広く知られている上に、その特異なキャラ、そしてPunchという名が、風刺で世の中にPunch(=一撃)を、という雑誌のコンセプトにぴったりだったから、と推測しています。1992年に部数減で廃刊になるまで、約150年という長命の雑誌でした。1953年11月25日号の表紙です。ちゃんと左側にPunch君を配しています。

 とまあ、これだけなら、イギリス限りの話題ですが、幕末の日本でもその派生雑誌が発行されていたというのを知ってちょっと驚きました。1862年といいますから、横浜は開港した(させられた)維新直前の時期です。横浜居留地で,"THE JAPAN PUNCH"という風刺漫画雑誌が、在留外国人向けに創刊されました(1887年に廃刊となっています)。

 本家の雑誌とは直接関係ないようですが、PUNCHが風刺雑誌の代名詞として定着していたことを窺わせます。Punch君をキャラとしているのですが、ご覧のように、チョンマゲを乗せて、日本人化しているのが笑えます。

 掲載されていた漫画の画像を探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。代わりに、同じ時期に発行されていた"TOBAE(トバエ)"という風刺雑誌から、こんな画像が見つかりました。

 朝鮮を狙う日本と中国(清)、虎視眈々と横取りを企てるロシアという、当時の国際情勢の風刺漫画です。中学か高校の歴史教科書で見た記憶があり、懐かしくなりました。

 漫画ですから当時の日本人にも面白がる人たちがいたようです。「Punchの絵」が日本的に訛って「ポンチ絵」として広く一枚ものの漫画を意味するようになりました。
 そういえば、サラリーマン時代、何かというと「文章はええから、ポンチ絵を描いて説明してくれ」と、(まさか漫画ではなく)分かりやすい絵解き、フロー図のようなものをよく求める上司がいました。イギリス発祥で、幕末まで遡る歴史のある言葉だったんですね。

 ところで「いかれぽんち」という言葉があります。アタマの働きがいささか悪い人物を指します。大阪あたりの商家では、男の子のことを多少の敬意を込めて「ぼんち」と呼んでいました。「ぼっちゃん」が転訛したもので、今回のパンチー>ポンチとは関連がない、というのが清水の説明でした。
 そこまで繋がれば面白かったんですけど、ちょっと残念です。と、最後はちょっぴり大阪弁講座を兼ねました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。