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第370回 ところ変れば

2020-05-15 | エッセイ

 腕を組むしぐさは、考えを巡らせたりする時には自然に出ます。相手がある場合だと、話を聞いてやるというちょっとエラソー感があったり、拒否ベースだったりと、あまり好感は持たれません。世界共通かと思ってましたけど、必ずしもそうじゃないんですね。

 ビートたけしが、文化人類学者の西江雅之氏(にしえ・まさゆき)との対談(「たけしの面白科学者図鑑 人間が一番の神秘だ!」(新潮文庫)所収)で、このしぐさをめぐって、こんなエピソードを披露しています。

 西アフリカのペナン出身で、たけし軍団に所属していたタレントにゾマホンという人がいました。こちらの方。

 仕事で失敗ばかりしているので、マネージャーが彼を呼びつけて叱っていると、ゾマホンは腕を組んで聞いている。「なにを威張ってるんだ」と余計叱られた、といいます。
 ペナンでは、私はあなたに絶対手を出さないし、話を聞いているという意味だった、というのがオチです。腕を組むというありふれた動作ひとつでも、誤解が生じることってあるんですね。

 さて、対談相手の西江先生は、世界中の言葉を研究テーマに取り組んでいる方です(2015年逝去)。仕事柄、現地の人以外は行かないような奥地までひょいひょいと出かけてますから、氏の口からは、珍しい文化、風習の話題がいっぱい出てきます。ところ変われば・・・にふさわしいエピソードをご紹介します。

 第2次世界大戦中に、イタリアの将校が連合軍に捕まって拷問を受けたのですが、何もしゃべらず、2~3日後に友軍に救出されました。「さすがイタリアが誇る将校だ。拷問に負けなかったのは立派だ」と賞賛すると「しゃべろうと思ったのだが、両手を縛られていたので、しゃべれなかった」との答えが返ってきて、一同、だぁ~。
 確かにイタリア人をはじめとするラテン系の人って、しゃべる時に手をよく動かす気がします。手が口ほどにものをいう彼らならいかにもありそうな笑い話だと、まずは頬が緩みました。


 こちらは実話。陸軍中野学校でスパイの教育を受けた軍人が、中国の田舎で捕まりました。いろいろ尋問しても、言葉使いから動作まで、すべてがその地方の人そのもの。やっぱり日本人じゃなくて、この土地の人だと認められて、解放されることになり、おしぼりが出ました。そこで日本人だとバレたというのです。

 なぜかというと、その地方では、おしぼりで顔をふく時、顔のほうを動かすのが習慣で、ついいつものクセで、手のほうを動かしてしまって、正体がバレたという次第。中野学校もそこまでは教えてなかったのでしょうけど、ある意味で、この学校の凄さを思い知らされるエピソードです。

 お次は、先生がアフリカのウガンダ奥地に住む部族の調査に赴いた時の経験談です。

 その地域は、1962年に独立したウガンダの国に編入されたのですが、そこの人たちは、ず~っと全裸での生活を続けていました。独立を機に近代国家にふさわしい身なりをさせるべく軍隊、警察がやっきになって、せめてパンツぐらいは穿くように指導します。でも、そんな恥ずかしいことはとてもできない、全裸で通すというのが彼らの言い分です。

 1965年に氏が調査した時にも状況は変らなかったといいます。ところが、60年代の終わり頃に再訪してみると、若い人の中には、衣服を身につけるものが出始めていました。
 ただし、ポロシャツとかワイシャツとか上半身を覆うものだけです。下半身に布をつけるなどという恥ずかしいことはとてもできない、という思想が根強く、「下は何もはいてない(笑)。立派なイチモツを左右に振り分けながら、大草原を闊歩しています。」(同書から)

 ところ変れば、恥の感覚も変るものだなぁ、今でもそうなんだろうか、などと、遠くアフリカの草原に思いを馳せました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。