「怖い絵」の「続」編ですので、タイトルに「ゾクッ」と付けて、シャレてみました(文末に、前回記事へのリンクを貼っています)。 独文学者で西洋絵画に造詣の深い中野京子さんの、今回は「新 怖い絵」(角川文庫)をネタ元に、3点の「怖い絵」をご紹介します。最後まで「こわごわ」お付き合いください。
★まずご紹介するのはこちら。ミレーの「落穂拾い」です。
よく知られた名作で、「えっ、どこが「怖い」の?」と言われそうです。著者による謎解きは後ほどのお楽しみにしまして、まずは、作品と向き合うことにしましょう。
舞台はパリから南へおよそ50キロのバルビゾン村です。19世紀の半ば頃から画家が次々に集まってきて、一種の芸術村のような様相を呈していました。都会暮らしに疲れ、売れない画家であったミレーが妻子とともに、この村に移ってきたのはこの頃です。パリ画壇は、伝統的な新古典主義派と情熱的なロマン派の闘いで活気づいていました。一方、新興の市民階級の中では、もったいぶったそれらの絵より、写実的な絵が好まれました。とりわけ自然に恵まれた田舎生活、農村風景を描いた絵が人気を集めていました。農村出身でもあったミレーにとって、バルビゾンへの移住は自然な流れだったのかも知れません。
作品を見てみましょう。夕暮れのやさしい陽射しの中、後景には、麦わらが高く積み上げられ、おおおぜいの人たちが収穫の喜びに湧いています。
前景の3人の女性は、腰を折って黙々と落穂を拾っています。それにしても彼女たちの逞しいこと。決して暮らしは楽ではなく、落穂を拾うのは、地主の目を盗むか、黙認されているのでしょう。とても生計の足しになるとも思えません。著者によれば、「落穂拾い」については、旧約聖書の「レビ記」や「申命記」に記述がある、というのです。「曰く、「畑から穀物を刈り取るとき、刈り尽くしてはならないし、落穂を拾い集めてはならない。それらは貧しい者、孤児、寡婦のために残しておきなさい、と。」(同書から)
「喜捨の精神」「貧者の権利」などと呼ばれる教義です。ミレーは敬虔なクリスチャンでしたから「説得力ある描写に信仰がミックスすることで彼の絵は普遍性を獲得した。」(同)とあって、ただの素朴な農村風景画でないことが理解できました。
さて、著者によれば、ミレーと同時代の人の中には、この絵を本気で「怖い」と感じ、忌み嫌う人々がいたというのです。この作品が発表される9年前の1894年にマルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」が世に出て、プロレタリアート(無産階級)の団結を呼びかけました。
上流階級の中には、「宣言」の影響を受けた人々が「身分」の境界を越え、自分たちの神聖な領域に割り込んでくるのでは、と本気で心配する人たちもいました。そんな人たちは、文学であれ、美術であれ、そんな気配を感じると、それらの作品を叩き潰そうとした、といいます。そんな意図は毛頭なく、信仰心に裏打ちされて描いたミレーにとっては迷惑な話です。それだけインパクトのある絵だったから、ともいえるわけで、有名税かなと感じつつ、同情を禁じえません。
★お次は見るからに「怖い」こちらの絵です。
ユダヤ系ルーマニア人のブローネル というモダン・アートの画家が、1932年、28歳の時に発表した自画像です。なぜか右目だけ、どろりと溶けて流れたかのように不気味に描かれています。もちろんこの時の彼は隻眼ではありませんでした。どうしてこんな縁起でもない絵を描いたのかは謎です。モダン・アートのひとつの手法と考えていたのかもしれません。
事件が起こったのは、7年後です。ブローネル は知人が殴り合いの喧嘩をする仲裁に入りました。割れたガラスが飛んできて左目に突き刺さり、眼球を摘出するはめになったのです。右目と左目の違いはありますが、自身の未来を予見したような絵です。夢で未来を予知する「予知夢」というのがあります。「予知絵」というのもあったんですね、確かに「怖い」です。
★最後の作品はこちらです。
19世紀、ヴィクトリア朝時代のイギリスの画家・マルティノーによる物語絵画です。豪華な館の主である画面右の男性はシャンパングラスを高く差し上げ、傍の息子ともどもハッピーそうです。でも中央の椅子に座る妻は、不安そうで浮かない表情を浮かべています。左端の祖母が涙を拭いながら執事となにやら相談をしています。そばの新聞には「貸間情報」が載っているのです。なんともちぐはぐな家族の様子の裏にあるのは、この立派で歴史の重みにあふれた家を、明日は出ていかなければならないという現実です。「懐かしい我が家での最後の日」という作品タイトルが、それをもの語ります。一体何があったのでしょう。著者によれば、絵の中にそのヒントが隠されているというのですが・・・・
左下隅に競走馬を描いた絵が、あえて横向きに置かれています。これがヒントだといわんばかりに。王室主催のレースもあるという競馬にのめりこんだ男性貴族が、全財産を蕩尽してしまった、というわけです。ヤケクソなのか、またゼロから出直せばいいや、と楽観的にふるまっているのか、この男のヘンな明るさが「怖い」絵画です。