山とランニングの日記(旧ブログ goo)

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歴史街道・丹後100kmウルトラマラソン 完走記

2009-09-22 12:00:30 | 出場マラソン大会

歴史街道・丹後100kmウルトラマラソン、初ウルトラの完走記をまとめてみました。

スタートは、まだ夜が明けていない4:30ですので、当然真っ暗。こんな未明から増田明美さんがゲストで登場。
100kmの出場者は、1089名(内;男子977名 女子112名)で、真っ暗な町の中でこの場所だけ、異様に賑やかです。ストレッチしたり、アップしている人はほとんどいなく、マラソンのスタート前のような緊張感はありません。10秒前から全員でカウントダウンして、和やかな雰囲気の中、スタートしました。


未明のスタート会場、風が強いのが気になります

スタートしてから空が明るくなってくるまで、足元が見えなくて結構怖い場所はありますが、ヘッドライトを着けていた人はわずかでした。しばらく平坦な道を走るとすぐに海岸線のアップダウンが始まりますが、真っ暗なので波の音は聞こえても日本海の景色は見えません。
でも、明るくなってくると、日本海側の独特の風景が見えてきます。やっぱりデジカメを携行すべきだったかと後悔しつつ、前半は海岸線のアップダウンで景色を楽しみながら走りました。写真で紹介できないのがとても残念です。

さて、本題のタイムです。10kmごとにタイムがチップで記録されているはずですが、下記のRUNNETの速報では、3箇所の通過タイムが出ていました。ゴールは目標から1時間30分も遅れた11:29:01という結果でした。

 30km 02:38:30
 50km 04:47:21
 90km 10:03:15
 Finish 11:29:01

これでもサブテンを目指していたので、前半、1時間/10kmのペースを調整しながら走っていました。手元の時計では、42.195kmはサブフォーでした。
が、50kmを過ぎてからの登りがとても苦しくなってしまいました。このコースはずっとアップダウンが続き、普通のマラソンコースのようなつもりで参加したわたしにはかなり過酷でした。51km地点で高台にある農業公園「丹後あじわいの郷」(詳しくはこちらにあるエイドにわざわざコースを外れて登っていくのにはさすがに閉口。ほんと「勘弁してくれ~~」という感じです。

60km地点で6時間の5分前、ここから、碇高原への400mの登りが始まりましたが、まったく足が上がりません。ここで完全にサブテンは無理だとわかり、”登り”は走ることを諦め、ほとんど歩きました。50km過ぎても登りをどんどん走っていく何人ものランナーに追い抜かれてとっても情けなく、何か理由つけてリタイアしようかと何度も思いました。でも、「まだ、残り全部歩いてもぎりぎり制限時間をクリア出来る、完走だけは絶対しよう」と言い聞かせ、こんなこともあろうかと持ってきた、iPodを装着。元気の出る音楽を聴きながら、必死で前進しました。まるで自分の中では24時間TVのマラソン状態です。

エイドは、レース後半は2~3km間隔であるのですが、この距離がどんどん長く感じられます。エイドに到着すると水とコーラをがぶ飲み、食べ物も出来るだけお腹に入れました。エイドに滞在する時間がどんどん長くなってしまいますが、最後、柄杓で頭から水をかぶり、「ありがとうございました!」とお礼を言いつつ自分に気合いを入れてまた走り出します(とりあえずエイドの前後は走ります)。こんなことをフルマラソンと同じくらいの距離を後半繰り返したのですから、本当に過酷でした

碇高原の下りは、重力にまかせて飛ばしました。碇高原のエイドで子供たちにしてもらった脚のマッサージがとっても効いて、大腿四頭筋が悲鳴を上げませんでした。
碇高原を下りきるともう残り20kmを切ります。もうゴールは完全に見えました。が、ゴールまでの海岸線は最後まで何度もアップダウンが続くのです。このあたりからは、iPodを外して、沿道で応援してくれる人の声や、「おばあちゃん」のハイタッチにエネルギーをもらって残りの距離を数えながら必死で進みます。中にはゼッケン番号で名前を探して、名前を呼んでくれる人もいます。

最後のエイドは海岸沿いから町の中に入るゴール1km手前。このエイドは、立ち止まらずに走りながら水を受け取って、いつの間にかどんどんスピードを出して走っていました。この1kmを、年配のベテランランナーとマラソンのこといろいろ話ながら併走しました。苦しかったけど、この1kmは”ランニングしていてよかった”とほんと楽しい数分間になりました。

ゴールが近づいてくると賑やかな音楽やMCの声が聞こえてきます。その賑やかさに吸い込まれるようにどんどんスピードを上げて、”名前”をコールされてゴール。やっと「お帰りなさい!」と言ってもらえました。ウルトラマラソンって、50kmすぎても「いってらっしゃい」と言われて、なかなか「お帰りなさい」と言ってくれないのですよ。
ゴール後は、あまりの苦しかったレースに、こみ上げてくるものありました。ほんと、よく完走できたなと。大会関係者のみなさん、沿道のみなさん、ありがとうございました。


ゴールに駆け込んで行く、ランナー

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Puffyの「アジアの純真」とMCの声で迎えられるゴールです。市民マラソン大会で、MCがあるのはまだまだ少なく、わたしは東京マラソンで経験したくらいです。一人で参加するとチップ計測するゴールは自動改札みたいで、結構寂しいものです。

  
ゴールはみんなガッツポーズで、そして完走メダルをもらいます。参加記念のTシャツも大切な一枚になりました。そうゴールには24時間TVのマラソンコーチで有名な坂本雄次さんがいらっしゃいました(詳しくはこちら)。


番外編

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今回のレース、いろいろ勉強になることがありました。参考までに、


  • 走り始めて3kmで足に痛みが出る。
    「え、、、なんで」と少し焦りました。いつもと違うのは何かと考えて原因がわかりました。ちょっと靴紐をいつもより締めすぎていました。靴紐を少し弛めて痛みは消えました。

  • 50km地点で再び足が痛みだし、両足も急に重くなる。
    こんどはかなり靴紐を弛めました。どうも足が浮腫んで大きくなったようでした。靴紐を弛めると痛みは消え、両足の重さもなくなりました。普通のマラソンの距離では経験したことがないです。でも靴紐を弛めると懸念していた靴擦れが発生。右足の土踏まずの前部に大きな水疱ができました。が、最後まで破れなかったのでよかったです。

  • 小さな空のペットボトルを持って行けばよかった。
    事前の案内でエイドがたくさんあったので、今回は自分で水分・エネルギー補給の用意はほとんどしませんでした。しかし、レース後半はこれでもエイドの間隔が長く感じられるので、空の小さなペットボトルを携行して、エイドで水をいれてもらうべきでした。今回は、エイドでコップに氷をいれて次のエイドまで持って走りました。

  • コーラがとっても効きます。
    普通のマラソンでは、コーラなどの炭酸飲料は置いていないと思いますが、丹後では、後半、エイドにコーラが並びます。これがなかなか元気でます。なぜなんでしょうか。

  • 京たんご梨、とってもおいしい。
    コースの途中で、たぶん農家の方がボランティアで設置したエイドだと思うのですが、梨が置かれていました。ナイフが置いてあったのですが、立ち止まって切っている時間は無かったので、丸ごと1つもらって走りながら食べました。こんなおいしい梨は初めて、走りながらむしゃぶりついてしまいました。
    レース後ネットで調べましたが、この梨は、「京たんご梨」と呼ばれる二十世紀梨で、有名みたいです。丹後の帰りにどこか土産物屋で買おうかとも思ったのですがとてもその体力がなく、帰宅後ネットで探しました。9月がシーズンなのですでに注文受付を終了しているところが多かったのですが、アマゾンで見つけました。