Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

「銀河鉄道の夜 2」

2009-01-05 | 「銀河鉄道の夜」絵本



「ここへかけてもようございますか。」
 親切そうだけれど、がさがさした声が、二人の後ろで聞えました。
 それは、ボロボロの外套(がいとう)を着た
背中の曲がった赤髯の人でした。
「ええ、いいんです。」ジョバンニは、少し肩をすぼめて挨拶しました。
その人は、やけに気を使いながら、荷物をゆっくり網棚にのせました。
ジョバンニは、黙って正面の時計を見ていました
「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか。」
 赤髭の人が、少しおずおずしながら、二人に訊(き)きました。
「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり悪そうに答えました。
「それはいい。この汽車は、じっさい、どこまでも行きますから。」
「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラがたずねますと、
その人は、頬(ほほ)をぴくぴくしながら返事しました。

「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、サギをつかまえる商売でね。
サギ穫りってのは、雑作(ぞうさ)も無いこって。
サギというものは、みんな天の川の砂が凝縮して、
ボウッと出来るもんですからね。
そして始終川へ帰りますから、川原で待っていて、サギがみんな、脚(あし)をこういう風にして下りてくるとこを、ぴたっと押(おさ)えちまうんです。するともうサギは、固まって安心して死んじまいます。
あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
「サギを押し葉にするんですか?標本ですか?」
「標本じゃありません。みんな食べるじゃありませんか。」
「おかしいねえ。」カムパネルラが首をかしげました。
「おかしいも不審もありませんや。そら。」
その男は立って、網棚から包みをおろして、手早くクルクルと解きました。
「さあ、ごらんなさい。今とって来たばかりです。」



「ほんとうにサギだねえ。」二人は思わず叫(さけ)びました。

「すぐ喰べられます。どうです、少しおあがりなさい。」
サギ捕りは、青い嘴(くちばし)を、軽くひっぱりました。
するとそれは、チョコレートででも出来ているように、
すっと綺麗に剥がれました。
「どうです。すこし食べてごらんなさい。」
ジョバンニは、ちょっと喰べてみて、
(なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。
こんなサギが飛んでいるもんか。
この男は、どこかそこらの野原のお菓子屋だ。
けれどもぼくは、この人をバカにしながら、この人のお菓子を食べている。
それは何だか、この人が気の毒だ。)と思いながら、
やっぱりポクポクそれを食べていました。
「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。」
やっぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラが、
思い切ったというように、尋(たず)ねました。
サギ捕りは、何か大変、慌てた風で、
「そうそう、ここで降りなきゃ。」と言いながら、
立って荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていました。


「どこへ行ったんだろう。」

二人が窓の外を覗くと、たった今のサギ捕りが、もう、
黄色と青白の美しい光を放つ、天の川の河原の上に立って、
両手を広げて、じっと空を見ていたのです。



と、突然、ガランとした桔梗(ききょう)色の空から、
さっき見たようなサギが、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、
いっぱいに舞い降りて来ました。
するとあのサギ捕りは、すっかり注文通りだというようにホクホクして、
降りて来るサギの黒い脚を両手でかたっぱしから押えて、
布の袋(ふくろ)の中に入れるのでした。
すると、蛍(ほたる)のように、袋の中でしばらく、青く光ったり消えたりしていましたが、しまいには、みんなぼんやり白くなって、
眼をつぶるのでした。
砂の上に降りたものは、
まるで雪の溶けるけるように、平べったくなって、
二三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、
すっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。
 サギ捕りは二十疋(ぴき)ばかり、袋に入れてしまうと、
急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾(てっぽうだま)にあたって、死ぬときのような形をしました。

「ああせいせいした。
どうも体に恰度(ちょうど)合うほど
稼いでいるくらい、いいことはありませんな。」
という聞きおぼえのある声が、ジョバンニの隣りですると、
もうそこに、サギ穫りは戻っていました。

「どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか?」
「どうしてって、来ようとしたから来たんですよ。
おかしなことを言うねえ。
いったいあなた方は、どちらからおいでですか。」
 ジョバンニは、すぐ返事しようと思いましたけれども、
いったい自分が、どこから来たのか、どうしても思い出せません。
カムパネルラも、空(くう)を見ながら、何かを思い出そうとしているのでした。



「切符を拝見いたします。」
三人の席の横に、赤い帽子の車掌が、いつしか立っていました。

サギ捕りは、黙ってかくしから、小さな紙きれを出しました。
カムパネルラも、小さな、ねずみ色の切符を出しました。

車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなたのは?)というように、
指を動かしながら、手をジョバンニの方へ出しました。

「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしながら、洋服の中を探してみると、
憶えの無い紙切れが一枚、上着のポケットありました。



それは四つに折った、はがきぐらいの大きさの緑色の紙でした。
一面、黒い唐草(からくさ)のような模様の中に、
おかしな十ばかりの字を印刷したもので、
黙って見ていると、何だかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのでした。


「これは三次空間の方からお持ちになったのですか?」車掌がたずねました。
「何だかわかりません。」
「よろしゅうございます。南十字(サザンクロス)へ着きますのは、
次の第三時ころになります。」
車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。

するとサギ捕りが横からチラッとそれを見て、慌てたように言いました。



「おや、こいつは大したもんですぜ。
こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。
天上どこじゃない、どこでも勝手に歩ける通行券です。
こいつをお持ちになれぁ、なるほど、
こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、
どこまででも行ける筈(はず)でさあ。
あなた方は、実際、大したもんですねえ。」

「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれをまた
畳んでポケットに入れました。


そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、
また窓の外をながめていましたが、
サギ捕りの時々大したもんだというように、
ちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。



「もうじき鷲(わし)の停車場だよ。」
カムパネルラが言いました。

 ジョバンニは何だか訳もわからずに、にわかにとなりのサギ捕りが気の毒でたまらなくなりました。
サギを捕まえて、せいせいした、と喜んだり、
得意気に袋を解いて、サギのお菓子を振る舞ったり、
ひとの切符をビックリしたように横目で見て、慌てて誉めだしたり、

本当にあなたのほしいものは、一体何ですか?
と訊(き)こうとして、
どうしようかと迷いながら振(ふ)り返って見たら、
そこにはもうあのサギ捕りは居ませんでした。

「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。どこかでまた逢うだろうか。
僕はどうして、もう少しあの人と話さなかったんだろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔なような気がしてたんだ。
だから今、僕、とてもつらい。」



「何だか苹果(りんご)の匂(におい)がする。
僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」
カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。



「あら、ここどこでしょう。まあ、綺麗だわ。」
十二ばかりの眼の茶色な可愛らしい女の子が、黒い外套(がいとう)を着て
不思議そうに窓の外を見ているのでした。

黒い髪の六つばかりの男の子はジャケットのボタンもかけず
ひどくビックリしたような顔をして裸足で立っていました。
隣りには黒い洋服をきちんと着た背の高い青年が、
額に深く皺(しわ)を刻んで、それに大変疲れているらしく、
無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座(すわ)らせました。
それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。
女の子は素直にそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。

青年も男の子の隣りにそっと腰掛けると、静かに語り始めました。

自分達の乗っていた船が、氷山にぶっつかって沈んだこと。
自分はこの子たちの家庭教師だということ。
この子達を助けるのが自分の義務だと思い、救命ボートに乗せようとしたが
前にいる子供らを押しのけて、自分達だけ助かることが、どうしても出来なかったこと。
そんなにして助けてあげるよりは、このまま神の御前(おんまえ)に
みんなで行く方が、この子達の本当の幸福ではないか、と思ったこと。

「私はもうすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて、浮べるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。
誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども、滑ってずうっと向うへ行ってしまいました。
私は力任せに甲板の格子になったとこを剥がして、三人それにしっかり
掴まりました。
どこからともなく讃美歌の声があがりました。
たちまちみんなはいろいろな国の言葉で一ぺんにそれを歌いました。
その時にわかに大きな音がして私たちは水に落ち、
大きな渦に入ったと思いながらしっかりこの子達を抱いて
それからボウッとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。」


車内から小さな祈りの声が聞え、ジョバンニもカムパネルラも
今まで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼が熱くなりました。



隣の席の灯台守らしい男が、慈しむような声で言いました。
「何が幸せかは、わからないものです。
どんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中での出来事なら、
みんな本当の幸福に近づく、一歩ずつなのですから。」
 
「ああそうです。ただ一番の幸せに至るために
いろいろな悲しみも、みんなおぼしめしです。」
 青年が祈るようにそう答えました。
 そしてあの姉弟はもう疲れて、めいめいぐったり席によりかかって睡っていました。
さっきのあの裸足だった足には、いつの間にか白い柔らかな靴が履かされていました。



ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光(りんこう)の川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、百も千もの大小さまざまの三角標が、
まるで幻燈のようでした。


「本当の幸せってなんだろう
お母さんが幸せになるために、僕は何が出来るだろう。
ここに居る人達は、みんな幸せなんだろうか。
でも、このままカンパネルラと一緒にいられるなら、僕は嬉しい。」











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